17.取り戻した日常
セシルが目を覚ますと、そこは自室のベッドであった。
頭がうまく働かず、しばらくぼうっとベッドの天蓋を見つめていた。その後視線を横にしたところで、部屋に入ってきたミアと目が合う。
「奥様! 目が覚めたのですね」
駆け寄るとミアはセシルの背中にクッションを入れて起き上がるのを手伝う。
「ミア……」
かすれた声が出て少し咳き込むセシルにミアはベッドサイドに置いてあった果実水をコップに注ぎ、セシルの口元へ。
冷たい果実水が喉を潤し、そしてハッとしたようにミアを見る。
「スノーワスプは……」
クッションから背を離したところで、くらりと頭が重くなりクッションに沈み込むセシル。
「奥様、無理をなさってはいけません。奥様は魔力欠乏症で丸1日眠っておられたのです。まだ魔力が完全に回復されていないので、安静にしていてください」
「魔力欠乏症……」
少しずつセシルの記憶が蘇る。魔力が切れ、セシルの体に女神の魔力が入り、そこで女神の力が暴走したこと。その暴走を止めてくれたアレックスのこと。そして。
「サンドラ様……」
「サンドラ様?」
セシルの言葉を拾ったミアにセシルは首を振る。
「いえ、アレックス様は……? まだスノーワスプと?」
「旦那様は……」
とミアが言ったところで、ドアがノックされた。
ドアをあけそのまま退室したミアと入れ違いに入ってきた人物は。
「アレックス様!」
「セシル。よかった。目が覚めたんだね」
ベッドサイドに腰掛け、セシルをのぞき込むアレックス。
「まだ顔色が悪いな。眠れそうならまだ眠った方がいい」
そう言ってセシルの背のクッションを調節しながらセシルを寝かせるアレックス。
「アレックス様、スノーワスプは……」
心配げなセシルにアレックスは「ああ」と言って安心させるように笑う。
「大丈夫。討伐したよ」
「ではスタンピードは」
「終わったよ。思っていたよりも早くね。周辺の領地からの応援が来る頃には終わってみんな唖然としていたぐらい。スタンリー伯爵も駆けつけてくれたんだけどね、終わったと伝えたときの顔はおかしかったよ」
そのときを思い出したのかアレックスが肩を揺らす。
だが、そんなアレックスを前にセシルは眉を下げ頭を下げる。
「わたくしは戦いのこと何もわかっていないのに勝手に戦場に出て、皆様を危険な目に遭わせてしまいました。本当に申し訳……」
「セシル、謝らないで」
アレックスはベッド脇に跪きながらセシルの顔を上げさせる。
「ですが」
「これだけ早く終わったのはセシルのおかげなんだから」
「わたくしですか……?」
セシルの言葉に頷くアレックス。
あのとき、気を失ったセシルを部屋に寝かせてからアレックスはすぐに戦場へ戻った。セシルを戦場に出してしまった責任からアレックスは力を温存することなく全力でこのスノーワスプに対峙するつもりだった。
だからまず領地を護るために施していた結界を解いた。結界維持にはかなりの魔力を使う。それを解き攻撃に専念しようと思ってのことだった。
全魔力をもってそれを練り上げ高濃度の火魔法を操りながらスノーワスプを駆逐していくアレックス。広範囲にわたり討伐するアレックスに兵士たちは感嘆の声を漏らす。
そしてそれはアレックスが思っていたよりも早く終わりがきた。魔の森からの飛んでくるスノーワスプの数が極端に減ってきたのだ。
不思議に思いつつこちらに向かってくるスノーワスプを討伐していきながら魔の森へ向かっていたアレックスの足がふと止まる。向こうから魔の森付近を託していた兵士たちがこちらに向かってきていたから。
「アレックス様!」
「どうした?」
「クイーンが!」
その言葉にアレックスに緊張が走る。スノーワスプの統率した攻撃には必ずクイーンの存在がある。そのクイーンを討伐しなければこのスノーワスプの襲撃が終わることはない。
クイーンはスノーワスプ全てを束ねるトップ。今対峙するスノーワスプよりも大きく、魔力や知能も上。普段はどこへ潜み、攻撃は全て我が子でもあるスノーワスプを使って繰り出される。
そのクイーンがとうとう姿を現したのか?
