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観測者は感情を知らない【フルサイズ】  作者: 白鐘サウザーいちご味
最終章 観測者は感情を知らない
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112/118

11-5 返事のない夜


■病院・夜


白。

消毒液の匂い。規則正しく響く電子音。


ピッ……ピッ……ピッ……


静かな病室。

ベッドの上では、マスターが眠っていた。

掛けられた毛布は、左肩の途中で不自然に沈んでいる。

そこにあるはずの膨らみは、もうない。


カーテンの隙間から街の灯りだけが淡く差し込んでいた。


ファニーはベッド脇の椅子へ腰掛けている。肘を膝につき、顔を伏せるような姿勢。

けれど、指の隙間から視線だけは一度もマスターを離さなかった。


「……」


何も言えない。

言葉にした瞬間、何かが壊れてしまいそうで。


少し離れた場所では、シエルが静かに立っている。背筋はいつも通り真っ直ぐ。手には手術の説明書類。


それなのに、開かれたページは、ずっと変わらない。一枚も、めくられていなかった。


ピッ……ピッ……


壁時計は、誰にも急かされることなく静かに時を刻んでいる。



ぴくり。


マスターの指先が、小さく動く。


「……!」


ファニーが勢いよく顔を上げる。

椅子が、ぎい、と小さく鳴った。

シエルも静かに視線を向ける。


閉じていたまぶたが、ゆっくりと開いた。

焦点が揺れる。

白い天井。

眩しい照明。

そして、二人の姿を映した。


マスターは小さく瞬きを繰り返す。


「……あれ?」


掠れた声。

それでも、その響きはいつものままだった。


「どうしたの」


少しだけ笑う。


「そんなに暗い顔して」


返事がない。


ファニーの唇が震える。何かを言おうとして、飲み込む。

シエルも静かに立ったまま動かない。


その沈黙を不思議そうに見つめながら、マスターはゆっくり身体を起こそうとした。


「っと……」


右腕を突く。

身体が少し浮く。

その瞬間。


ぐらり。


思ったより身体が支えられず、バランスを崩した。


「あれ?」


首を傾げる。視線が、自分の左側へ落ちた。

毛布、肩、そこで動きが止まる。


左肩から先。

そこには、あるはずの膨らみがなかった。


「…………」


左肩を見つめる。

何度か瞬きをする。


「……そっか」


少し間を置いてから、


「ああ、使っちゃったんだ」


その一言で、ファニーの堪えていたものが決壊した。涙が次々とこぼれる。


「"そっか"じゃないでしょ……!そんな簡単に言わないでよ……」


マスターは困ったように笑う。


「いやぁ、でも」


言いかけたところで。


「緊急手術でした」


シエルが静かに告げる。


「命に別状はありません」


視線が、毛布の左側へ落ちる。


「ですが、左腕は……失いました」


マスターは左肩を見つめる。

少しだけ息を吐く。

それから笑う。


「……助かっただけでも、十分かな」


「十分じゃない!」


ファニーの声が弾ける。


「腕なんだよ!?」


涙が止まらない。


「もう戻ってこないんだよ!?」


マスターは少しだけ目を丸くする。


「うん。そうだね」


右手で頭を掻こうとして。

途中で苦笑した。


「あんまり慣れないな」


その何気ない仕草が、かえって胸を締めつけた。


「笑わないでよ……。そんな普通みたいに言わないで……」


マスターは困ったように眉を下げる。


「普通じゃないよ。でも、みんなで帰ってこられた」


優しく笑う。


「それが、一番よかった」


病室が静まり返る。


シエルは目を閉じる。

ほんの一瞬だけ、感情を押し込めるように。

そして静かに目を開いた。


「……あなたは」


少しだけ声が柔らかくなる。


「自分を、軽く扱いすぎです」


マスターは首を傾げる。


「そうかな」

「そうです」


即答だった。


「あなた一人が欠けても、……俺たちは喜べません」


ピッ……ピッ……


規則正しい電子音だけが流れる。


マスターは二人を見つめる。

少し照れくさそうに笑って。


「……そっか」


その一言だけ。

今度は、少しだけ受け止めたような響きだった。


