11-7 繋がる左手
「では、本題です!」
ぱかり、と蓋が開く。
中には一つの義手。そして、その隣には銀色の円環状の金具が収められていた。
派手な装飾はない。義手も、接続具も、どこまでも実用一点張りの造りだった。
「……あれ?」
ファニーが目を丸くする。
「普通だ」
シエルも静かに頷く。
「機能を最優先した設計ですね」
マスターも少し安心したように笑う。
「なんだか、日常が帰ってきた感じだねぇ」
カノンは得意げに胸を張る。
「余計な兵装は全部外してあります!まずは、使えることを優先しました!」
ファニーの眉がぴくりと動く。
「……今、"まずは"って言った?」
「あ」
カノンは一瞬だけ目を逸らした。
「……聞かなかったことにしてください!」
「絶対なんか付ける気だったでしょ!?」
「い、今は付いてませんからセーフです!」
「セーフじゃないよ!?」
食い気味だった。
マスターは肩を揺らして笑う。
「ちょっと期待したのに」
「期待しないでください!」
カノンは義手を一度閉じると、隣の銀色の部品を持ち上げた。
「まずはこちらです!」
「……義手じゃないの?」
「土台です!」
きょとんとするファニーへ、カノンは人差し指を立てる。
「ワタクシの義手は、この専用アタッチメントがないと装着できません!」
マスターも興味深そうに覗き込む。
「病院では付けられなかったんだ?」
「はい!」
カノンは元気よく頷く。
「病院では命を助けるのが最優先ですから!」
銀色の部品を掲げる。
「これはワタクシの異能で神経と骨へ直接固定します!」
「……直接?」
「直接です!」
ファニーが嫌な予感しかしない顔になる。
「痛い?」
マスターが苦笑しながら尋ねる。
カノンは迷いなく頷いた。
「痛いです!」
事務所が、しん、と静まり返る。
「……どれくらい?」
「神経へ直接接続しますので、かなりです」
マスターは一度だけ目を閉じる。
「……そうかぁ」
その笑顔はいつも通りだった。
けれど右手だけは、無意識に膝の上でぎゅっと握られていた。
ファニーは思わず口を開きかける。
「マスター……」
だが、それ以上は何も言えなかった。
マスターは深く息を吸う。
「お願いします」
カノンは、ぱちん、と手を打つ。
「では準備します!」
奥から、ごろごろ、と金属製の固定椅子が運ばれてくる。
「新渡戸さん、こちらお願いします!」
「了解」
新渡戸は椅子を軽々と所定の位置まで押してくる。
トルクはすぐ脇へ回り込み、義手と接続部を静かに確認し始めた。
「アタッチメント異常なし。固定機構も問題ありませんネ」
クロードは無言のまま固定具を一つ手に取る。
「……あれ?」
マスターが首を傾げる。
カノンはにっこり笑った。
「神経へ直接接続しますので、反射で身体が大きく跳ねます」
銀色のアタッチメントを掲げる。
「途中で動かれると、接続位置がずれてしまいます」
マスターの笑顔が少しだけ引きつった。
「……なるほど?」
「なので、固定します!」
「えっ」
返事を待たず、三人が慣れた手つきで動く。
「ほら、座れー」
新渡戸が肩を支え、椅子へ座らせる。
ガチャ。
クロードが胸の固定具を締める。
ガチャ。
腰。
ガチャ。
右腕。
ガチャ。
両脚。
ガチャ。
トルクは最後に固定具を一つひとつ確認し、
「固定良好です」
と小さく頷いた。
「はい!固定完了です!」
「早い早い早い!」
マスターが身をよじろうとするが、びくともしない。
ファニーは思わず苦笑する。
「……なんかみんな慣れてない?」
新渡戸が肩をすくめる。
「暴れる患者は珍しくない」
クロードも短く続ける。
「固定は基本だ」
トルクは真顔で頷く。
「正確な接続には必要不可欠です」
「なんか全員慣れてるぅ……」
ファニーだけが少し引いていた。
シエルは左肩へ回り込み、静かに手を添える。
「接続時は肩関節にも力が入ります。こちらは私が押さえます」
ファニーも反対側へ立つ。
「……私は?」
カノンが笑顔で答える。
「マスターを励ましてください!」
「精神担当なんだ、私!?」
カノンはケースから黒いマウスピースを取り出した。
「こちらもお願いします」
「……それも必要?」
「舌を噛みますので」
「……なるほど」
「歯も割れる可能性があります」
マスターは思わず苦笑した。
「そこまでかぁ」
受け取ったマウスピースを眺める。
数秒だけ。それから静かに口へ運んだ。
