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14.女神の暴走

 氷の女神が目に見えるスノーワスプすべてを凍らせたと同時に、セシルはひどい倦怠感に襲われた。膝をつくのは辛うじて耐えたが、セシルの後方にいた女神は銀色の輝きとともに消え失せた。

 そのセシルの症状は魔力枯渇を意味する。女神のちからは絶大であるために魔力消費はかなりのものだ。それに対しセシルの魔力は決して多くはない。

 

 魔力枯渇の苦しさも顔には出さずとも、その顔色までは隠し切れない。それに気づいた兵士がセシルに駆け寄る。


「奥様! 大丈夫ですか?」

「平気です。……少し休めばまだ……」

 魔力を回復させるのには時間が必要。だが魔力枯渇まできたセシルの魔力がそうすぐに回復するはずもない。それをわかっている兵士が首を振る。

 

「もう十分です! ありがとうございました。奥様は邸に戻ってお休みになってください」

「ですが、またいつこちらに向かってくるか……」

「我々はそのために日々訓練しています!」


 そう兵士が言ったときであった。下方からざわめきが聞こえてきた。セシルが視線を走らせると、氷の女神が凍らせたスノーワスプたちが次々と起き上がり、独特の羽音を響かせて体を浮かせ始めたのだ。

「あ……」

 セシルが声をあげるのと、スノーワスプの針が兵士を襲に刺さるのが同時出会った。完全に油断していた兵士たちは魔法を使う暇もなくスノーワスプの針にやられ倒れていく。その様子をセシルはただ見るしかできなかった。


「そんな……」

「結界を! 火矢を持て! 火の魔法を扱える者たちは前へ!!」

 途端にあわただしくなる周りにセシルはその場で佇むだけ。こういう時どう動けばわからない。魔力が枯渇した自分はただの足手まといだと思うのに、下に見える惨状に足が動かないのだ。


「氷の女神の力が効かないのか?」

「相性が悪かったんだ。スノーワスプは氷耐性があるんだろう!」

 誰かがそう言うのをセシルは呆然となりながら聞いていた。スノーワスプも冷気を操る魔物なのだ。そう考えるのが正しい。


 火の魔法や火矢が飛び交い、下でも体勢を整えた兵士たちが戦ってはいるが状況は思わしくない。女神の力をコントロールできると言っても実践で使ったことなど皆無なセシルにとっては初めての戦場。それでも自分にもできることがあるのでは勇んで出てきたものの、氷の女神の力が効かない相手ではなす術もなかった。自分のやったことで兵士たちをぬか喜びさせ、自分は魔力枯渇に陥り完全な足手まとい。この場から早く離れるべきなのにそれすらできない。


 魔法が飛び交い、時おり聞こえる叫び声や呻き声。その緊迫感にセシルは足が震えるのを感じていた。目の前で繰り広げられているのは、いつ命を落としてもおかしくは無い、そんな戦場なのだ。


 自分はなにもわかっていなかったのだとここにきて気づく。魔物の恐ろしさも、命を削ってでも戦うという心構えさえも。


「奥様!!」

 それは一瞬の出来事。スノーワスプたちはさきほど自分たちを襲った冷気を放った張本人を的確に理解していたのだ。スノーワスプの一部隊が塀の上に佇むセシルめがけて一斉に攻撃を仕掛けてきた。それを目で捉えてはいるのに、セシルは動くことができなかった。

 そんなセシルを護るように魔法を繰り出しながら前に立つ兵士たち。


「ぐうっ」

「あ……っ」

 兵士たちが作った結界を突き抜けて何本もの針が兵士に刺さるのを目の前で見たセシルは言葉にならない声を漏らす。領地の者たちを守りたかった。それなのに、今自分がこの者たちを危険に晒している。己の無力さを痛感し、その事実がセシルの心を押しつぶす。

 兵士が倒れ、数体のスノーワスプと対峙することになったセシルはその恐怖で一歩も動けない。ゆっくりと針をこちらに向けるスノーワスプ。


 幼いころから感情を抑えてきたセシルであったが、本当の命の危機ではそんなもの何の役にはたたないことを知る。セシルが死を覚悟したその時であった。


「……っ!」

 セシルの空っぽのはずの魔力器官に別の魔力が一気に充填される。それは膨大で濃縮された魔力。セシルでは到底扱いきれないモノ。

 

