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観測者は感情を知らない【フルサイズ】  作者: 白鐘サウザーいちご味
最終章 観測者は感情を知らない
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11-8 取得物


■境界堂・一か月後


ぽかぽかとした陽気が境界堂を包んでいた。


カノンは作業机へ義手を固定し、小さな工具を動かしている。


「定期メンテナンスです!」


きらり、とネジを掲げた。


「異常なしですね!」


カノンは義手を大事そうに持ち上げた。


「では、最終点検……いえ、内部のクリーンアップをしてきます!」


「クリーンアップ?」


マスターが首を傾げる。


「はい!」


カノンは胸を張る。


「内部データの整理と、動作確認です!」


「ふーん」


カノンはぼそっと付け加えた。


「……兵装を付けた影響が残っていないかも確認しませんと」


「待って」


ファニーがぴしっと指を差す。


「今、聞き捨てならないこと言ったよね!?」


「あ」


カノンの笑顔が固まる。


「い、いえ!ちゃんと全部外してあります!」

「"外してあります"ってことは付けたんだよね!?」


「つい、魔が差しまして!」

「魔が差したで済ませないで!」


クロードが静かに立ち上がる。


「……俺も行く」

「え?」

「監視だ」


短く言い切る。


「クリーンアップも確認する」

「信用してください!」


「信用できん」

「むぅぅ……」


義手を抱えたカノンは、ぶつぶつ文句を言いながら工房へ向かう。

クロードも無言で後を追った。


マスターはソファへ座り、右手だけで湯飲みを持って笑う。


「ちょっとだけ片腕生活だねぇ」


左肩には何もない。

もう義手にも慣れた。

だからこそ、こうして外して調整する日もある。


「三十分ほどで終わります!」

「よろしくお願いしまーす」


ファニーはソファへ寝転びながら雑誌をめくり、シエルはキッチンで静かにコーヒーを淹れていた。


いつもの境界堂。いつもの日常。

その時、窓の外が、ふっと暗くなる。


「あれ?」


ファニーが顔を上げる。

さっきまで青かった空へ、黒い雲が音もなく広がっていく。


ごろごろ……。


低い雷鳴が遠くで響いた。


「雨かなぁ」


マスターが窓の外を見上げる。


「閉めておこうか」


右手へ軽く力を入れ、立ち上がろうとした、その瞬間。


ドガァァァン!!


