第43話 銀嶺の背で、東の町へ
東の町へ運ぶ荷は、掌に載る四つの鉄の部品だった。
ミラが受付の奥から持ってきた木箱には、それぞれ形の違う部品が、油を染み込ませた布に包まれて収まっている。一つを持ち上げると、見覚えのある突起が指に触れた。
「向こうから預かった、機織り機の見本ですね」
「それをもとに作ったものよ。こっちの職人たちが、同じものを作れるか試していたの。形だけは合ったから、実際の機械へ取り付けて確かめたいって」
以前、俺が山を越えて持ち帰った小さな部品が、こうして四つになって戻っていく。
木箱の底には、職人が描いた図も入っていた。どこを削り、どこを調整できるように残してあるか、細かな書き込みが添えられている。
「向こうは、届くことを知っていますか?」
「製作を試していることは伝えてあるわ。完成品を送れるなら、ギルドを通してほしいと言われてる。届け先と担当者は、この書付に書いてあるから」
ミラは封をした紙を、箱の横へ置いた。
「明日、天気がよければ運べます。取り付けるところも見られるなら、結果を持って帰りたいですね」
「それもお願い。合わなかったら、どこが合わないのかまで聞いてきて。せっかく空で早く運べても、作り直す場所が分からなければ困るもの」
俺は箱を閉め、荷の重さを確かめた。普段の装備と合わせても、無理のない量だ。
ただ、明日はいつもと少し違う形で飛びたいと思っていた。
◇
湖から帰った翌日は遠出をせず、岳と近くの草地で弓の練習をした。
的を左側へ置き、滑空へ移ったところで射つ。湖で当てた一射を思い出しながら試したが、同じようにはいかなかった。矢を放つ前に岳が向きを変えた時は、そのまま弓を下げて回り直す。
数を重ねるうち、岳の肩が動く前に、背中から伝わる小さな変化へ気づけるようになってきた。
その夕方、銀嶺が小屋を訪ねてきた。
俺が鞍を外していた岳の横へ降り、荷を包んでいた布へ嘴を寄せる。
『明日も、遠くへ行く?』
「東の町へ行く。前に一緒に山を調べた方角だ。今回は人じゃなくて、小さな部品を運ぶんだよ」
『私も行く。隼人を乗せたい』
銀嶺はそう言ってから、自分の背へ顔を向けた。
専用の鞍を作ってもらい、高原で初めて乗ったあとも、短い飛行は重ねている。走り出す時の後ろ脚の動きにも、岳とは違う背中の揺れにも、少しずつ慣れてきていた。
そろそろ、休憩を挟んで山を越えてみてもいい。
「俺も、そのつもりでお前に話そうと思ってた。途中の塔で一度休もう。岳にも一緒に来てもらうから、いつもみたいに先へ飛んで待っているわけにはいかないぞ」
『隼人は、背中にいる。待たなくていい』
確かにそうだった。
俺が笑って首元を掻くと、銀嶺は嘴を少し下げた。その横で、岳が包みかけの木箱へ鼻先を寄せる。
『そちらに乗るなら、荷は俺に積めばいい』
「箱は軽いから、俺と一緒に運ぶよ。お前には、いつもの大きい荷袋を頼みたい。途中で泊まることになった時の分も入ってる」
『分かった。銀嶺の背で、荷を直そうとして暴れるなよ』
「そんなことはしない。出る前に全部留める」
銀嶺は俺の肩越しに岳を見たが、張り合うようなことは言わなかった。代わりに、背中へ顎を向けて、もう一度こちらを見る。
『明日の朝、ここへ来る』
「ああ。鞍を用意して待ってる」
群れへ戻っていく灰白色の翼を見送ってから、俺は木箱を包み直した。
◇
翌朝の銀嶺は、朝日が森へ差し込むより早く来た。
毛並みに夜露が残っていたので、鞍を載せる場所を拭き、皮膚に擦れや熱がないか確かめる。身体へ沿わせた革の位置を整え、箱は左右へ偏らないよう、座る場所のすぐ後ろへ固定した。
岳の方には野営道具を入れた荷袋を積む。
瑠璃は小屋の高い止まり木で羽を整えていた。今日はここに残ると言っていたので、水を替えてから出発した。
銀嶺の背へ跨がると、岳より後ろ脚の動きが近く感じられた。
革帯を締め終わるまで待っていた銀嶺が、首だけをこちらへ向ける。
『出ていい?』
「いいぞ。森を抜けるまでは、ゆっくり頼む」
最初の一歩で背が大きく動く。
俺は鞍の前へ手を添え、腰を浮かせすぎないよう脚で身体を支えた。歩みが走りへ変わり、草地の先が近づく。
後ろ脚が地面を蹴った。
翼が空気を叩き、続いてもう一度、力強く身体を押し上げる。走る揺れが消えたところで、俺は膝の力を少し抜いた。
岳が横へ上がってくる。
鞍に誰もいない岳を見るのは、飛んでいる最中だと妙な感じがした。目が合うと、岳はわずかに翼を傾け、俺の様子を確かめるように距離を取った。
