1 新しい仕事場でも探すか――その前に
■創立前夜
まだ校舎もない。
建設予定地の丘の上。
夜風が草を揺らしている。
遠くの街の灯りが、星みたいに瞬いていた。
三人の男が立っている。
若い頃の
マスター、藤堂、そして 新渡戸。
沈黙のあと、藤堂が口を開く。
「……本当に作るのか」
藤堂の視線は、街に向いている。
「あれが全部、いつ壊れるか分からない連中だ」
低い声。
「一人でも暴れたらどうする」
「誰が責任を取る」
少し間。
「管理しろ」
「番号でも付けて、監視しておけばいい」
「それなら、まだ説明がつく」
その言葉に、
マスターは苦笑する。
「お前は相変わらずだな」
「現実主義だ」
風が吹く。
草がざわりと揺れた。
マスターは、街を見下ろしながら言う。
「僕は逆だ」
「異能者は兵器じゃない。人間だ」
「怖がられるなら、居場所を作ればいい」
「学べる場所をな」
少し笑う。
「学校ってのは、そういうもんだろ」
藤堂は鼻で笑う。
「理想だ」
そこで
三人目が口を開く。
静かな声。
新渡戸。
腕を組んで、二人を見ていた。
「……二人とも極端だな」
「そうか?」
新渡戸はため息をつく。
「藤堂は恐怖で縛ろうとする」
「お前は希望だけで進もうとする」
そして、地面を軽く蹴る。
「どっちも危ない」
少し間。
新渡戸は言う。
「だから」
「教育が必要なんだ」
藤堂が眉を上げる。
新渡戸は続ける。
「危険なのは事実だ」
「だから学ばせる」
「逃げるな」
「でも縛るな」
「育てろ」
マスターが笑う。
「さすが教師志望」
「うるさい」
三人の沈黙。
やがてマスターが言う。
「じゃあ決まりだ」
「作ろう」
「怖がるやつと」
「信じるやつと」
「教えるやつ」
少し笑う。
「三人そろってる」
藤堂が腕を組む。
「……もし暴走したら」
「止めろ」
「殺すぞ」
「その時はな」
新渡戸がぼそっと言う。
「物騒な学校になりそうだな」
「学校ってのはな」
二人を見る。
「最後に残るのは」
少し笑う。
「卒業生だ」
「何の話だ」
「僕たちは消える」
「でも」
「学生は生きていく」
新渡戸が静かにうなずく。
「……それが学校だ」
その誰もが、まだ若い。
三人は笑う。
夜風が吹く。
丘の向こうに
まだ存在しない学園の未来が広がっていた。
………
……
…
演習場。
生徒たちが異能を使う訓練の最中だった。
爆音。
衝撃。
土煙。
一人の生徒の能力が暴発する。
教師たちが慌てて結界を張る。
観覧席の端で、
一人の男が静かにそれを見ていた。
榛色の髪。
柔らかな目。
少し眠そうな顔。
学園では、彼をこう呼んでいた。
マスター。
彼は、ゆっくり息を吐く。
「大丈夫。三秒で収まるよ」
誰に言うでもなく呟く。
二秒。
一秒。
暴走は、ぴたりと止まった。
教師たちがざわめく。
「なぜ予測できたんです」
マスターは肩をすくめる。
「パターンだよ。人はそんなに複雑じゃない」
そのやり取りを、
少し離れた場所で見ている男がいた。
学園管理官。
藤堂。
スーツ姿の、痩せぎすの男。
彼の視線は、生徒ではなく、
マスターに向いていた。
恐怖と、苛立ちが混ざった目。
「……危険だ」
誰にも聞こえない声で言う。
「こんなものを自由にさせていたら」
その日の夜。
会議室。
重い扉の向こうで、
学園の管理者たちが集まっていた。
机の上には資料。
演習事故の記録。
写真。
評価書。
そして――
マスターの名前。
藤堂が声を上げる。
「見てください。この指導方針」
「生徒に自由判断を許している」
「これは教育ではない。放置です」
別の管理者が言う。
