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13.女神のちから

 セシルが異変に気付いたのは早朝。

 ベッドの中で肌を刺すような冷気を感じ、女神の力が漏れ出たのではと思わず飛び起きた。だが、女神の力が使われれば必ず感じる魔力の放出がなかったのだ。

 どういうことだろう、とセシルが首を傾げたときだった。

 

「セシル様っ」

 外からノックと共にミアの珍しく焦った声が上がる。

「ミア」

 セシルが名を呼ぶとミアと数人の侍女が部屋に入り、すぐに暖炉に火を入れセシルの身支度を整え始めた。


「ミア、何があったのですか?」

 いつもより素早く着替えを終えたセシルはミアを振り返る。

「今からバルト執事長が来られます」

 ミアのその様子にただ事ではない様子を感じ取ったセシルは、思い当たる節にいきつく。


 そして案の定来訪したバルトによりその言葉は告げられる。

「奥様、スノーワスプの大群が出現したと先ほど報告を受けました」

「スノーワスプ……」

 その魔物の名前に、セシルはこの屋敷の冷気の理由を理解する。それと同時についにスタンピードがきたのだという事実に知らず顔が強ばる。


 バルトの報告に出たスノーワスプはその名の通り、攻撃性の強い白い体を持つ大きな蜂の魔物だ。普段は寒い地域にいる個体で、自らも冷気を発しているため辺りの温度を下げる。冬でもないのに邸が寒いのはそのせいである。

 さらには高い魔力と知性を備えているかなり高ランクの魔物で、攻撃手段はお尻にある鋭い針。そこから冷気を帯びた針を何本も発射させて攻撃してくる。


 高ランクとはいえ1匹だと対処もそれほど難しくはない。火属性を持つ魔法を使えれば動きを鈍くできるので、その間に討伐することが可能なのだ。

 ではなぜ高ランクなのか。それはこの魔物の習性にある。

 魔物の中でも高い知性を持つスノーワスプの真骨頂は大群での攻撃である。攻撃の要、支援、陽動など役割を持った小部隊に分かれ、非常に統率のとれた攻撃をしかけてるく。しかも数が多いからやられてもすぐ次の小部隊がやってきてきりがないのだ。

 大群を相手取るとなるとかなりの広範囲の火の魔法を使うか、強力な結界魔法を使って対抗するくらいしか手はない。


「この冷気ですもの。もう近くまで?」

 セシルの言葉にバルトが重い口を開く。

 

「魔の森付近で旦那様たちが討伐を試みているのですが、あまりにも数が多く取り逃したスノーワスプがこちらに向かっているのは目視で確認できています……。すでに邸に残っている兵士たちを魔の森側の門へ向かわせています」

 後方で侍女が息を飲む音が聞こえる。

 

「薪の備蓄は足りていますか?」

 少し考えてセシルがバルトにそう問いかけるとはっとしたようにバルトは頷く。

「ちょうど前年度に開拓のため木を伐採しておりましたので、木材は潤沢にあります」

「でしたら出し惜しみせずに邸中の暖炉に火を入れてください。領地の者たちが避難する場所は少し暑いくらいで構いません。スノーワスプは暑さに弱い魔物です。少しでも邸を温めて近づけさせないようにさせましょう」

「調子いたしました」

 バルトはセシルに一礼して部屋を後にした。

 セシルは真っ白な窓を見て、ミアに視線を送る。

「ミア、冬用の着替えを」


 その言葉の意味に気づいたミアは顔を青くする。

「いけません、奥さま!」

「わたくしはアレックス様よりこの邸を頼まれています」

 セシルの言葉にミアは押し黙る。どれほど心配でも、主人の言うことは絶対なのだ。


「かしこまりました」

「ミア、心配しないで。わたくしは氷の女神のいとし子ですよ」

 ミアがハッとしたようにセシルを見る。微かだが、セシルが笑っていたのだ。

「すぐに準備いたします」


 


 準備を終えたセシルが向かったのは、領地の魔の森側にある大きな壁の上部だ。そこには既に配置されていた兵士たちが十数人。

「お、奥様! なぜこちらに? ここは危険です。どうかお戻りを」

 セシルの姿を見て全員が驚愕の表情になる。それでもスノーワスプの侵入を防ぐために展開された結界を保つあたりは流石訓練された兵士と言えるだろう。


「お手伝いいたします」

「いけません奥様。どうか邸にお戻りください。スノーワスプはここで必ず食い止めますので!」

「奥様がこんなところにいたことが知れるとアレックス様に叱られます!」

 口々にセシルに避難するよう懇願する兵士たちにセシルは首を振った。アレックスが大事にしている領地でもあり、セシルにとってもまた大事な場所になっているのだ。

 