アレックスがそう考えた時、兵士から思いもよらぬ言葉を聞くことになる。
「クイーンが氷漬けに」
「なに?」
「とにかくこちらへ」
兵士から案内された森の中にそれはあった。
大きな氷の塊の中にはまるで生きているかのようなクイーン。
襲ってきたスノーワスプよりも一回りも二回りも大きな体。胸部には真っ白なふわふわとした毛。間違えようもなくそれはスノーワスプのクイーンであった。
「これは……。氷の女神の……」
アレックスがその氷から感じたのは氷の女神の魔力の波動。
そこでアレックスがその女神の真意に気づく。
女神はいとし子を護る。
単純なことだった。氷の女神はセシルにとっての一番の敵を理解し、それを攻撃したのだと。
指揮官を失ったスノーワスプの大半は森へと帰り、残党は兵士たちで討伐したという報告を聞くアレックス。
ゆっくりを歩を進め、クイーンを閉じ込める氷に触れるとピシッと大きな音を立てて氷に割れ目ができた。思わず飛びのき防御の姿勢を取りながら事の成り行きを見守るアレックスの前で、その氷の塊はミシミシと音を立てながら幾筋もの亀裂が入り、やがて白い蒸気をまき散らしながら粉々に割れた。
「終わった、のか……?」
それは後方にいる兵士の声。
その兵士の疑問はアレックスの中で確信を持つこととなる。
目の前で起きたクイーンの最後をもってこのスタンピードは終わりを告げたのだと。思っていたよりも早い終わりにアレックスもまだ信じられない気分だが、それでも犠牲者を出すことなく終わったのだと気を取り直して後ろを振り返る。
「クイーンは氷の女神によって討伐を終えた。これでスタンピードの脅威が去ったと言えるだろう。みんなご苦労であった!!」
アレックスの言葉に皆が歓声をあげ、それぞれを労い喜びを分かち合った。
そうして、138年ぶりにウェッジウッドに訪れた災厄スタンピードは丸1日で終息を迎えた。
「氷の女神が……」
話を聞いたセシルが瞬きをしながら驚きの表情をアレックスに向ける。自分の知らぬところで氷の女神が力を貸していてくれたことに驚きを隠せない。今までは自分の周りでしか女神の力は影響されないと思っていたから。
「あのとき、セシルの力は確実に敵の将を討ったんだ」
「それは女神の力で、わたくしは何もできなかったのです」
「女神の力もセシルの力だ。セシルを戦場に出さないと言ったのに情けないが、セシルに助けられたよ。領地の誰も犠牲になることなく、このスタンピードを終わらせられたのはセシルのおかげだ。ありがとう、セシル」
アレックスの言葉は不思議だ、とセシルは思う。
まだまだ足りないものばかりの自分でもできることがあるのだと、そう自信をつけさせてくれる。
「邸の部屋中にに薪を入れるよう指示したのもセシルだと聞いている。温度が上昇したこの邸にはスノーワスプは近寄りもしなかった。それも君の知識のお陰だ」
ふわりと柔らかくアレックスの顔にセシルの中でぼんやりとした記憶しかなかったあの時の憧れの女性の笑顔が重なった。
「アレックス様は、サンドラ様なのですか?」
気づけばセシルの口から自然とその言葉が出ていた。
その問いにわかりやすくアレックスが固まり、そして息を吐きながら顔を両手で覆った。
「忘れたままでよかったのに……」
それは小さな呟きだったのだが、それを聞き逃さなかったセシルはゆっくりと起き上がって首を振る。
「わたくしはサンドラ様のことを忘れたことはありません。サンドラ様に会いたくて。サンドラ様に褒めてほしくて。ずっと頑張ってきたんです」
セシルの言葉にアレックスは手を下ろし、セシルと視線を合わせる。
「うん、セシルはいつもすごく頑張っている」
「どうして教えてくれなかったのですか?」
「サンドラは女性の姿だっただろう? 私は……、セシルには男としてみて欲しかったから。はじめからアレックスとしてセシルとは接して、私のことをいつかは好きになってくれたらと……」
「それは……」
セシルの顔にさっと朱が走る。
もうすでに好きだ、と口走りそうになって思わず口を噤む。咄嗟のことで感情が昂ってこの部屋を凍らせてしまうのではと懸念したのだ。
だが、なぜかいつものように氷が舞うことも温度が下がることもなく、セシルは不思議そうにあたりを見回す。女神の魔力は今もなおこのすぐそばに感じるのに、その力が動き出す気配がなかったのだ。