ファニーはその様子を見つめることしかできなかった。
カノンの表情から笑みが消えた。
「それでは」
左肩の断端へ、静かに手を添える。
「アタッチメント接続、開始」
ふわり。
指先から、髪の毛より細い銀色の糸が無数に伸びる。
夕陽を受けた糸は、蜘蛛の糸のように淡く輝いていた。
「……綺麗」
ファニーが思わず息を呑む。
銀糸は皮膚へ静かに触れ、そのまま何の抵抗もなく内部へ沈んでいく。
一本。
また一本。
神経を探し当て、切断面を優しくなぞる。
やがて数本の糸が骨へ絡みつき、銀色のアタッチメントをゆっくりと引き寄せた。
「固定します」
銀糸が一斉に締まる。
ギギッ。
骨の奥へ金具が沈む音。
「――いッ!!」
マスターの身体が大きく反り返る。
固定具が軋み、椅子全体が震えた。
苦鳴はマウスピースへ吸い込まれ、低く漏れるだけだった。
「同期良好」
カノンは淡々と糸を操る。
「骨固定、完了」
銀糸が今度は神経へ絡みつく。
一本ずつ、丁寧に、縫い合わせるように。
「神経接続……完了」
やがて銀糸が音もなくほどけた。
アタッチメントだけが肩口へ静かに残る。
カノンが小さく息を吐く。
「第一工程、終了です!」
「っ……はぁ……はぁっ……」
マスターは荒い息を繰り返した。
額から汗が伝い落ちる。
全身から力が抜け、固定具へ体重を預けるように肩が沈んだ。
「終わっ……」
「では、本番です!」
「本番!?」
カノンの瞳がきらりと輝く。
「この義手は、ワタクシの異能を前提に設計した特別仕様です!」
ぐっと義手を抱え込む。
「普通の義手では、ここまで神経へ滑らかに追従できません!切断された神経一本一本を、ワタクシの糸が再接続し、信号を補正しているからこそ、この動きが実現するのです!」
早口になる。
「つまり!義手ではありますが、限りなく"自分の腕"に近い感覚で扱えるんですよ!」
肩で息をするほど熱が入っていた。
「……あ」
一拍置いて、にこりと笑う。
「もちろん接続中は激痛です!」
「安心できる要素ゼロだよ!?」
「……そう来たかぁ」
マスターは苦笑しながら息を吐く。
「了解。頑張るよ」
カノンは大きく頷いた。
「大丈夫です!」
迷いのない笑顔。
「この接続さえ終われば、あとは痛みなく使えます!」
カノンは義手を持ち上げた。
「トルクさん!」
「はい!」
「義手を支えてください!」
「喜んで!」
トルクは嬉しそうな表情で義手を両手で支える。
「接続角度、維持します」
「ありがとうございます!」
新渡戸は固定椅子の後ろへ回った。
「椅子は任せろ」
クロードも短く頷く。
「暴れたら押さえる」
「それでは第二工程、いきます!」
カノンが左手を掲げる。
ふわり。
指先から一本の銀糸が伸びる。
ぶわっ。
銀色の糸が一気に溢れ出す。
何十本。何百本。細い光の糸が扇のように広がり、部屋いっぱいへ舞い上がった。
夕陽を受けた銀糸は、蜘蛛の巣へ朝露が宿ったように淡く煌めく。
ファニーは思わず息を呑む。
「すごい……」
糸は空中でゆっくりとうねり、生き物の群れのように渦を描く。やがて、そのすべてが一斉に義手とアタッチメントへ集まり始めた。
無数の銀糸が金属を包み込み、隙間という隙間へ潜り込む。
「接続開始」
カノンが静かに告げる。
銀糸は今度は肩口へ向きを変えた。
無数の光が滝のように降り注ぎ、切断面へ吸い込まれていく。
一本。また一本。
骨、筋肉、神経へ、銀糸は迷うことなく走り、絡み、結び、縫い合わせる。義手と身体を一本の腕として編み直していった。
カチリ。
乾いた音が響いた。
その瞬間。
「――ッ!!」
マスターの全身が大きく跳ねた。
固定椅子が軋む。
「っ……!」
ファニーが必死に声をかける。
「マスター!!」
シエルも左肩を強く押さえ込む。
「押さえてください!」
「お願いだから我慢して!」
神経へ直接、灼けつくような熱が流れ込む。
「――グゥゥッ!!」
マスターの喉から押し殺した苦鳴が漏れる。
背中が弓なりに反り、固定具ががたん、と音を立てた。
右手は肘掛けを握り潰さんばかりに力が入り、額から汗がぽたりと落ちる。
カノンは銀糸を操り続ける。
「同期率上昇」
一本。また一本。
銀糸が義手の内部へ吸い込まれていく。
「あと少しです!」
ファニーは歯を食いしばる。
「マスター!」
シエルも全身で押さえながら声をかける。
「耐えてください!」
