第9話 瑠璃という名
行方不明だった木こりのバルドをリーベルまで連れ帰ると、西門では一人の女性が待っていた。
「あなた!」
担架の上にいる夫を見つけた途端、女性――ニーナが駆け寄ってくる。
右足は固定してある。谷へ落ちた時に強く傷めているが、出血は少なく、意識もしっかりしている。森の中で一晩を越したことを考えれば、かなり運が良かった。
「悪い、心配かけた」
「心配どころじゃないわよ……!」
ニーナは怒りながら泣いていた。
バルドも何か言い返そうとしていたが、結局は黙って妻の手を握った。
俺は少し離れたところで、その様子を見る。
『あの女、泣いている』
頭上を飛んでいた蒼冠鷹が、いつの間にか門柱へ止まっていた。
「嬉しくても泣くんだよ、人間は」
『分からない』
「俺も説明しろって言われると難しいな」
その隣では岳が地面へ降りている。
捜索中に久しぶりに飛べたせいか、機嫌はかなりいい。ただし、俺は戻ってすぐ左翼を確認した。傷口は開いておらず、腫れも増えていない。
「問題なさそうだな」
『最初からそう言った』
「確認するまでが仕事だ」
『隼人は心配しすぎる』
「翼はお前の商売道具だろ」
『商売を始めた覚えはない』
「俺の仕事を手伝ったんだから、似たようなもんだ」
岳は納得していない顔だったが、翼を調べる間は大人しくしていた。
そこへ、捜索隊の三人が歩いてくる。
年長の男が俺の肩を軽く叩いた。
「助かった。俺たちだけだったら、あの分岐をまだ探してたかもしれん」
「痕跡が残ってましたから」
「その痕跡を見つけられなかったって言ってるんだよ」
男は苦笑し、上空の蒼冠鷹と岳を順番に見る。
「しかも空から二方向で探せる。遭難者捜索じゃ反則みたいな組み合わせだな」
「見える場所なら、ですけどね。森の中は地上から追わないと無理です」
「それでも十分だ」
岳だけでも上空からかなり広い範囲を確認できる。
蒼冠鷹は岳より小回りが利き、枝の間を抜けて低い高度まで降りられる。今回のような山林での捜索なら、二羽の視界は確かに大きな武器だった。
ただ、俺には一つ引っかかることがある。
「二羽、か」
『何だ』
岳がこちらを見る。
「いや。こいつ、いつまでも蒼冠鷹って呼ぶのも変だと思ってな」
門柱の上にいた蒼冠鷹が顔を下げた。
『私?』
「そう、お前」
『蒼冠鷹』
「それは種族名だろ」
人間を呼ぶたびに「人間」と呼んでいるようなものだ。
森で出会ってから、こいつはずっと俺についてきた。遭難者捜索まで手伝い、狩人小屋の屋根を自分の寝床にすると勝手に決めている。
もう一時的に寄ってきた野鳥という距離ではない。
「帰ったら名前を考えるか」
蒼冠鷹はしばらく俺を見ていた。
『名前』
「ああ」
岳がすぐに口を挟む。
『俺にはある』
「知ってるよ。何年その名前で呼んでると思ってるんだ」
『ならいい』
「何を確認したんだ、お前は」
金色の目がわずかに細くなる。
答える気はないらしい。
◇
ギルドへ戻ると、捜索依頼は正式に完了扱いになった。
バルドはそのまま治療院へ運ばれたが、ニーナがわざわざギルドまで来て俺たちに頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「俺だけで見つけたわけじゃありません。先に捜していた人たちもいますし、岳とこいつも手伝ってくれました」
俺が蒼冠鷹を見ると、ニーナもそちらへ顔を向ける。
「この鳥も?」
「谷の上から見つけてくれました」
蒼冠鷹には人間の言葉が分かる。
自分が褒められたと理解したらしく、胸元の羽を少し膨らませた。
『私が見つけた』
「そうだな」
「……今、返事したの?」
「しました」
ニーナは驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「なら、この子にもお礼を言わないとね。ありがとう」
蒼冠鷹はニーナをじっと見た。
『隼人が行くと言ったから行った』
「本人としては、俺を手伝っただけらしいです」
「それでも、ありがとう」
人間には懐いていないと聞いていた蒼冠鷹だが、ニーナから露骨に逃げることはなかった。
俺に対する反応とはまるで違う。それでも、以前より人間そのものへの警戒が少し薄れている気がする。
ミラが依頼の書類へ完了印を押した。
「初仕事で遭難者を見つけて、負傷者まで連れ帰ったんだから上出来よ」
「岳たちの力が大きかったです」
「それを使える形にしたのも隼人でしょう。蒼冠鷹に『人を探して』と言って、本当に探してもらえる人なんて普通はいないんだから」
報酬の入った小袋を受け取る。
大金ではない。
それでも、人を一人助けた結果として受け取る金は、ロック鳥からもらった山角鹿を売った金とは少し感覚が違った。
「それと狩人小屋の件。正式に使用許可が出たわ」
ミラが別の木札を差し出した。
「当面は無償。最低限の修繕は自分で。森で異常を見つけたら報告。前に話した条件そのままよ」
「助かります」
「町としても、グリフォンを西門の囲いへ毎日預けられるより、その方が楽みたい」
「岳も喜びます」
「本人に確認したの?」
「昨日から気に入ってますよ」
ミラは一瞬だけ何か言いたそうにしたが、もう俺と岳が普通に会話することには慣れ始めたらしい。
「……そう。本人がいいならいいわ」