『揺れは、これで平気?』
「大丈夫だ。お前は前を見ててくれ」
銀嶺の首が真っすぐ戻る。
そこから、景色の流れが速くなった。
羽ばたきを増やしているわけではない。長い翼を使って滑り、下がりかけた高さだけを取り戻すように空気を打つ。そのたびに、山の斜面が後ろへ送られていった。
岳の飛び方には、背中ごと支えられるような力強さがある。
銀嶺の背では、前へ引かれていく感覚が強かった。気を抜くと身体だけが遅れそうになるので、腰を少し前へ移し、流れに乗せる。
銀嶺が首を振らずに飛ぶようになったのは、その姿勢が落ち着いてからだった。
俺の重さも揺れも、向こうには全部伝わっている。
「今の位置の方が、飛びやすいか?」
『背中が楽。さっきより、動かない』
「じゃあ、これで覚えるよ」
俺は鞍の前を握り込んでいた指を緩めた。
◇
見張り塔では、岩翼鷲が上からこちらを見下ろしていた。
銀嶺が塔の外へ降りると、その頭が少し傾く。俺が背中から降りたところで、低い声が届いた。
『今日は、その背にいるのか』
「ああ。東の町まで一緒に行く。下で少し休ませてもらうよ」
岩翼鷲は短く鳴き、東の山へ顔を戻した。
俺は一階から水を運び、銀嶺と岳を休ませた。足を地面へ着くと、自分の腿に思ったより力が入っていたことが分かる。
銀嶺は息を整えると、すぐに辺りへ目を向け始めた。だが、俺は急いで鞍へ戻らず、帯の下へ指を入れて、締まり方と擦れを確かめた。
北の崖は避け、ここからは南寄りに山を越える。
岳が先に岩陰から出た時、塔の上で岩翼鷲が翼を持ち上げた。
『東の尾根に、雲が掛かってきた。下を抜けるなら、木が近い』
見れば、尾根の上だけが白く隠れていた。
雲の下端はまだ高いが、低い鞍部へ近づくほど垂れ込めている。そこへ真っすぐ入れば、地形を見失うかもしれなかった。
「教えてくれて助かる。西側で高さを取って、上が見えるか確かめる」
飛び上がってから、俺は銀嶺へ進む方角を伝えた。
銀嶺は雲の手前で翼を傾け、陽の当たっている斜面へ寄る。山腹を回るうち、背中がふっと持ち上がった。
『ここを回る。上へ行ける』
「ああ。まだ斜面から離れなくていい」
銀嶺は大きな円を描いた。
俺は下に見える岩や木々との位置を確かめながら、傾く背中へ身体を合わせる。二度、三度と回るうち、雲が目線の下へ下がっていった。
岳も少し外側を回り、同じ高さへ上がってくる。
白く塞がれていた向こうに、東へ落ちる山肌が見えた。雲は尾根へ掛かっているだけで、その先の盆地までは覆っていない。
「この高さなら越えられる。向こうの斜面が見えているうちに抜けよう」
銀嶺の翼が水平へ戻った。
白い雲の上を、灰白色の身体が滑っていく。頭上には青空があり、足元では雲の薄いところから木の先がのぞいていた。
俺は思わず振り返った。
岳が後ろを飛んでいる。重い荷袋を揺らさず、俺たちの通った場所へ翼を広げていた。
いつもなら、俺もあの背にいる。
その姿を外から見た途端、銀嶺と一緒にここまで来たことが、急にはっきり実感できた。
◇
東の町の外へ降りる頃には、陽はまだ高かった。
俺たちを見つけた門の兵士は、岳へ目を向けたあと、銀嶺の背にいる俺を見て眉を上げた。
「岳の騎乗具だけが飛んできたのかと思ったぞ。そちらにも乗れるようになったのか」
「今日はヒポグリフの銀嶺に乗ってきました。高原で暮らしている個体で、何度か練習を重ねたんです。ギルドへ届け物があります」
「分かった。いつもの浜側なら空いている。荷を降ろしたら、こっちへ来てくれ」
銀嶺は声のする方を見ていたが、俺が降りると、すぐに頬を肩へ寄せた。
『着いた。隼人を乗せて、ここまで来た』
「ああ。途中で降りたのは、塔だけだったな」
額から首へ手を滑らせる。羽の下には熱がこもっていたが、呼吸は落ち着いており、足取りにも乱れはなかった。
鞍を外すと、銀嶺は大きく身体を伸ばした。
その様子を確かめた時、意識の端に文字が浮かんだ。
『個体名:銀嶺』
『長距離騎乗飛行の経験を確認』
『上位進化条件:達成項目を追加』
俺は鞍を持ったまま、銀嶺を見た。
身体の形が変わったわけではない。灰白色の翼も、背中も、ここへ来る前と同じだった。
ただ、銀嶺は俺の視線に気づくと、満足そうに胸を持ち上げた。
『帰りも乗る?』
「まずは、しっかり休もう。俺も少し脚が疲れた」
『隼人も、疲れるんだ』
「お前の動きに合わせようとして、力が入ってたんだよ。そこは俺も練習だな」
