16.妖精姫
それは思い付きだった。
自身の名である「アレキサンダー」の女性名から考え付いただけの名前。
それでもセシルが何度も「サンドラ様」と可愛らしい声で呼ぶと、特別な名の様に感じた。
セシルのことは貴族の令嬢とはいえ、初めから苦手意識はなかった。それは幼いからなのか、それとも小さな姿で頑張る姿に感化されたのか定かではない。それでもアレックスからしてみれば不思議と大事にしたいと思える存在であった。
だから、アレックスはセシルに惜しみなく自分の知識を与えた。
女神の力をコントロールするにあたって、まずは自分の魔力をコントロールしようとするセシルにその方法を教えたり、ときには自分の魔力を使ってセシルの魔力を抑えたりもした。そんなことを他人の、ましてや令嬢に対して自分がするとは思いもよらなかった。
信用できるものは母親しかいなかったアレックスにとって、それは驚きの変化であった。人を傷つけるのが怖いと涙を流す姿やどれほど上手くいかなくとも決して諦めない姿。その幼い身体にどれほどのものを背負っているのか。それなのに、そのことに関して一切弱音をはかないその強さ。その全てがアレックスからすると眩しくもあった。
そのセシルの姿は幼い頃母親に読んでもらった童話を思い出させた。その頃は自分の身分も周囲の悪意も何もわからず、ただただ母親との幸せな時間を過ごしていた日々。母親に読んでもらう本は全て好きだったが、とりわけてアレックスが気に入っていた物語があった。
それは「妖精姫の冒険」というタイトルで、そのタイトル通り冬の妖精国の姫の冒険だ。何の力も持たず生まれた姫が周りから虐げられ、やがて姫はその国を飛び出し色んな世界を旅する、といった話だ。アレックスが心打たれたのは、この姫の優しさと強さであった。不遇な人生を嘆きもせず、常に前を向き決して人を傷つけない。力を持たない姫が旅をするのも苦労の連続なのに、姫の綺麗な心と強さに人は惹かれ力を貸し、そしていろんな問題を解決していく。
アレックスは今まさに姫の人柄に惹かれて力を貸す人々と同じ気持ちになっていた。奇しくもセシルの髪色はイラストにも描かれている冬の妖精の髪色と同じ。日に透けると銀色に輝きを放つ綺麗なホワイトシルバー。その輝きを見てアレックはぽつりと漏らす。
「妖精姫」
それは小さな声だったのだが、目の前にいたセシルは顔を輝かせながらばっとアレックスを振り返る。
「妖精姫の冒険。わたしも知っています」
思い出すかのように口元を綻ばせるとあたりが冷気を帯びる。それにハッとしたようにセシルは口を噤んで自らの魔力をコントロールするのに気を引き締める。
「セシル、大丈夫だよ。ここには私しかいない。多少寒くなったって平気。最近は暑い位だからちょうどいいよ」
アレックスが頭に手を置いてセシルを見て笑う。
「サンドラ様……」
「そんなに焦らなくても、セシルは大丈夫。セシルならきっとできるよ。優しくて強くて頑張り屋な妖精姫」
妖精姫に忠誠を誓う騎士の真似でセシルに跪けば、セシルはその表情を和らげた。
「今日はセシルにお土産があるんだ」
「お土産……?」
「そう。口を開けて」
アレックスの言葉に素直に従うセシル。ころんと口に入ったのは今まで食べたことがない甘いなにか。飴とは違って柔らかく、それはセシルの口の中で甘く溶けた。
「美味しい」
初めて食べるその味をゆっくりと堪能してからセシルはアレックスを見上げる。二人の周りは温度が下がってキラキラと氷の破片が舞う。
「これはチョコレート」
「チョコレート……」
ついこの間、アレックスの母はひっそりと葬送を終えた。このチョコレートはその時参列していた母の兄であるスタンリー伯爵からもらったもの。アレックスはたまに伯爵から贈られてくるこのチョコレートを母と二人で食べるのが楽しみだった。その母もいない。
だが今は。セシルの少し遠慮がちに笑うその表情がアレックスの心の隙間を埋める。復讐心に駆られていたアレックスの心がセシルとの交流で少しずつ和らいでいくのをアレックスも感じていた。
だが、こんな日々が長く続くわけがないことはアレックスが一番わかっていた。
セシルとの出会いから1月ほど経ったとき。アレックスがいつものようにドレスに着替えるも、丈が短くなっていることに気づいた。今まではすんなり着ることができたドレスがどれも窮屈だと感じたのはつい最近の話。鏡の前には未だソフィアに似た美少女が映る。だが、アレックスの体の変化は確実にあった。
「潮時、か……」
そう呟くアレックスの声も少し掠れたものだった。
自分を女性だと信じているセシルを騙している後ろめたさはある。だが、自分が男性だとわかればきっともう会えなくなることはわかっていた。セシルはアレックスの兄である第一王子の息子、つまりアレックスの甥であるアンドリューと婚約していることはアレックスも知っている事実だ。婚約者がいる身でありながら別の異性と二人きりで交流を持つことは良しとされない。真面目なセシルももちろん自分から距離を置くだろう。
ここ最近はセシルのお陰でアレックスは自分が思っているよりも穏やかな日々を過ごしていた。だがそれももう終わりが近づいている。