やがて。
ぴくり。
義手の人差し指が震えた。
続いて五本すべてがゆっくりと握られた。
「……動いた」
ファニーが呟く。
シエルも静かに頷いた。
「成功です」
カノンの顔へ、ようやく笑みが戻る。
「接続完了です!」
カノンが深く息を吐く。
「固定、解除します!」
ガチャ。
ガチャ。
一つずつ固定具が外される。
「はい、お疲れ様でし……」
最後まで言い終える前に。
ぐらり。
「マスター!」
ファニーが慌てて身体を支える。
「無理です!」
シエルもすぐ反対側へ回った。
「立たないでください」
「……あはは」
マスターは苦笑した。
「体に力、入らないや」
新渡戸が無言で肩を貸す。
クロードはソファを引き寄せた。
四人に支えられながら、マスターはゆっくりとソファへ腰を下ろす。
そのまま背中から倒れ込む。
「はぁ……」
天井がぼやけて見えた。
息だけが熱い。
しばらく誰も口を開かなかった。
やがて。
右手で、新しい左腕をそっと持ち上げる。
開く。
閉じる。
ぎこちない。
それでも、ちゃんと動く。
「……すごい」
マスターは小さく笑った。
「僕の手だ」
カノンの肩から、ようやく力が抜けた。
トルクも静かに息を吐く。
「同期率、安定しています」
シエルも穏やかに頷いた。
「問題ありません」
マスターはもう一度だけ指を握る。
今度は先ほどより自然だった。
「……アップデート完了、かな」
境界堂には、安堵したような笑いが静かに広がった。
「ところでさ」
何度か動かしたあと、不思議そうに首を傾げる。
「これ、結構重いんだけど……」
ぶらり、と義手を揺らす。
カノンは悪びれる様子もなく頷いた。
「はい。耐久性を優先したので、少し重量があります」
「やっぱりかぁ」
納得したように笑うマスター。
ファニーは腕を組んだ。
「で?」
「筋トレ、頑張ってください!」
元気いっぱいの返事だった。
「身体のバランスが取れないと、腰を痛めます!」
「事後報告なの!?」
思わずマスターが声を上げる。
シエルも冷静に補足した。
「妥当な設計です。体幹も含めて鍛え直す必要があります」
「味方が厳しいねぇ……」
少し休んでから。
マスターはソファへ手を付き、ゆっくり立ち上がった。
そのまま一歩踏み出した瞬間。
ぐらり。
義手の重さに身体が左へ引かれた。
「ほら!」
ファニーが慌てて手を伸ばす。
その前に、シエルがそっと肩を支えた。
「まだ重心が安定していません」
マスターは姿勢を立て直し、小さく笑う。
「これは……思ったより慣れが必要だねぇ」
すると、トルクがすっと横へ回り込んだ。
「肩を少し後ろへ。重心はもう少し右です」
「……急に有能」
「観測精度向上のためです」
真顔だった。
クロードがぼそり。
「便利な言い訳だな」
言われてもトルクは否定しない。
マスターは教えられた通り姿勢を整え、もう一度義手を持ち上げる。
今度は先ほどよりも安定していた。
ゆっくり拳を握る。
ぎゅっ。
内部から小さく機械音が鳴る。
「……まあ」
その音を聞きながら、小さく笑う。
「重いのは、慣れてるしね」
ファニーが首を傾げた。
「何それ?」
マスターは照れくさそうに肩をすくめる。
「まぁ、今さらかなぁ」
少しだけ義手を見つめる。
「抱えるものって、軽い方が珍しいし」
その言葉に、事務所内が静かになった。
シエルは義手へ視線を落とす。
「……ですが、今は一人で抱える必要はありません」
ファニーも何度も頷く。
「そうそう!」
カノンは勢いよく手を挙げた。
「なので筋肉も増やしましょう!」
「話がブレない!」
境界堂に笑い声が戻る。
マスターもつられて笑った。
「了解でーす」
新しい左腕へ目を向ける。
ゆっくり開き、閉じる。
マスターはゆっくり義手の甲を右手で撫でた。 まだ金属の感触には慣れない。
それでも。
「これも、ちゃんと僕の一部だ」
義手も。
失った痛みも。
これから積み重ねる時間も。
全部抱えて、生きていく。
午後の光が新しい左腕を照らしていた。
ファニー「まずはスクワット十回から!」
カノン「腕と体幹の強化も必要です!」
シエル「無理は禁物です。今日は十回で十分でしょう」
トルク「毎日記録を付けましょう。経過観測は重要ですヨ」
新渡戸「三日坊主になるなよ」
クロード「……サボったら連行する」
マスター「味方しかいないはずなのに、なんで包囲されてるの!?」