轟音。


視界が真っ白に染まる。

窓ガラスがびりびりと震え、境界堂全体が揺れた。


「きゃあっ!」


ファニーが思わず頭を抱える。


数秒。

耳鳴りだけが残る。


やがて白い閃光が消え、三人は恐る恐る辺りを見回した。


「……今の、境界堂に落ちた?」

「近かったですね」


シエルが静かに窓へ目を向ける。

焦げた匂いはしない。

壁も天井も無事だった。


「……あれ?」


マスターが首を傾げた。


事務所のデスクの真ん中に、いつの間にか小さめの箱が置かれていた。

赤いリボンだけが、不釣り合いなくらい可愛らしく結ばれている。


「……誰か来た?」

「いえ」


シエルは静かに首を振る。


「気配はありませんでした」


ファニーがおそるおそる近付く。


「爆弾じゃないよね……?」


ごと。


箱が、小さく揺れた。


「ひっ!」


ファニーが飛び退く。


ごと。


もう一度、今度は少しだけ大きく揺れた。


「……動いた」


マスターが目を丸くする。

そして。


『いったぁ……』


箱の中から、小さな声が聞こえた。

三人が固まる。


『え!なに!?なにここ!?真っ暗!!』

『落ち着いてください。まずは状況確認を……痛っ』

『だから暴れないでって』


聞き覚えのあるような。

でも、あり得ない声。


ファニーが小さく呟く。


「……今の」


シエルも眼鏡を押し上げた。


「俺にも聞こえました」


箱が、もう一度。


ごとん。


『誰かー!開けてもらえませんかー!』


事務所に沈黙が流れる。

マスターだけが、箱をじっと見つめていた。


ふっ、と小さく笑う。


「……開けてみよっか」


ゆっくりと手を伸ばす。

赤いリボンへ触れ、ほどく。


ぱさり。


蓋へ手を掛ける。


「……よいしょ」


すうっ、と箱の蓋が開いた。


その瞬間。

白い影が、ぴょこん、と縁へ飛び乗る。

ふわふわの白い毛並み。

尖った三角の耳。

燃えるような赤い瞳。

小さな白狐だった。


『やあ。拾われちゃった』


マスターは何も答えない。

ただ、その赤い瞳だけを見つめ続ける。


何度も、何度も、確かめるように。


箱の中から、また声がした。


『ちょっと!先に出ないでください!』


ばさばさっ。


黄色い小鳥が勢いよく飛び出し、そのままファニーの頭へぽすんと着地する。


「わっ!」

『狭かったぁ!』


元気いっぱいの声。

ファニーは恐る恐る頭の上を見上げる。


「……え?」


続いて、水色のリスが箱の縁へよじ登る。


『順番に出ると言ったでしょう』


淡々とした口調。

妙に冷静なその喋り方には、聞き覚えがあった。


「……シエル?」


思わず漏れた声に、

リスは小さく首を傾げる。


『はい』


少しだけ考えてから続ける。


『正確には、未来側の俺です』


ファニーが目をぱちぱちさせる。


「え?」


白狐が苦笑した。


『ちょっと色々あってねぇ』


ようやく、マスターが一歩だけ近付く。

白狐も静かに歩み寄る。

互いの距離が、ゆっくり縮まる。


白狐は少し照れたように笑った。


『……ただいま、なのかな』


マスターは唇を結ぶ。


病院。

白い病室。

消えていった背中。

もう戻らない。

そう、自分で決めた。

受け入れた。


だから、もう涙は出なかった。

代わりに、小さく笑う。


「……おかえり」


たった一言。


白狐も笑う。


『うん』


ぽすっ。


白狐は軽く跳び上がると、そのままマスターの胸へ飛び込む。


「っと」


マスターは胸元で受け止めるように身体を支えた。

白狐は器用によじ登り、そのまま右肩へ落ち着く。


『ふぅ』

「……軽いねぇ」


思わず零れた言葉に、白狐が少しだけむっとする。


『失礼だなぁ』

「前は僕と同じくらい大きかったからさ」

『今は省エネ仕様』


真面目な顔で言う。

マスターは吹き出した。


「そっか」


右手で、白い頭をゆっくり撫でる。


ふわり。


柔らかな毛並みが指先をくすぐった。

白狐は気持ち良さそうに目を細める。

その様子を見ていたファニーが、ようやく我に返った。


「いやいやいやいや!」


黄色い小鳥を頭へ乗せたまま叫ぶ。


「説明!説明して!?」

「賛成です」


水色のリスも尻尾を揺らしながら頷く。


『現在の状況は理解不能です』


白狐はマスターの腕の中から二人を見上げた。