銀嶺は俺の腿へ嘴を寄せたが、つつくことはせず、そのまま岳の隣へ腰を下ろした。
◇
ギルドで書付を確かめてもらうと、荷はそのまま織物工房へ運ばれた。
俺も木箱を抱えて同行する。
工房の中には、木の梁が並び、その間を何台もの機織り機が占めていた。動いているものもあったが、奥の一台だけは布を張ったまま止まっている。
職人は俺から箱を受け取ると、布を開いて部品を一つずつ並べた。
「これを、リーベルで作ったのか。見本の傷まで写していないところを見ると、ちゃんと形を見て作っているな」
「調整した場所は、紙に書いてあるそうです。取り付けた結果を持ち帰りたいので、見ていてもいいですか」
「ああ。これで動けば、こちらも助かる」
職人は止まっていた機械へ入り、古い部品を外した。
俺には、織機の詳しい仕組みまでは分からない。ただ、擦り減った穴と曲がった突起が、部品同士の動きを狂わせていることは見て取れた。
新しいものを合わせ、棒を差し込む。
最初は途中で止まった。
職人は力で押さずに抜き直し、紙の図と実物を交互に見た。残してある部分を確かめ、やすりで少しずつ削っていく。
俺はその場所を、自分の紙へ描き写した。
やがて棒が奥まで通り、木の枠が動いた。
足元の踏み板に合わせて、張られていた糸が上下に分かれる。横から糸を通す道具が走り、乾いた音が工房へ戻ってきた。
職人は何度も往復させ、途中で手を止めては部品へ触れた。動きに引っ掛かりがないか、熱を持ちすぎていないかを確かめているらしい。
しばらくすると、止まっていた布の先へ、新しい織り目が伸び始めた。
「動きましたね」
「ああ。これなら、仕事を再開できる」
職人は機械から離れ、俺の描いた紙をのぞいた。
「削った場所は合っている。ただ、ここは少し大きく描きすぎだ。そんなに削ると、次は緩くなる」
指摘されたところへ線を引き直す。
寸法も添えてもらい、残る部品の状態を確かめたあと、職人は受領の書付へ署名した。ギルドへ返す紙とは別に、製作した相手へ渡してほしいと短い手紙も託される。
箱は空になったが、持ち帰るものは増えた。
最後に工房の奥を振り返ると、織り手が機械へ座り、布の続きを織っていた。
◇
浜へ戻ると、銀嶺は岳の隣で眠っていた。
俺が近づくと岳だけが顔を上げる。
『終わったか』
「ああ。あの部品で、止まっていた機械が動いたよ。帰ったら、作った職人さんに伝えないとな」
俺は荷袋から食べ物を出し、二頭の横へ腰を下ろした。
紙に書いてあった線や寸法が、機械へ組み込まれ、布になっていくところを見たばかりだった。依頼の品を渡して終わるより、ずっと運んだ実感がある。
しばらくして銀嶺が起きたので、水を飲ませ、鞍を載せる前に背中を確かめた。擦れも腫れもなく、触れた場所を嫌がる様子もない。
風は朝より弱まっていた。
「帰りは高原へ寄ろう。お前の群れのところまで乗せてくれ。その先は岳と帰るよ」
『私のところまで、一緒だね』
「ああ。今日は遠回りせずに帰ろう。俺も、帰りの背中に慣れたい」
銀嶺が立ち上がり、長く翼を伸ばした。
帰りは、雲の薄くなった尾根を越えた。朝と同じように身体を前へ置くと、銀嶺は確かめるように一度だけ首を動かし、そのまま飛び続ける。
途中からは、鞍の前へ手を添えなくても落ち着いて座っていられた。
高原が見えた頃、銀嶺が声を上げた。
草地にいた仲間たちが顔を上げ、何頭かが駆け出す。俺たちが降りると、そのうちの一頭が近づき、俺の肩へ頬を寄せてきた。
片手でその首を掻きながら、もう片方の手で銀嶺の帯を緩める。
『東の町まで行った』
銀嶺が、近づいてきた仲間へ告げた。
『隼人を乗せて、山を越えた』
俺は外した鞍を岳の荷へ留め、布で銀嶺の背を拭いた。灰白色の翼がゆっくり持ち上がり、風を通す。
「また来るよ、銀嶺。次は、もう少し楽に乗れるようにしてくる」
『私は、同じように飛ぶ』
「それでいい。俺が覚えるから」
岳の背へ戻ると、足元の幅も、身体を預ける場所も、考えなくても自然に決まった。
その慣れた背中から、銀嶺を見る。
銀嶺は群れの間へ戻りかけて、もう一度こちらへ顔を向けた。俺が手を上げると、灰白色の翼が大きく開いた。
小屋へ戻ったら、まずリーベルの職人を訪ねよう。
鞍の荷には、動き始めた織機の図と手紙が入っている。箱の中の四つの部品が、ちゃんと仕事をしていることを、早く知らせたかった。
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