15.サンドラ
アレクサンダー・ルクス・ローゼンバーグ。
それはアレックスがこの世に生を受けたときに、先代王である父親がつけた名である。生まれたときに測定された魔力の高さと王族としては待望の光の魔法の属性があったことから名づけられたもの。
アレクサンダーとは歴代王族の中でも高い魔力と魔法の才でこの王国の領地を広げた魔法王と名高い英雄とも呼ばれる王の名である。その名をつけたとき、最も動揺したのは先代王の正室であるイザベラであった。なぜならイザベラの子である第一王子は魔力も普通で魔法も水と風しか属性がなかったから。王が自ら英雄と謳われる名を庶子に与えるとは思ってもみなかったのだ。
ただでさえ自分のメイドをしていたソフィアが王の寵愛を受けたこと自体耐えがたい屈辱であったし、さらには男児が生まれ与えられた名は英雄ともいえる王族の中でも有名な名前だったのだ。イザベラの胸中は穏やかではいられなかった。そしてその怒りの矛先は当然のようにソフィアやその子であるアレックスに向かった。
始めはソフィアに対する嫌がらせから始まり、それはやがて第一王子派とアレックス擁護派に別れた高位貴族たちをも巻き込んでアレックスを亡き者にしようと画策するまでに至る。
高すぎる魔力によって常に高熱を出していたアレックス。それに加え、第一王子派から命を狙われるようになり、母親であるソフィアの心労は限界まできていた。それを心配した先代王はソフィアとアレックスを王宮の離れに移したわけだが、そんな状況でもアレックスを亡き者にしようと画策するものは現れる。
食べ物に毒を仕込まれることは日常茶飯事。正室イザベラが送り込んだ優しい顔をした侍女に命を狙われたことも1度や2度ではない。そんなアレックスの命を救ったのは、時にアレックスを苦しめてきたその高すぎる魔力でもあった。高い魔力と光属性の魔法がアレックスの命の危機に働きかけ何度も命を救ってきたのだ。
成長するにつれ、自らの置かれた立場に嫌気がさしてきたころには、自身の持つ強大な魔力をコントロールできるようになっていた。そして反対に元々身体が強くはなかった母ソフィアが倒れベッドに伏せるようになる。その時アレックス12歳であった。どんどん弱っていく母親を見て、アレックスは居ても立っても居られず自分や母親の敵を知るために王宮に忍び込むようになった。
もちろん本来の姿で王宮に出入りすれば第一王子派の者たちに何をされるかわからない。そこで思いついたのが変装である。寝込むことが多かったアレックスは12歳に成長してもその身体は小さく、また線も細かった。
長く伸びた薄い金色の髪を結い上げ、最初はメイドの服を着て王宮へと忍び込んだ。気後れすることもなくあまりにも堂々としたその姿に誰も怪しむものはいなかった。女性の姿に変装したアレックスは国王すら虜にしたソフィアの美貌を継承していたためどこから見ても美少女にしか見えなったのだ。
メイドたちや王宮に出入りする令嬢や貴族、時には町にも出たりしてアレックスはとにかく色んな人物から情報を集めてきた。そんな生活を1年もすれば、変装はすっかりお手の物だ。と同時にアレックスの女性の苦手さにも磨きがかかっていた。
幼少期から身近にいたメイドにさえ命を狙われてきたアレックスにとって信用できる者は母親であるソフィアしかいなかった。さらには幼いころ一度だけ会ったイザベラの歪んだ笑顔がアレックスの記憶にトラウマの様に刻まれている。
情報を聞き出した女性たちに対してもいいイメージを持てる者はいなかった。表では仲良く振舞っている相手を裏ではひどくけなしているのは日常的だし、にこやかに笑う笑顔の下で常にだれかを蹴落とそうとしている。いや実際そんなことを考えていない貴族もいるだろうが、アレックスからすれば簡単に人を信用できなくなっていたのだ。
そんな中のことだ。ソフィアが息を引き取った。少し前から危険な状態であったと医師からも言われてきていた。それは王妃が仕掛けた毒の所為かもしれないし、長年にわたる心労の所為、もしくは生まれた時からの体の弱さ、はたまたそれらが相まってのこと。理由は色々考えられるものの、唯一と言っていいほどの存在であるソフィアが亡くなったことはアレックスに深い悲しみに負わせることとなった。
しばらくは何をする気力もわかずただぼうっと空を眺めるだけの日々が続いた。今まで収集してきた情報はあともう少しで王妃を追い詰めることができそうなところまで来ていた。だがそれもソフィアがいなくなった今となればどうでもいいことのように思えていた。
やがてアレックスの無気力は怒りを伴い、全てがどうでもよくなり、どうなっても構わないという考えに至る。
それは暑い夏の日。
今まで離れのソフィアの部屋から動くことをしなかったアレックスがふらりと立ち上がり、クローゼットから母親のドレスを取ってはそれを纏い手慣れた手つきで髪を結って化粧を施した。母親に似た顔を鏡で見て、どこか虚ろにそれでも綺麗に笑顔を作る。
「全てどうでもいい」
コントロールする気もない魔力は体内で荒れ狂い気持ちが悪いほどだ。それでも立ち上がり、軽く手を振ると目の前の鑑は粉々に割れた。
「アイツらもこんな王宮もなくなればいいんだ」
暗く沈んだ声を残してアレックスは離れを出た。
足早に離れから王宮へと繋がる森とも言える広大な庭を突っ切っている時だった。神経が研ぎ澄まされていたアレックスは何かの違和感を感じてその足を止めた。それはこの暑い時期に感じた冷気であった。
「なんだ……?」
そして感じたのは不思議な魔力。アレックスは他人の魔力を感じ取れる能力があった。それはうっすらと感じとれるくらいなので、特に何かに役立ったことはない。こんな時なのに不思議なのだが、アレックスはこの時何かしらの興味を抱いたのだ。それはその魔力のせいだろう。その魔力は一言で表すなら「異質」であったのだ。加えて感じるこの冷気。
アレックスの足が王宮から逸れ、その魔力の方へと向かう。近づくにつれ、その寒さは肌を刺すようなものに変わる。そして聞えてきたのは小さな声。
「泣き声……?」
木々をすり抜けると一本の大きな木の陰に小さな塊が見えた。それは震えるように丸まっている小さな少女であった。その少女の周りは銀色の冷気がきらきらと舞い散り、地面はうっすらと凍っている。
王宮へ向かっていた目的も忘れアレックスはその現象に見入っていた。もう少し近くに寄ろうと足を出した時、ぱきっと凍った木の枝を踏んだ。その音にはっとして顔をあげたその少女は大きなアイスブルーの瞳からぽろぽろと涙を流していた。
驚いたようにアレックスを見た少女は慌てて涙を拭き立ち上がってその場から離れようと駆けだすも、地面の氷に足を取られて滑ってしまった。
「危ない」
それを見て考えるよりも先にアレックスは手を伸ばし少女の体を抱き上げた。今までずっと大人を相手にしかしてこなかったアレックスからしたら初めての小さな存在であった。温かくて軽くて柔らかいその存在にアレックスの中の感情に変化が生じる。
(私はさっきまで何を考えてた?)