『うーん』


少し考える。


『ぼくもよく分かってない』

「分かってないの!?」


ファニーが盛大にずっこけた。


『気付いたら真っ暗なところをふわふわ漂っててね』


リスが続ける。


『その後、突然眩しい光が差し込みました』


小鳥も翼をばたばたさせる。


『でっかい手が来た!』


白狐が頷く。


『掴まれた』

『掴まれました』

『掴まれた!』


三匹の証言が一致した。

ファニーは恐る恐る尋ねる。


「……誰に?」


三匹は顔を見合わせる。

そして、揃って答えた。


『『主上』』


事務所内が静まり返る。


その時。


ひらり。


蓋の裏から、小さな紙切れが落ちた。

シエルが拾い上げる。


「これは……」


裏返す。

達筆な筆文字で、たった一言。


【拾得物】


……


全員が紙を見る。

もう一度、箱を見る。


白狐を見る。

黄色い小鳥を見る。

水色のリスを見る。


ファニーが額を押さえた。


「神様って、落とし物センターもやってるの……?」


白狐が苦笑する。


『主上なら、やりそう』

『否定できません』


リスも静かに頷いた。


マスターはカードを受け取る。


【拾得物】


その三文字を見つめ、小さく笑った。


「律儀だねぇ」


カードをそっと机へ置く。

もう一度だけ、腕の中の白狐を見下ろす。


「ちゃんと届けてくれたんだ」


窓の外では、いつの間にか黒雲が流れ去っていた。

雨は降らない。

差し込む陽射しだけが、境界堂を静かに照らしていた。



白狐が、しっぽをふわりと揺らした。


『それじゃ、これからよろしくねぇ』


「よろしく!」


ファニーは勢いよく両手を伸ばす。


「また一緒に暮らせる!」


黄色い小鳥が、ぴ、と嬉しそうに鳴いた。

リスも肩へ飛び乗り、小さく頷く。


「これは忙しくなりますね」


シエルはすでに手帳を開いている。


「止まり木と巣箱、それから餌皿を用意して……」

「狐用の寝床も必要だねぇ」


マスターも楽しそうに笑う。


「境界堂、動物屋敷になっちゃうね」


ファニーは腕をぶんぶん振る。


「私、おもちゃ買ってくる!」


その時だった。


『ああ』


白狐が首を横へ振る。


『要らないよ』


「……え?」


三人が揃って首を傾げる。


小鳥が羽をぱたぱたさせる。


『私たち、普通の動物じゃないし』


リスも尻尾を揺らした。


『住む場所は別にありますから』


「別?」


マスターが聞き返す。

白狐は、くすりと笑う。


『ここだよ』


するり、と。

マスターの胸へ、その身体が溶けていく。


「ふふっ」


マスターが肩をすくめる。


「くすぐったいね」


胸の奥から声がした。


『ここ……』


少しだけ間。


『……違う。こっち?』


ふわり。


左肩の切断面から、白い光がにじんだ。

それは煙でも霧でもない。

腕の形をした、半透明の白。


肘が伸び、手首が形を取り、五本の指がゆっくりと現れる。

硝子細工のように透き通りながら、それでも確かに"左腕"だった。


「へ?」


マスターは反射的に、その白い左手を見つめる。

指を一本、曲げてみる。白い指先が、それに応えるようにゆっくりと動いた。


「……動く?」


その次の瞬間。

頭へ白い狐耳がぴょこんと生えた。


「わっ」


思わず、その耳へ左手を伸ばす。

ぴくぴく、と狐耳がくすぐったそうに揺れる。


ファニーが固まった。


「……え?」


視線は、マスターの左側へ。


「左手が……ある?」


シエルはすぐに目を細めた。


「いえ」


静かに首を振る。


「実際には存在していません」

「え?」


マスターは白い左手をぱたぱた振る。


「じゃあこれ何?」

「霊的投影です」

「左腕だけ透明人間?」

「そんな雑な理解ある!?」


ファニーが即座に突っ込む。

狐耳が、ぴこん、と揺れた。


『あー』


白狐の声が少し困ったように響く。


『ここでもないねぇ』

「え、住所探しみたいになってるけど」

『うーん……』


少し考え込む。


『じゃあ、ここ』


かくん。

マスターの首がわずかに傾く。


ぴたり、と空気が止まる。


ゆっくりと顔が上がる。

瞳は、鮮やかなピジョンブラッド。

口元だけが、いつもと少し違う笑みを浮かべる。


「あれ?」


柔らかな声。


「ぼくが出ちゃった」

「いやいやいやいや!?出ちゃったって何!?」