「わたくしもここを護りたいのです」

 その言葉に兵士たちが押し黙る。アレックスからはセシルを戦場に出す気はないとずっと言われてきた。それほどアレックスにとってセシルが大事な存在なのだということはここにいる兵士たち全員が周知していること。

 だが、アレックスの次に立場の強いセシルにここまで強く言われてしまうとそれ以上何も言えなかった。


 セシルは壁の端へ歩み寄り、そこから下を見下ろす。結界が張られているため透明の膜のようなものが壁を包んでいるが、その少し前方では今まさにスノーワスプと交戦している様が見える。

 その様子を見据えながらセシルはゆっくりと魔力を解放した。


 スノーワスプから発せられる冷気よりもさらに肌を刺すような冷さが辺りを包み込み、セシルが立つ場所が凍り始める。やがて冷気の塊がセシルの後方に現れ、そしてそれは美しい女神へと変貌する。


 周りがざわつき、誰もがその美しさに目を奪われる。それらを尻目に氷の女神が腕を横に払うとそこから鋭い氷の刃が無数に飛び交い前方のスノーワスプたちを薙ぎ払った。

 その威力のすさまじさに先ほどセシルを制止した者も感嘆の声を漏らした。交戦していた者たちなど何が起こったかわからないであたりを見回し、やがて壁の上部にいるセシルを見ては歓声を上げた。




 そうして見える範囲のスノーワスプを凍らせていくセシルのはるか前方。


 領地に向かってきたスノーワスプなど目ではないほどの大群と激闘を繰り広げる前線。

 広範囲に覆われている金色の膜はこの前線の指揮をとるアレックスの結界魔法だ。膨大な魔力をもつアレックスにしかできないほど強固で広範囲な結界。その内側から他の兵士たちの火魔法が飛び交い、弱らせたところを魔法や物理的攻撃によって両断する。地道な作業であるがそれが最も有効な方法。


 馬上で結界を張りながら火魔法も扱うアレックスは少しの違和感に気づいた。それは自分の後方、領地の方角から。スノーワスプとは違う冷気の波動を感じてふとそちらに顔を向ける。

 まさか、と思うもののその可能性を打ち消すことができないアレックス。

「アレックス様! どうかされましたか?」

「いや、何か嫌な予感がしてな……」


 後方を気にするアレックスに気づいた兵士が何事かと自分も後方を見るも、特におかしい様子は見受けられず首を捻る。

 この前線にいる者たちはウェッジウッドの兵士たちの中でもかなりの猛者たちだ。魔法はもちろん物理攻撃も得意な者たち。スタンピードが起こると想定してからアレックスがあらゆる可能性を精査して選んだ人選だ。だがその者たちでもアレックスの感じたほんのわずかな違和感を感じ取ることができなかった。

 

「アレックス様、気になるところがあるのならそちらへ向かってください」

 それでもアレックスがこれほど気にするとなるときっと何かがあるのだろうと兵士は提案する。

「ここは我々に任せてください」

「だが……」

 兵士たちの言葉にアレックスが揺れ動く。本来なら指揮を執る自分が前線を離れるなどあってはならない。


「今の態勢を崩さずスノーワスプ討伐を必ず成し遂げます」

 何部隊かは領地の方へ行かせてしまったが、この場にいるスノーワスプは殲滅するという思いで前線の者たちは戦っている。だから正直、守備でも攻撃でも要となる指揮官が離れるのは厳しいものがある。それでも今までのアレックスの功績を考えれば今思っていることをやって欲しいというのがここにいる兵士たちの思いでもあった。


「すまない。どうやら妻が戦場に出ているようなんだ」

 アレックスの違和感は確信に変わる。後方から感じるのはセシルの氷の女神の魔力だと。

「それは早く行ってください!」

 アレックスの言葉にこの近くにいる兵士たちがどよめく。アレックスがどれほどセシルを大事に想っているか、ここにいる者たち全員が周知の事実だ。かつては女性に興味がないだとか、もしや男色の気があるのではなんてことをひそかに思っていた者もこの兵士たちの中にはいる。

 だが、セシルがこの領地に来てからのアレックスの変わりようも皆目にしているのだ。ここにいる誰もがアレックスの背を押す。それを見てアレックスは乗っている馬を方向変換させる。


「皆、ここを頼む! 結界はまだしばらくもつだろうから!」

「はいっ!!」


 力強い返事を聞きながらアレックスは馬を領地へ向けて走らせた。

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