ファニーはぐしゃぐしゃの顔のまま笑う。


「……ほんと、ばか」


ベッドの脇へそっと手を置く。

シエルも小さく息を吐く。


「……ええ。本当に」



やがて面会時間を告げる放送が流れた。

ファニーは何度も振り返りながら病室を出る。

シエルも静かに一礼し、その後に続いた。


病室には再び規則正しい電子音だけが残る。


そして、長い夜が明けた。



……



術後の経過は順調だった。

数日後。

マスターは集中管理病室を離れ、一般病棟へ移った。


昼の穏やかな光が病室へ差し込む。


ベッドの端に座ったマスターは、右手だけでコップを持ち上げる。少し傾き、ぴちゃ、と水が膝へこぼれた。


「あ」


ファニーが慌ててタオルを差し出す。


「ほら、ゆっくり!」


シエルは記録を見ながら淡々と言う。


「まだ重心が左へ寄っています」

「むずかしいねぇ」


マスターは苦笑した。

右手でコップを置く。

そして、ふと左肩へ視線を落とした。


だが次の瞬間。


「あっ」


何かを思いついたように顔を上げる。


「義手ってさ」


ファニーが即座に身構える。


「……嫌な予感しかしない」


「サイコガンとか付けられない?」


沈黙。


「できないよ!!」


病室へツッコミが響く。

シエルがため息をつく。


「医療機器ではありません」

「じゃあフック!」


「方向性が悪化しました」

「ピーター・パン!」


「著作権以前の問題です」


ファニーは頭を抱えた。


「なんで全部武装なの!?」


マスターは肩を揺らして笑う。


「いやぁ。笑っとかないと、重いでしょ」


その言葉で、病室が静かになる。

シエルはゆっくりマスターを見る。


「……ええ。あなたは、そういう人です」


ファニーも小さく笑った。


「バレバレなんだよ」


マスターは照れくさそうに頭をかく。


「でも、代わりはいくらでも考えられます。生活も、戦い方も、全部一緒に作り直しましょう」


マスターは少しだけ目を丸くして。

それから。


「……うん」



こんこん。

ノックの直後、勢いよく扉が開いた。


「失礼します!サイコガンのお話を聞きました!」


カノンが元気よく入ってくる。


「ナースステーションまで聞こえましたよ!面会簿を書かなくて良いならすぐに飛んできたのに!!」


「あ」


ファニーが口を押さえる。

マスターは肩を揺らして笑う。


「結構盛り上がってたもんねぇ」


カノンは目を輝かせる。


「発想は素敵だと思います!」

「でしょ?」

「乗らないで!」


ぺちん。

軽く叩かれる。


「いたっ」

「痛いなら黙って!」


シエルが小さくため息をつく。


「……話が進みません」


カノンは咳払いを一つ。


「もちろん、サイコガンは現実的ではありません」

「だよねぇ」


少しだけ残念そうなマスター。


「ですが」


端末を開く。

画面へ義手の設計図が映し出された。


「義手なら話は別です」


病室の空気が少し変わる。


「日常生活用だけでなく、境界堂での活動も考慮した仕様にできます」


画面を切り替える。


「保持機構、耐衝撃性、重量配分。必要なら専用装備の取り付けも可能です」


ファニーが覗き込む。


「そんなことまでできるの?」

「はい!」


カノンは嬉しそうに頷く。


「失ったものを取り戻すことはできません。でも」


少しだけ声を和らげる。


「これから使いやすいように作ることはできます」


静かな言葉だった。

マスターは画面を眺める。


「……そっか」


右手で頬をかく。


「新しく作るんだ」

「はい」


カノンは笑った。


「マスター専用です」


その一言に、マスターも自然と笑みを浮かべる。


「なんだか楽しみになってきた」


ファニーが腕を組む。


「サイコガンじゃないなら許す」

「最後までそこなんだ」

「そこだよ!」


病室に笑い声が広がる。

シエルも小さく息を吐き、口元をわずかに緩めた。


「まずはリハビリです」

「はーい」


素直な返事。


窓の外では、午後の風が木々を揺らしていた。

失われたものは戻らない。


それでも、前へ進む方法は、これからいくらでも作っていけるのだから。



■病院・夕方


窓の外では、夕陽が街を橙色に染め始めていた。