随分早く順応したものだ。
◇
昼過ぎには狩人小屋へ戻った。
町で板、釘、油布、それから保存食と塩を買い足してある。
岳は小屋の前へ着くなり草地の中央へ身体を伏せ、蒼冠鷹は当然のように屋根へ飛んだ。
『帰った』
「お前、完全に自分の家扱いだな」
『私の場所』
「まあ、屋根を壊さなきゃ好きにしていい」
荷物を中へ運び、屋根の仮補修を少し進める。
作業が一段落した頃、蒼冠鷹はまだ屋根の端にいた。
日の光を浴びると、灰白色の羽毛の中で頭頂部の青い冠羽だけが鮮やかに浮かんで見える。
青。
空の色より深く、少し紫を含んだ色だった。
「瑠璃、か」
口にすると、蒼冠鷹がこちらを向いた。
『るり?』
「お前の名前」
屋根から羽音がする。
蒼冠鷹は俺の前まで降りてきて、左腕へ止まった。
近くで見る青い冠羽は、やっぱりその名前が似合う。
「青い羽が綺麗だから、瑠璃。嫌なら別のを考えるけど」
蒼冠鷹は少しの間、黙っていた。
俺の顔を見る。
次に岳を見る。
そして、もう一度俺を見る。
『瑠璃』
「ああ」
『私が、瑠璃』
「そう。今日からな」
冠羽がふわりと立つ。
『好き』
「なら決まりだ」
その瞬間だった。
視界の端に、淡い光が走った。
「ん?」
見覚えのある半透明の文字が浮かぶ。
『個体名《瑠璃》を確認しました』
『命名個体として登録します』
『固有技能《猛禽寵愛》との共鳴を確認』
『成長限界の一部が解除されました』
『上位種進化条件が開放されます』
俺は最後の一行を読み返した。
「進化?」
『何だ』
岳が起き上がる。
「瑠璃に名前を付けたら、変な表示が出た」
『俺の時には出なかったぞ』
「お前に名前を付けたの、日本にいた頃だからな」
岳という名を付けたのは、ずっと前だ。
まだ俺も今より若く、岳が今ほど立派なオオタカになる前だった。
もちろん、その時にステータス表示など出るはずがない。
瑠璃の情報を見ようと意識する。
文字が切り替わった。
『個体名:瑠璃』
『種族:蒼冠鷹』
『状態:良好』
『命名:成立』
『上位進化:条件未達』
進化先そのものは表示されていない。
ただ、名前を付けたことで何かが開いたのは間違いない。
『私は変わる?』
瑠璃が訊く。
「今すぐじゃないみたいだ。条件が足りないって出てる」
『強くなる?』
「たぶんな」
『なら、なる』
迷いがない。
「お前、そういうところ岳に似てきたな」
『俺は関係ない』
「いや、結構似てる」
岳は不満そうに顔を逸らした。
俺は何となく、その岳へ意識を向けた。
瑠璃の情報を見られたなら、岳も見られるんじゃないか。
「岳。ちょっとじっとしてろ」
『また翼を見るのか』
「違う」
意識を集中する。
すると、予想通り文字が現れた。
『個体名:岳』
『種族:グリフォン』
『元種族:オオタカ』
『状態:良好』
『命名:成立済み』
ここまでは分かる。
問題は、その下だった。
『世界越境変異:適用済み』
『命名個体保護により、世界越境時に適合上位種へ再構成されました』
「……これか」
『何がだ』
岳が近づいてくる。
俺は表示された内容をそのまま伝えた。
「お前がグリフォンになった理由、少し分かったかもしれない」
『名前か?』
「名前だけじゃないと思う。でも、お前が岳っていう個体として認識されてたことが、かなり関係してるらしい」
もし名前のないオオタカだったらどうなっていたのか。
そもそも同じように異世界へ来られたのか。
それは分からない。
ただ、岳は俺と一緒に世界を越えた。
その時、この世界で生きられる姿へ作り直された。
オオタカからグリフォンへ。
名前を核にして。
「だから姿が変わっても、お前は岳のままだったのかもな」
岳はしばらく黙っていた。
金色の目が俺を見る。
『最初から俺は俺だ』
「そうだな」
『姿など関係ない』
「ああ」
岳らしい答えだった。
そこで表示がさらに一行増えた。
『上位進化:条件未達』
「……お前もあるのか」
『何が』
「その先」
岳の目が細くなる。
「グリフォンで終わりじゃないらしい」
今度は岳も黙った。
だが、すぐに嘴の端がわずかに上がる。
『面白い』
「嬉しそうだな」
『強くなるのは悪くない』
『私もなる』
瑠璃まで割り込んでくる。
「競争じゃないぞ」
『負けない』
『好きにしろ』
そう言いながら、岳も明らかに意識している。
俺は二羽を見比べて、少し笑った。
名前。
日本では、ただ家族として呼ぶために付けたものだった。
けれど、この世界では、それ以上の意味を持つらしい。
だからといって、手当たり次第に猛禽へ名前を付ける気にはならなかった。
岳は何年も一緒にいた相棒だ。
瑠璃も、自分の意思でここに残ると決めた。
名前は便利な強化道具じゃない。
そいつを、そいつとして呼ぶためのものだ。
「瑠璃」
『何?』
名前を呼ぶと、すぐに返事が来る。
今までの「蒼冠鷹」より、ずっと自然だった。
「改めてよろしくな」
『うん。隼人』
瑠璃が翼を広げ、屋根へ戻っていく。
青い冠羽が午後の日差しを受けて輝いた。
進化がいつ起きるのかは分からない。
どんな姿になるのかも分からない。
ただ一つ分かったことがある。
岳がグリフォンになったのは、偶然ではなかった。
そして瑠璃にも、その先がある。
どうやら俺と猛禽たちの関係は、懐かれるだけでは終わらないらしい。