 その膨大な魔力によってセシルを中心に冷気を帯びた風が舞う。それはやがて氷を纏わせた竜巻となり、目の前にいるスノーワスプたちを吹き飛ばした。強力な魔力によって作り出された氷の刃は、先ほどのものとは比べ物にならないほどの殺傷力を持ちスノーワスプたちを切り刻んでいく。


 一瞬の出来事で何が起きたのか理解するまでに時間がかかった。だが、この力はセシルにとっては常に傍にあってよく知るもの。ただ、こんなことは初めてだった。

 セシルの魔力を補填するかのようにこのよく知る氷の魔女の魔力がセシルに入り込んでくることなんて。そしてその力はセシルの意識を離れて自由に暴れまわる。ふとセシルはアレックスの言葉を思い出す。魔女の力はいとし子を護るために使われる。


 これはセシルの命の危機に瀕したために出てきた力なのでは、そんな考えが頭をよぎる。だがそんな考えも今目の前で繰り広げられる惨状にすぐ吹き飛ぶ。

「だめ………!」

 女神の力はスノーワスプだけでなく、この場にいる兵士たちにもお構いなしに牙をむいたのだ。それを見たセシルは必死でコントロールを試みるも、別の意思をもったかのように暴れるこの力に対抗することができない。

 

「おねがい……やめて……」

 だれかれ構わず襲い、暴れ狂う氷の刃にセシルは声をあげながら首を振る。女神の力ではあるものの、自分に宿ったものが人を傷つける。それは幼いころの記憶と重なる。大事な人さえも凍らせてしまう力の暴走。あの時は自分の魔力がなくなるまで続いた。でも今この力の源である魔力はセシルが扱いきれないほどの膨大なもの。


「……ねがいで、す……。もう、や、めて……」

 どれほど感情を抑えようとしても、力はどんどん溢れて人を傷つけていく。焦れば焦るほどセシルの体内から魔力があふれ出す。

 そしてその膨大な魔力はセシルを中心に地面を凍らせ、地面から何本もの巨大なつららを発現させた。そしてそれは放射線状に広がりこの場にいる者たちへ向かって行く。

「いやあ……!」

 この場にセシルの悲鳴が上がったその時。


「セシル!!」


 それはセシルが今最も聞きたかった声。それとともにつららが金色の光によってそその動きを止めた。

「あ、ああ……」

 セシルの涙で濡れた目は金色の輝きを放ちながらこちらへ駆け寄るアレックスを映す。


「全員この場から離れろ! 戦える者は下にいるスノーワスプの残党を頼む!」

 アレックスの登場にここにいる兵士たちは安堵の表情を浮かべる。と同時にその指示に皆声を揃える。

「「「はっ!!」」」



「申し訳、ありません……。わた、くしの…せい、で兵士のみな、さまが……」

 兵士がこの場から去るのを見てセシルは申し訳なさそうに目を伏せる。

「セシルのせいなんかじゃない。それにここにいる者も下の者たちにも治癒魔法をかけた。みんな無事だ」

 地面のつららはアレックスによる結界魔法によって止められはしたが、依然セシルの周りは氷の刃を纏わせた風が吹き荒れている。それでもアレックスは構わずセシルに近寄る。

 

「だ、めです……。それ以上、ちか、づいて、は……、コント、ロールがきか、ず……」

「大丈夫だ、セシル。大丈夫……」

 自らに降りかかる鋭い氷の刃を金色の防御壁をもって振り払いながら、アレックスは手を伸ばしてセシルの手を取った。反射的にその手を引っ込めようとしたセシルの手を力強く握りしめるアレックス。


 容赦なく襲い掛かる氷の刃は防御壁によってアレックスを傷つけることはない。だが、穏やかな笑みとは裏腹に今現在のアレックスは必死に防御壁を構築している。今まではこの防御壁でどんな攻撃もしのいできたのに、氷の刃はその防御壁をいとも簡単に貫いてくる。女神の力はそれほどの威力。

 だからアレックスは何重にも防御壁を張って対抗する。それはかなりの力技で、アレックスの持つ強大な魔力と光属性の魔法でないと成立しない技である。壊されるたびに新たな防御壁を張っていくため、精神力も削られる。それでもセシルを安心させるように柔らかく微笑む。