病室にも長く伸びた影が差し込み、一定の風音だけが、静かな病室を満たしている。


こんこん。


控えめなノックのあと、扉が開いた。


クロードだった。

いつもと変わらない無表情のまま病室へ入り、その視線は自然とベッドへ向かう。


マスターは身体を起こし、右手だけで紙コップを持っていた。少し傾き、水が縁からこぼれる。


クロードは何も言わず歩み寄る。

その視線は、途中で左肩へ止まった。

毛布の下にあるはずの膨らみは、もうない。


「……お前は、もう能力は使えないのか」


静かな問いだった。


マスターは少しだけ考え、それからいつものように笑う。


「代償に捧げちゃったからねぇ」


左肩へ目を向ける。


「もう、うんともすんとも言わないよ」


その笑顔を、クロードは黙って見つめていた。


「まあでもさ。異能なんて、なくても何とかなるよ」


病室に時計の音だけが響く。

クロードはゆっくり一歩踏み出した。


「……そうか」


短い返事。

しかし、その一言には納得とも諦めともつかない重さがあった。


ベッドの脇まで来ると、クロードは静かに口を開く。


「なら」


ほんのわずかに言葉を選び、


「次からは、お前を前に出さない。戦闘は俺たちがやる」


クロードは真っ直ぐマスターを見る。


「お前は後ろで見ていろ」


マスターは苦笑する。


「それ、退屈じゃない?」

「知るか」


即答だった。

そして少しだけ目を伏せる。


「……死なれるより、ずっとマシだ」


静寂。


マスターはしばらくクロードを見つめる。


「そっか」


少しだけ笑う。


「じゃあ、任せるよ」

「……ああ」


それだけ。

クロードは踵を返す。

扉へ向かいかけて、


「……クロード」


呼び止められる。


「ありがとう」


クロードは振り返らない。


「礼はいらん」


少しだけ間を置いて。


「生きて返せ」


そのまま病室を出る。



夕陽はゆっくりと街の向こうへ沈んでいく。


失ったものは大きい。

それでも、境界堂の役割はまだ終わっていなかった。



■病院・夜


病室の灯りは落とされていた。

カーテンの隙間から街の灯りだけが細く差し込み、白い天井へ淡い帯を描いている。

廊下では看護師の足音が遠く響き、どこかの病室で点滴のスタンドが小さく軋んだ。


それ以外は、静かだった。

マスターはベッドの背を少し起こし、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


右手が毛布を整える。


左肩へ視線が落ちる。


そこへ何かを探すように手を伸ばしかけ、 途中で止めた。


「いやぁ」


小さく笑う。


「今回は本当に危なかったねぇ」


そう言ってから、マスターは黙る。

いつものように、頭のどこかで返事が返ってくるのを待った。



……



何も聞こえない。

そこでようやく。


「あ」


静かに思い出す。


「……そっか」


ゆっくり息を吐く。


「僕、一人なんだ」


病室は何も変わらない。

灯りも、夜の静けさも、窓の向こうの街も。


ただ一つだけ、返事をくれる存在がいなかった。


マスターは少し照れたように笑う。


「元々は一人だったのにね」


右手がそっと左肩へ伸びる。

途中で止まる。

行き場を失った手は、そのまま毛布の上へ静かに戻った。


「いつの間にか」


少しだけ目を細める。


「いるのが当たり前になってた」


しばらく黙って窓の外を見つめる。

遠くで救急車のサイレンが小さく響き、また静けさが戻る。


「……さみしいね」


それでも、その言葉は、もう誰にも届かない場所へ静かに零れた。


「おやすみ」


返事はない。


それでも、その一言だけを置いて、マスターは静かに目を閉じた。



窓の外では、街の灯りだけが夜を照らし続けていた。



マスター「義手のギミックといったら、ロケットパンチ、巻き取り式ワイヤー、ガトリングガン、いやいや、パイルバンカー……」

ファニー「どこ目指してんの!?」

シエル「まずは日常生活をクリアしてください」

マスター「でも、やっぱりサイコガンは捨てがたい」

カノン「ですよね!」

クロード「……弾数次第だな」

ファニー「検討しないで!?」


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