全てがどうでもよくなり、全てがなくなっても構わない。いやなくすつもりでいたのだ。魔力をコントロールすることもないまま全て解放すればどうなるか。自分だって無事ではいられないが、周りにどれほどの被害が及ぶかなど何も考えていなかった。全てがどうでもいいということは、こんな幼い全く無関係な者まで巻き込むことだったのだとアレックスは気づく。そんなことすら考えられなくなっていたアレックスは今腕の中にいる少女を見つめる。涙が止まった少女は、どこか困ったようにアレックスを見ていた。それにはっとしたアレックスはその少女をゆっくりと地面へ下した。
「ごめん。急に抱き上げたりして」
いくら少女だとはいえ、令嬢をぶしつけに抱いたままなのはよくないと気づいたアレックスが頭を下げる。だが、少女はふるふると首を振ったあと、スカートを摘まんで綺麗なカーテシーを披露する。
「助けていただいてありがとうございます。わたしはシルバーストーン伯爵が娘、セシルと申します」
まだ少し声は震えているもののきっちりと挨拶をするセシルにアレックスは感心した。そして今のこの状況を素早く整理する。異質な魔力とこの寒さ。さらには凍った地面と、先ほどの舞う冷気。王宮に出入りしてその書庫の本も読み漁っていたアレックスが導き出したのは。
「氷の女神のいとし子……」
「え……。い、いえ、あの、わたしは……」
驚いたように顔をあげ、そのあとすぐにはっとして首を振るセシル。それはそうだろう。女神のいとし子であれば、その存在はいとし子が18になるまで秘匿されるのだ。
自分で言ったものの、まさか目にするとは思ってもみなかったいとし子の存在にアレックスはしばし呆然とする。さらにはこの幼さでいとし子の決まりをも守ろうとするこの幼い少女がいじらしく思えた。
セシルが焦れば焦るほど周りの温度が下がっていくことを感じた呆けている場合ではないとセシルの視線に合わせて膝をつき、安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「あ、だめなの。離れてください……」
女神の力がアレックスを傷つけることを恐れてセシルは首を振りながら後ずさる。
「大丈夫。私には効かないから」
片目を瞑りながらおどけて言うアレックスに、今にも泣きそうになっていたセシルが不思議そうにアレックスを見る。確かにセシルの出す氷の女神の力が効いていないと感じたのだ。実際アレックスは覚えたての結界で女神の力を必死に凌いでいるに過ぎなかったが、それでもセシルを安心させるためにそんなことおくびにも出さない。
「あなたは、女神様なのですか?」
「え?」
思ってもみないセシルからの言葉にアレックスは目を丸くする。
「女神さまが出てきたことはないけど、でもきっとこんな綺麗な人だと思うから」
「綺麗……。はは、ありがとう。でも私は女神さまじゃないよ」
そういえば、と今の自分の姿を思い出すアレックス。
「女神さまではない……」
アレックスの言葉を反芻した後、セシルが困ったような顔をアレックスに向ける。
「あ、あの、今の話は……」
「うん。誰にも言わない」
自分がいとし子であることは誰にも話してはいけないと言われてきたセシル。だが気づかれた場合はどうすればいいかわからなかった。ごまかし方も、言い逃れも分からなかった。
「私は誰にも言わない。だから君も私と会ったことは誰にも言わないで。二人の秘密」
「秘密……」
秘密と言う言葉にセシルは興奮したように笑う。ようやっと笑ってくれたことにアレックスは安堵した。そしてここで自分がいつの間にか心穏やかに話していることに気づく。それはきっとこの目の前の少女だから。
人の心配をしたり、誰にも気づかれないように人目を忍んで泣いていたり。特殊な環境に置かれているにもかかわらず人のことを考えられるこの少女だから。
「また会えますか?」
だからセシルがこう問いかけられたとき、アレックスは考えるよりも先に答えてしまっていた。
「もちろん」
アレックスの言葉にばあっと顔を輝かせたセシル。それはアレックスの暗い心に差した一筋の光明のようであった。
「あの、お名前を教えてもらってもいいですか?」
セシルの問いにアレックスはしばし考えてにっこりと笑った。
「私はサンドラ」




