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12.スタンピード

「スタンピード、ですか」

 ウェッジウッドへ帰る馬車の中、セシルが緊張の色を含んだ声を出す。


 アレックスは先ほど近隣の貴族間で集まった時の話をセシルに聞かせる。

 広間では楽し気な音楽が鳴り、皆思い思いに楽しいひと時を過ごしている間、アレックス達は緊張感に包まれた一室で皆硬い表情をして話し合いがなされていた。


 そこに集められたのは魔の森から比較的近い領地を持つ貴族たち。スタンピードの恐ろしさも、時期的にもうそろそろ来てもおかしくないということも理解している者たちばかり。だからこそアレックスの話を神妙な面持ちで皆聞いていたのも仕方のないことである。


 そしてセシルもまた様々な教育を受けてきた身である。歴史の勉強でスタンピードの知識もそれなりにある。

「アレックス様、わたしくしにできることはありますか?」

 そう言って前に座るアレックスを見上げるセシル。表情が動かないのはこの事態を重く見ての緊張からくるもの。そんなセシルに柔らかく微笑み、強張った手に自らの手を重ねる。


「そうだな。セシルには邸をお願いしたいな」

 努めて深刻にならないように軽くそう言って片目を瞑るアレックス。

「お任せください」

「私もこれから森へ行くことが増えるだろうから、留守がちになる。その間任せてもいいかな」

「……っ、もちろんです」

 一瞬セシルの顔が曇ったのをアレックスは見逃さなかった。自分が留守になることを寂しく思ってくれたのか、それとも危険になる森へ行くことへの心配か。アレックスからしてみれば寂しい思いも心配もさせたくはない。だが単純にセシルが自分のことで感情をだしてくれることを嬉しいと思ってしまう。


「セシル」

 どうしようもなく愛しくて大事な存在。これから先どのようなことがあろうと必ず守り抜く。昔から変わらない想いを胸にセシルをその胸に引き寄せる。

「あ、アレックスさま……?」

 それに驚いたのはセシルだ。抱き寄せられるのは何度もあるものの、やはり慣れることはなく心臓が痛いほど高鳴る。


「好きだよ」

 セシルの頭頂部に頬をすりよせ、甘い声で囁かれてしまえばセシルの表情は脆くも崩れ去る。かあっと顔に熱が集中し、バクバクと心臓がなればそれに比例して馬車の温度が下がっていく。

 自分も同じように想いを伝えたいと思うのに、これだけで気温を下げてしまっていてはきっと馬車を凍らせてしまうに違いないとセシルは口を結ぶ。

 それでも少しでも伝わればいいとばかりにアレックスに背中に手を回し体重を預けた。


 トクトクと規則正しい音を鳴らせるのは顔を埋めたアレックスの胸。それが早く感じるのはセシルの気のせいではない。

 なにせセシルが自分に身を預けているその事実はアレックスの体温を上がらせるに十分だかったから。馬車の気温が下がろうが気にならないくらい、いやそれ以上に幸せを感じているのだ。

「セシル……」

 もっと近づきたくて、もっと触れたくて。アレックスは掠れた声を出して目の前にある柔らかなセシルの髪に口づけを落とす。ぴくりと反応するセシルの表情を見たくて、アレックスは少し体を離し、肩に回してた手を頬へを滑らせる。ゆっくりと顔を自分の方へ向けたアレックスはセシルのその表情に思わず喉を鳴らせた。

 上気した頬に困ったように潤んだ瞳をアレックスに向けるセシル。

 環境にも自分にも慣れて欲しいと願っていた。少しずつ気を許してくれていることが嬉しかった。表情が柔らかくなって邸の者たちとも打ち解けて穏やかに過ごしてくれていると感じて幸せな気持ちになった。

 アレックスとてセシルに対する欲はある。それでもそれらは全て理性で封じ込めてきた。ゆっくりと関係を進めていければいいと思っていたから。だが……。


「可愛いすぎる……」

 初めて見るセシルの表情にアレックスの想いが口にそのまま出る。

 その言葉にセシルの鼓動が跳ねる。どうしてよいかわからず顔を伏せたいのにアレックスの手がそうさせてはくれない。

 アレックスは情欲の色を乗せた瞳を閉じ、コツとセシルの額に自らの額を合わせる。

「もう少し触れても良いだろうか……」

 懇願するかのようなその声はどこか熱っぽく、セシルはその熱にあてられたかのように反射的に頷いていた。

 頷いた反動で俯いたセシルの頬を撫でながら上を向かせるアレックス。

 アレックスの深いブルーの瞳はさらに濃い色を帯びて輝く。その瞳から逃れられないセシルはどんどん近づくアレックスに瞬きも忘れるほど。

「あ、アレック、スさ……」

 唇に近づく熱を感じた瞬間……。


「到着いたしました」

 キャビンの前方から聞こえるのは軽いノックの音とそんな御者の声。


 ぴたりと止まったのは一瞬で、お互い間近に見えた顔に驚いたように離れる。

「す、すまない」

「い、いえ……」

 すっかり冷えたキャビンの中であったが、二人の熱はしばらく下がることはなかった。



 それからのウェッジウッドは慌ただしい日々を過ごしていた。アレックスはセシルに伝えた通り、魔の森へ赴くことが増え邸にいることが少なくなった。セシルはというと領地の者たちと連携を取りながら避難場所がない者たちを邸に迎え入れたりなど忙しく過ごしていた。

 それでもセシルの心には常にアレックスはじめ魔の森へ赴く者たちへの心配があった。

 アレックスが留守の今、邸を守るのは女主人の役目だ。それはわかっている。それでもふと窓から森の方を見ては、無性にアレックスのもとへ向かいたいという気持ちが芽生える。


 自分の氷の女神の力は何かの役に立つのではないか、そんなことを考えてしまうのだ。現にセシルは幼いころからの努力のたまもので女神の力を多少なら使うことができる。

 あの婚約破棄騒動のときの氷の女神の力を少し解放して大理石の床を凍らせたり、アンドリューに向けて女神が力を使うようなそぶりを見せたのも全部セシルのコントロールあってのもの。だからこの力を領地のために使うことに何のためらいもないのだ。


 だが、アレックスはセシルを前線に立たせることはしない。以前訓練に参加するのかと聞いたときに「大事なセシルを戦いの場に駆り出すことはない」と言っていたことを思い出し、一人顔を赤くする。

 あの時はそういったことを初めて言われて驚いたものだが、今あの時の言葉を思い出すたび嬉しくてじわじわと胸に温かいものが溢れてくる。


「アレックス様、どうかご無事で」

 今はセシルは無事を祈ることしかできない。会えない日々の中でもセシルの心を占めるアレックスはどんどんと増え続ける。どうしようもなく会いたくて。溢れる想いを伝えたくて。


「……お慕いしております……」

 セシルは一人っきりの部屋、窓に向かってぽそりと小さな声で呟いた。





 ーーそして夜会から20日ほど経ったその日、それは突然やってきた。

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