ならば、とアレックスは思う。どれほど穏やかな日々を過ごそうともイザベラを許すことはまた別の問題である。アレックスは到底イザベラを許すことはできないと今で思っている。自分の集めた情報だけでは足りないかもしれないが、それでも正面から王である父にイザベラのやってきたことを告発しようと決意した。
当初力でどうにかしようと思っていたアレックスであったが、セシルと交流をもつことでセシルに恥じない生き方をしようと思うようになったのだ。
だがそんな矢先。
国王陛下崩御。
そのニュースはすぐにアレックスの耳にも入った。
アレックスが行動を起こす前に国王が亡くなり、立太子していた第一王子がそのまま即位した。立太子したこともそうだが、あれほどアレックスを王位にという声があったにも関わらず、それはあっけなく決まった。
王位など興味が無かったアレックスとしても願ったりのことではあるが、その結果イザベラの思うように事が動いているのは気に入らなかった。そして今や王太后となったイザベラへの罪をどう明るみにすればよいのか。
自分の味方はいない。これから先自分がどうすればよいかもわからない状況に陥ったアレックス。そんなときでもアレックスが自分を見失わずに済んだ存在。
「サンドラ様。大丈夫ですか?」
小さな手が頭に触れ、アレックスは頭をあげる。そこには心配そうに顔を覗き込むセシル。
アレックスはセシルの手に触れ、そのまま両手で握り混む。
一つだけわかるのは、この幼い少女には幸せになってほしいということ。自分と同じように幼い頃から運命に翻弄されてきたにもかかわらずたゆまぬ努力を続けるセシルには、いつかこの努力が報われて心穏やかに過ごせるときが来てほしい、そう願わずにはいられなかった。
そしてそのために自分ができることは限りある日々の中でセシルには自分の知る全てで力の制御を手伝うことだけだった。
アレックスが女性に変装するのに限界を感じて数日。国王崩御に続いてアレックスの耳に驚くべきニュースが耳に入った。
それは即位した新国王が王太后を断罪したという実に信じられない話。
その話の真偽を確かめるため王宮に入ったアレックスを待っていたのは新国王であるアレックスの兄であった。
イザベラの子である国王に対し、いろいろ思うことがあったアレックスであったが、初めて会った兄と呼ぶべき国王は不思議と憎む気持ちにはなれなかった。国王となった兄はイザベラの罪をアレックスに全て話し、その上で謝罪をしたのだ。イザベラの罪に加担をすることはなかったものの、その原因となった自分にも責任があるとアレックスには思うように生きられるように援助も申し出たのだ。
アレックスには叔父であるハウエルから養子にという話もあった。だがそれは王家にとっては不安分子になるであろうことはアレックスにもわかっていた。ソフィアのことで王家に不信感を持ってもおかしくはないスタンリー伯爵家に、王族でありさらにはソフィアの子であるアレックスが養子に入れば王家に仇なす存在と考えられる。
だが、国王はそれでも構わないと、それほどのことをしたのだと、そういった覚悟からアレックスに自由を与えようとしたのだ。憎むべきイザベラは処刑され、さらには謝罪から自分への自由を与えようとする目の前の国王に、アレックスは深く頭を下げた。
この国王であれば、自分は忠誠を誓える。初めて会ったと思えないほど、アレックスは国王とこの国のことやいろいろなことを話し合った。
話の中でアレックスの中で少しずつ形になっていく未来のこと。セシルが心穏やかに過ごせるために自分には何ができるのか。この王国をよりよいものにしていくにはどうするべきか。王族としての自覚なんてなかったのに、自分の心には王国をよくしたいという気持ちがあったことに驚いた。
「私は王位継承権を放棄し、英雄王アレキサンダーの名を返上しアレックスとして北の地ウェッジウッドへ行きたいと思います」
「ウェッジウッド? なぜそんな……」
何度目かの国王との謁見という名の兄弟の語らい。そこで形になったアレックスの思いをそのまま話すアレックス。
ウェッジウッドはこの国の護りの要。気候的にも地理的にも王国一厳しい場所と言われる領地だ。アレックスが考えたのは自分の高すぎる魔力と優れた魔法適正を生かして王国を物理的に護る方法であった。それに一番最適だと考えたのがウェッジウッドへ行くことであった。ウェッジウッドの領主は実力至上主義である。血のつながりではなく、実力や能力、人格によって領主が決まる。王国の盾とも言われるこの領地は王家に対する忠誠心も高い。そこに行くことでアレックスは王家の権力の争いからも離れられ、さらにはいずれ王妃となるであろうセシルのこの先を護りたいとも考えたのだ。それが王国を護ることに繋がる。
アレックスの思いが強いことを知った国王はそれ以上は何も言わず、アレックスをウェッジウッドへ送り出すことを承諾した。
ただ一つの心残りはセシルに正式に別れの挨拶ができなかったこと。ウェッジウッドに行くと決まってからのアレックスの体の変化は早かった。それはもうドレスを着られるものではなくなっていた。
そしてその後セシルとは会えないままアレックスは北の地へ旅立った。




