18.女神の祝福
セシルは女神の力が出ない理由にひとつ心当たりがあった。
それはあの時、女神の力がアレックスに向かった時。
セシルは初めて女神に対して怒りを覚えた。大事な人を傷つけるのならば、女神のことを絶対に許せないとまで思ったのだ。
あの時は女神の魔力が直接体内に入ってきた分、女神の意思が感じられた。気を失うその直前、女神から感じたのは自責とか後ろめたさとかそういった類いのもの。それでいてセシルに対して謝っているかのようにも感じたのだ。そして女神のその感情は今も感じている。それは以前は感じ取れなかった類のもの。
前は傍に寄り添うようにあった女神の魔力。だが、今はもっと近くにその力は感じる。それとともに女神の感情もなんとなくわかるようになっていた。
「お慕いしております」
それは確認するかのような小さな呟き。
それでもそれはセシルの本心からの言葉。緊張と溢れるアレックスへの想いからセシルの胸はずっと高鳴っている。だが部屋の温度は下がらないし、氷が舞うこともない。もちろんセシルが恐れていた邸中を凍らせるなんてこともない。
だがそれは自分がコントロールしているというよりも女神の意思で力が押さえられていると感じがした。
女神に関する記述は決して多くはない。だからこそまだ解明されていないことが多い。
いとし子本人であっても知らないことばかり。だからこれは推測に過ぎないが、女神の魔力がセシルに入ったことにより二人の魔力が少し交じり合い、そしてそこに女神の意思も介入するようになったのではないか、ということ。
前より近くなった女神の存在を感じてセシルは顔を上げた……のだが、思ったよりも近くにあったアレックスの顔にセシルの動きがとまり、そしてゆっくりと3度ほど瞬きをした。それは昔から変わらない驚いたときのセシルの癖。
対するアレックスは普段柔らかな笑みを浮かべる口元をぽかんと開け、いつも優しげなまなざしをセシルに向けるロイヤルブルーの瞳だが今は焦点が合っていない。
「アレックス、様……?」
問いかけるようなセシルの声を合図にアレックスの焦点がセシルに合わさる。
「セシル、今の聞き間違いじゃないよね……?」
「今の……」
たっぷりと時間をかけたあとセシルがその意味を理解し、小さく「あ」と声を漏らす。
小さな声はしっかりとアレックスの耳に届いていたらしい。
「幻聴? もしや私の願望が……」
「いえ! 違います」
慌てて訂正するセシルにアレックスは期待を込めた目を向ける。
「ほ、本当に……?」
「わたくしは、アレックス様のことが好き……です」
一言一言ゆっくりと紡がれるセシルの言葉にアレックスはくしゃりと顔を歪める。
「セシル!」
ぎゅっとその腕にセシルを抱きしめるアレックス。突然のことで何が起こったかわからないセシルであったが、アレックスの温もりと香りを強く感じて体温を高くさせる。そしておずおずと腕を上げ、自らも逞しいアレックスの背に手を回した。
「一生大事にする。好きだよ、セシル」
耳元に優しく響く低音にセシルは聞き入るように目を閉じ、想いを口にする。
「わたくしもアレックス様を一生大事にいたします」
「セシル……」
少し離された身体。だが視線は近くで絡み合う。
その深いロイヤルブルーを見つめるセシルがふと口を開く。
「サンドラ様とはやはり少し色が違いますね」
「………え?」
少し顔を近づけるようにしていたアレックスの動きがそこで止まる。
アレックスの頬に触れるのはセシルの手。その手がするりとアレックスの目の際を撫でる。
「サンドラ様は晴れわたった空のような瞳でした。とても綺麗だと思ったのを覚えています。でもアレックス様のこの深い海のような色も好きです」
「あ、ああ……。瞳……。色は、成長とともに濃くなった……んだ……」
身を乗り出して瞳を覗き込むセシルにアレックスの心拍数が上がる。
「セ、セシル……」
今まで自分からセシルに触れてきたアレックスからしたら、こうも無防備に触れられるとどうしていいかわからず体を強ばらせる。
「髪の色も。サンドラ様より濃い色です。でもわたくしはどちらも素敵だと……」
「セシル! ああ、もうっ」
背伸びをして髪にふれてくるセシルの頬がアレックスの頬に当たった瞬間、アレックスは我慢ができないというように思わずその身を抱きしめた。
「わざと? 待てをさせられた後にこんなに無防備に近寄るなんて」
「え……」
そんなつもりは露ほどもないセシルがアレックスの言葉を理解しようと必死に頭を働かせる。
「セシル、君に触れたい。もっと近くで君を感じたい……」
「え……、あ」
熱を持った瞳に見据えられ、セシルの頬が温度を上げる。ウェッジウッドに来るまでのセシルならそう言われても理解できなかっただろう。だが今は、この地で今まで読んだことのない恋愛の本もたくさん読んできた。
だからその真意に気づく。
「あ、わたくしも……。あの、でもお手柔らかに……」
最後まで言い終わるより前にセシルの唇に柔らかいものが触れる。それと共にアレックスの香りを強く感じて、セシルはぎゅっと目を閉じた。
「ごめん。私も初めてだから加減がわからない」
一度離れたあと、そう言ってまた触れる唇。
セシルはそんなアレックスの言葉に驚きつつも嬉しさを感じた。声を発することができない分、アレックスの背に回る手に力がこもる。
何度も角度を変えて重なる唇にセシルの息が上がるころ、ずっと感じていたアレックスの体温が少し離れる。
そっと瞳を開けると、未だ至近距離にいて蕩けるような瞳でセシルを見るアレックスの姿。
「セシル。結婚式で誓う前に、幼いころからセシルとともにありセシルを護る女神に誓うよ。私が愛するのはこれから先もセシルだけ。これから先は遠慮なく甘やかして心置きなく愛を囁いて、たくさん触れ合って。そしてセシルが心穏やかに過ごしていけるよう最大限の努力をする」
そう言って額に唇を寄せるアレックスにセシルは思わず手で顔を覆う。
「もうすでに心穏やかではいられません……」
「まだまだだよ。まだ足りない」
「……お手柔らかにお願いいたします」
アレックスの胸に顔を埋め消え入りそうな声で先ほどと同じセリフを言うセシルをぎゅっと抱きしめ、耳元に口を近づける。
「善処するけど、約束はできない」
そう言ってこめかみにちゅっと小さなリップ音を立てる。
思わず顔を上げれば、今度はセシルの頬にリップ音が立てられる。今日だけでキャパオーバーなほどの触れ合いに、顔の熱がなかなか引かないセシル。それでも顔を下げることはしない。ずっと優しく見てくる深い青い瞳から目が離せなかったから。
「この先もずっとセシルを愛してる」
「わたしくもアレックス様を愛しています」
自然と二人の距離が縮まり再び唇が重なりあう。
その瞬間、今まで見たこともないほどの銀色の華が舞い降りたのだが、二人がそれに気づくのはもう少しあとのこと。