「しかし、成果は出ている」
「だから危険なのです!」
少し声が震える。
「事故が起きたらどうするんです」
「責任は誰が取る」
沈黙。
「……管理しなければ」
「いつか取り返しがつかない」
「管理しなければ我々の安全が脅かされる!」
沈黙。
やがて、一人が言った。
「……彼を外すか」
短い決定だった。
つい先日。
機関の地下実験区画。
暴走した能力者を“処理”する日。
命令は簡潔だった。
“全員排除”。
子どもも含まれていた。
実験体番号A-17。
震える小さな手。
泣き声。
銃が向けられる。
引き金に指がかかる。
その瞬間。
マスターが言った。
「待て」
誰も止まらない。
命令は絶対だ。
引き金が引かれる。
銃声。
――のはずだった。
乾いた音は鳴らない。
空間の途中で、
弾丸が止まっている。
撃たれたはずの鉛は、
空中に“縫い付けられた”ように動かない。
時間が止まったみたいな沈黙。
マスターが、静かに言う。
「―定義」
その声は、怒りでも命令でもない。
ただの宣言だった。
「殺害は無効」
空気が、微かに軋む。
世界が、わずかに書き換わる。
弾丸は落ちない。
進まない。
“殺害”という行為そのものが、
この空間から消えていた。
続けて。
「定義」
視線は銃へ向く。
「銃は機能停止」
金属の音。
兵士たちの武器が、
一斉に沈黙する。
引き金を引いても動かない。
弾倉を叩いても動かない。
まるで
“銃という概念”が壊れたみたいに。
誰も動けない。
地下区画の一角だけが、
別の法則で動いていた。
その結果。
機関は多額の損失。
実験データ消失。
部隊半壊。
マスターは
要注意人物になった。
そして。
学園の方針は変わった。
保護ではなく、管理へ。
教育ではなく、選別へ。
地下区画の事件から、三日後。
学園本棟、管理棟の会議室。
照明は白く、硬い。
机の上には報告書が散らばっている。
その中央に立つ藤堂は、声を荒げていた。
「見ただろう、演習場で何が起きたか!」
彼の手は震えている。
「能力は暴走する。制御など幻想だ」
机の上の報告書を叩く。
「そして地下だ!」
沈黙。
空気が重くなる。
藤堂の声が低くなる。
「機関の処理部隊が全滅しかけた」
「武装が沈黙した」
「弾丸が空中で止まった」
唾を飲む音。
「……あんなものを」
「制御できると思うのか」
その時。
新渡戸が口を開く。
「藤堂」
短い声。
「言葉を選べ」
藤堂は歯を食いしばる。
「事実だ」
新渡戸は静かに言う。
「“あんなもの”じゃない」
一瞬の沈黙。
「学生だ」
そして、もう一言だけ続ける。
「教師が恐れてどうする」
会議室の空気が止まる。
藤堂の表情が強張る。
誰も、言葉を返せない。
マスターは少し考える仕草をしてから、言う。
「そうだね」
柔らかい声。
「怖いよね」
藤堂の肩がピクリと動く。
マスターは続ける。
「未知の力。
制御できない存在。
隣にいる人が、いつ怪物になるか分からない」
少しだけ笑う。
「人間はそういうの、苦手だから」
藤堂が言う。
「ならば!」
「でも」
マスターが遮る。
声は穏やかだ。
「恐怖で作った仕組みはね」
一瞬、沈黙。
「だいたい壊れる」
会議室の空気が固まる。
マスターは肩をすくめる。
「まあ、僕の意見は少数派みたいだけど」
誰も笑わない。
藤堂は低く言う。
「あなたは甘すぎる」
マスターは否定しない。
ただ、少し目を細める。
「かもね」
会議が終わる。
人が去る。
廊下。
マスターは一人で歩く。
窓の外。
夜の雨。
その時、背後から声。
藤堂。
「あなたは理解していない」