シエルは目を細める。


「人格交代ではありませんね……」


数秒、観察する。


「定着位置が安定していないのでしょうか」

「空白体なの!?マスターなの!?」


赤い瞳のマスターは小さく笑う。


「どっちでもないよ」


首をこてんと傾げる。


「まだ、ぼくの居場所が決まってないだけ」


その言葉を最後に、赤い瞳がゆっくり緑へ戻る。


左腕も、白い輪郭が淡く揺らぎ、指先から静かに透けていく。やがて肘も、肩も、春の陽に溶ける雪のように消えた。


マスターがぱちぱちと瞬きをした。


「あれ?」


辺りを見回す。


「今、何か変だった?」

「変だったよ!!!!」


小鳥が羽をぱたぱたと動かした。


『じゃあ、私も入ろー!』


リスも胸を張る。


『俺も入りますか』


ファニーとシエルが同時に振り向く。


「「は?」」


するり。


二匹は何のためらいもなく、それぞれの胸へ溶け込んだ。


しーん。

静かな時間が流れる。


「……え?」


ファニーは自分の胸を見下ろいた。

何も起きない。

羽根も生えない。

人格も混ざらない。


シエルも胸元へそっと手を当てる。

目を閉じる。


「……異常ありません。内部反応も検出できません」


ファニーもぺたぺたと胸を触る。


「……ほんとだ」


二人は顔を見合わせる。


「「…………」」


ほっ。


揃って肩の力を抜いた。


その様子を見ていたマスターが、じっと二人を眺める。


「……何で僕だけなの」


ぽつり。

心底納得いかない声だった。

ファニーは即座に突っ込む。


「いや、そっちが普通じゃないからね!?」


シエルは眼鏡を押し上げた。


「マスターの場合は"収容"ではありません。"共存"です」

「えっ」


「しかも発現位置が固定されていません」

「やだ、それ」


マスターは思わず頭を押さえる。


「めちゃくちゃシェアハウス感あるんだけど」


どこからともなく、白狐が笑う。


『楽しいでしょ?』

「住民が自由すぎるのよ」


『慣れるよ』

「慣れたくないなぁ」


すると、頭の中から別の声。


『結構快適ですよ?静かですし』


続いて、小鳥も元気よく言う。


『広いしねー!』

「部屋レビュー始めないで!?」


ファニーが頭を抱える。

シエルは少し考え込み、静かに結論を口にした。


「違いは明確です」


視線をマスターへ向ける。


「我々は保管。マスターは媒体です」

「媒体?」

『そういうこと』


白狐が答える。


『ぼくたちは君の中で、生きてる』


マスターは少しだけ黙った。

右手で胸元へ触れる。

そこには何もない。

それでも、誰かがいる気配だけはあった。


「……そっか」


小さく笑う。


「また一人暮らしじゃなくなったんだねぇ」

『三人だけどね』

『賑やかになります』

『よろしくね!』

「一気に増えた!」


ファニーが笑いながら肩を叩く。


「大家さん、大変だね」

「家賃くらい取ろうかなぁ」


『払えません』

『無一文です』

『持ち合わせゼロ!』


「全員無銭入居なの!?」


境界堂に笑い声が広がる。


その笑いの中で、マスターはそっと胸へ手を当てた。


もう、そこに空白はない。


形は変わった。


それでも。


帰る場所は、ちゃんとここにあった。




カノン「戻りましたー!」


工房からカノンとクロードが戻ってくる。

カノンは事務所を見回し、首を傾げた。


「……なんだか賑やかでしたね!お客さまですか?」


クロードが静かに《視る》。


マスターの中には白狐。

ファニーの中には黄色い小鳥。

シエルの中には水色のリス。


「……」


数秒。


クロード「……なんだこれは」

ファニー「私もそう思う!!」

マスター「増えちゃった」


『ただいまー!』

『よろしくねぇ』

『お邪魔しています』


カノンがぱちぱちと瞬きをする。


「……増えたんですか?」

マスター「うん」


カノンの目が、きらん、と輝いた。


「これはぜひ、皆さんラボへ!隅々まで調べなくては!最高の実験た……んんっ!」

クロード「やめろ」

カノン「むぐっ!?」


クロードが無言でカノンの口を塞ぐ。


クロード「こいつに近づくな」

『『『賛成』』』

ファニー「全会一致だね」


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