「女神の力は私には効かない。だから大丈夫だよ。安心して」

 キラキラと輝くような光の粒子を纏いながらほほ笑むその姿に、セシルの記憶の中でかつて同じようにほほ笑んだ人物と重なる。


 こんな状況なのに、セシルはそのアレックスの笑顔に絶対的な安心感を持つ。それは幼き日のセシルの記憶が関係している。大事な大事なセシルの思い出。氷の女神のいとし子となってから急変した生活。寂しくて苦しくて女神の力をコントロールできなかった日々。あの時セシルを救ってくれた人物がいた。顔も思い出せないのに、どこかアレックスと重なるその姿。それは初めて会った時も感じたデジャブ。


 だが何度も考えては打ち消してきたその可能性。なぜならどれほど似ていると思っても、セシルの恩人はドレスを着た綺麗な女性だったから。なのに……。


「セシル、その力は君の敵じゃない。今はまだその大きな力に驚いているだけだ。大丈夫。私も手伝うから、一緒に女神の力を抑えよう」

 そんな言葉でさえも昔の記憶と重なる。

 (そう。そう言ってあの時も何度も手伝ってくれた……)


 セシルの体が温かな魔力に包まれる。それはとても懐かしく。

「あんなに小さいころから必死に努力してきたセシルならきっとできる」

『セシルならきっとできる』

 体に染みわたる優しくも懐かしい魔力と共にセシルの記憶がよみがえる。セシルがアレックスを見るとそれに気づいたアレックスがその瞳を細める。それは深い深海のようなブルーの瞳。

(そうだわ。あの方はもう少し薄い、晴れ渡った空のような……)

 そこまで考えてセシルは今はそれどころではないとふるりと頭を振る。


 アレックスの魔力がセシルの体を包み込むと、女神の力少し弱まったことに気づく。今はこの力を押さえることに全力を注ごうとセシルは体内で未だ暴れる魔力のコントロールに試みる。


 何度も何度も練習してきた力のコントロール。心を落ち着かせて体内の魔力と対話するように。今までは自分のすぐそばにあった魔力。それが今は体内にある。だからこそ余計にコントロールが難しかった。今までこれほどの魔力を扱ったことがないから。けれど今は……。

 氷の魔女の意思が直接伝わってくる。怒りや苦しみ、後悔。それはセシルの感情も入っているが、それでも一つの大きな意思を感じた。

 ーーーいとし子を傷つける者は許さない。


 それは自分に対する愛情。その感情はとても嬉しく有難い。それでもセシルにも許せないことがある。


(わたくしを大事に想ってくれているのなら、わたくしの大事な者を傷つけないで……!)

 

 領地の者ももちろん大事だ。だが何より今現在氷の刃を向けているのはセシルが心を寄せる相手なのだ。自分にとってアレックスがどれほど大事か。セシルはその思いを胸に女神と対話を続ける。


「上手だ、セシル。少しずつ女神の力が弱くなってるよ」

 セシルの想いが届いたのかアレックスの言葉通り、セシルの周りの風が弱まり氷の刃の小さくなっていく。そしてやがて風は止み、氷の刃は粉々になり銀色の光をキラキラ輝かせながらあたりを舞う。


「セシル! よく頑張ったね」

 緊張の糸が切れたかのように力なく倒れるセシルを難なく抱き上げたアレックスは笑みを浮かべながらその場でくるっと回る。


『よく頑張ったね。これはご褒美ね』

 そう言ってセシルの口に運ばれたのは甘いチョコレート。褒められることが嬉しくて、笑ってくれると勇気をもらえて。口に溶ける甘いチョコレートはその目の前にいる女性と共にセシルのなかで大好きなものとなった。


 初めての戦闘や魔物との対峙、そして魔力枯渇に陥ったセシルはうまく頭が回らない。意識を失いそうな中、思い浮かんだ言葉をそのまま口に出していた。

「あなたは……、サン、ドラ……さ、ま……?」


 記憶の中の女性は自らをそう名乗っていた。それを思い出したセシルは今まだ体を包む優しい魔力がその者と同じものだと感じたのだ。


 セシルの問いかけにアレックスは少し複雑な顔をした後、こつっと額を合わせた。

 

「勇敢な妖精姫。今はゆっくりお休み」


 その言葉がセシルに届いた瞬間、セシルは意識を飛ばした。

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