振り返らないまま、マスターは聞く。
「何を?」
「異能者は危険だ」
短い沈黙。
藤堂の声は震えている。
「彼らは、我々を殺せる」
マスターは静かに言う。
「うん」
そして
「知ってるよ」
振り返る。
その瞳は、静かだった。
恐怖でもない。
同意でもない。
ただ
観察している目。
「だから僕は」
柔らかく微笑む。
「彼らを檻に入れるより」
少し首を傾ける。
「隣に座りたいんだ」
藤堂は理解できない顔をする。
マスターはもう歩き出している。
藤堂はその背中を見ている。
理解できない。
理解したくもない。
そして、小さく呟く。
「……狂っている」
その頃。
遠く離れた事務所。
古い机。
一冊のノート。
そこに書かれている。
学園
保守派 主導
管理強化へ
次の行。
まあ
そうなるよね
藤堂は去る。
足音が遠ざかる。
屋上に一人残ったマスターは、
小さく息を吐いた。
「……三人だったのにな」
「さて」
雨音。
静かな部屋。
「どこまで行くかな」
翌日。
屋上。
夕焼けが校舎を赤く染めている。
マスターは手すりにもたれて空を見ていた。
扉が開く。
藤堂が来る。
少し息を切らしている。
「決まりました」
マスターは振り返らない。
「うん」
「あなたは本日をもって、学園の指導から外れます」
静かな風。
マスターは少しだけ笑う。
「そっか」
藤堂は苛立つ。
「あなたは危険だ!」
「異能者を甘やかしている!」
「いつか制御不能になる!」
マスターはようやく振り返る。
穏やかな顔。
「かもしれないね」
藤堂は拳を握る。
「あなたは分かっていない」
「責任というものを」
マスターは首を傾げる。
「いや、分かってるよ」
少しだけ目を細める。
「怖いんだろ?」
藤堂の顔が歪む。
図星だった。
マスターは視線を空に戻す。
「大丈夫」
「君が怖がる世界は、来ないよ」
藤堂は一瞬だけ、言葉に詰まる。
――昔も同じことを言われた気がした。
藤堂は鼻で笑う。
「保証できますか」
マスターは少し考えてから答える。
「うん」
「たぶん」
藤堂は吐き捨てる。
「無責任だ」
マスターは軽く手を振る。
「じゃあ、後はよろしく」
藤堂は去る。
足音が遠ざかる。
屋上に一人残ったマスターは、
小さく息を吐いた。
「さて」
ポケットから紙を取り出す。
古い雑居ビルの一角。
そこに丸をつける。
「新しい仕事場でも探すか」
夕焼けの中。
男は少しだけ笑った。
その日から、
学園の管理体制は年々強化されていく。
監視網。
訓練規則。
拘束施設。
そして――
地下三階。
機関の実験区画。
異能は、存在する。
だがそれは、神秘ではない。
観測され、分類され、
研究され、
そして管理される。
そのために作られたのが――
高度管理学園。
表向きは教育機関。
裏では、異能者の監督と選別。
危険因子の排除。
学園の地下には、もう一つの名前がある。
機関。
研究、保護、拘束、実験。
異能を扱う社会にとって、
必要とされた装置。
それを作った者たちがいた。
理想を語り、
未来を信じ、
異能者が人として生きる場所を望んだ者たち。
その中心にいた男は、
今はもう、いない。
表の記録から、
静かに消えている。
だが――
その男を知る者は、
まだいる。
そして。
遠くからそれを“観測しているもの”も。
どこかで、
小さく鈴が鳴った。
―ちりん。
それは、まだ誰も知らない境界の音だった。
創立前夜
直人「はい、じゃあ今日から僕のことはマスターと呼ぶように!」
藤堂「なぜだ」
直人「カッコいいから!」
新渡戸「バカか」
藤堂「馬鹿だな」
マスター「ひどいっ!」




