第37話 傷ついた鷹にも、帰る場所がある
翌朝、騎乗具を運び出すと、岳は屋根の下から出てきた。
左右の翼を広げる動きに、昨日と違うところはない。付け根を確かめようと手を伸ばすと、こちらが触りやすいよう身体を少し傾けてくれた。
「痛むところはないか。今日は山を越えるぞ」
『問題ない。それより、袋が開いている』
振り返ると、書類袋の留め具が一つ掛かっていなかった。
「お前を気にして、自分の確認を忘れてたな」
『俺の背から中身を撒く前に気づいてよかったな』
留め具を締め直し、俺は岳の首を軽く叩いた。
今日は東の町へ書類を届ける。通常の便に加え、塔の近くで起きたワイバーンの襲撃も知らせなければならない。
ギルドへ寄ると、ミラは封筒を二つに分けて渡してくれた。
「こっちが向こうのギルド宛て。襲われた場所と、旧道の作業を止めたことを書いてあるわ。商人組合の分より、先に届けてね」
「分かりました。東から入っている調査隊にも、知らせてもらいます」
「お願い。二頭倒せたからといって、すぐ人を戻すわけにはいかないもの」
続いて、細い筒が差し出された。
「四枚翼の絵も入れたわ。知っている人が見つかればいいけど、返事を待って無理に帰りを遅らせないでね」
「書類を渡す時に、担当の方へ預けてきます」
俺が筒を袋へ収める間、外で待っていた岳は窓からこちらを見ていた。自分が気にしている絵の行き先は、やはり気になるらしい。
*
北の崖から距離を取り、南寄りの尾根を越えて東へ向かった。
瑠璃は見通しのよい場所では先を飛び、谷へ近づくと岳のそばへ戻ってくる。塔の南を通った時、俺は道へ目を向けた。
昨日の荷車は片づいていたが、折れた枝や潰れた下草は残っていた。
岳も一度そちらを見た。そのまま翼を広げ、東へ進んでいく。
盆地へ出ると風が和らいだ。畑の間を進む荷車も、川沿いに上がる煙も、山で起きたことをまだ知らずに動いている。
町の外へ下り、門兵にギルドへの取り次ぎを頼んだ。
「リーベルから、街道沿いの魔獣被害について連絡を預かっています。急ぎで担当の方へ届けたいのですが」
「分かった。東側の調査隊も戻っているから、そちらにも声を掛けておこう」
岳には門の外の木陰で待ってもらい、俺は瑠璃とギルドへ向かった。
封筒を受け取った担当者は、内容を読み進めるうちに表情を引き締めた。
「人が狙われたのですか。こちらの隊にも、引き続き山へ入らないよう伝えます」
「お願いします。襲われた三人は塔の一階へ逃げ込めましたが、道に残った一人を運ぶまで、かなり危ない状態でした」
「塔まで行ければ助かる、と考えるのも危険ですね」
「ええ。上を使っている岩翼鷲が近づけないようにしてくれていたので、人が中へ入れたところもあります」
担当者は頷き、地図へ場所を書き込んだ。
警告と絵の写しを預けてから商人組合へ回ると、返書は昼前に渡せると言われた。それなら先に水を補給し、岳のところへ戻っておこう。
そう考えてギルドの脇を通った時、肩の瑠璃が首を回した。
『奥に、蒼冠鷹がいる。翼を痛めている』
「この建物の中にいるのか?」
『窓の向こう。何かされたくないらしい』
開いた窓から中庭が見えた。
灰白色の羽が、低い台の上で動いている。俺は脇の戸へ回り、近くの職員に声を掛けた。
*
中庭の作業場には、血のついた布と水桶が置かれていた。
台にいるのは、瑠璃と同じ蒼冠鷹だ。右の翼を低く垂らし、革手袋をした女が近づくたび、嘴を向けている。
隣では、薬師だという男が道具を並べ直していた。
「手当ての途中にすみません。傷ついた鷹がいると聞いたんですが」
女は俺の肩を見てから、台へ視線を戻した。
「その鷹を連れているなら、鳥には慣れているんだね。今朝、町の外れで拾われてきたんだ。傷を見ようとすると動くから、かえって広げてしまいそうでね」
薬師が濡らした布を持ち上げた。
「右の翼に裂けた傷がある。何か残っているようにも見えるんだが、羽の下まで確かめられていない」
俺が横から近づくと、蒼冠鷹が顔を向けた。
張っていた肩の羽が緩み、嘴がこちらへ伸びてくる。
『お前のところへ行きたい』
「ここまで来なくていい。俺がそばに行くよ」
台の縁へ手を置き、相手が触れてくるのを待った。
「俺は隼人だ。肩にいるのは瑠璃。右の翼が痛むんだな」
蒼冠鷹は指へ頬を寄せたあと、右側へ顔を向けた。
『開くと引っ張られる。畳んでも、何かが当たる』
「羽の下に、引っ掛かっているものがあるのかもしれないな。薬師に見てもらおう」
俺が薬師へ向き直ると、女が驚いた顔でこちらを見ていた。
「今、何を話していたんだい。あんたの声を聞いて、大人しくなったように見えるけど」
「この鷹が何を言っているのか、俺には分かるんです。翼を開くと引っ張られて、畳んでも何かが当たると言っています」
女と薬師が顔を見合わせた。
薬師は蒼冠鷹を見てから、俺の手元へ目を戻した。
「言葉が分かるなら助かる。どこを触ると痛むのか、教えてもらえるだろうか」
「聞いてみます。俺が身体を支えるので、傷を診てもらえますか」
薬師は台へ布を敷き直した。
「右の翼を下敷きにしないようにしたい。動いたら無理に押さえず、一度手を止めよう」
俺は蒼冠鷹の左側へ回り、胸の下へ手を添えた。
「傷を見てもらう間、ここで支える。痛むところに触れたら、俺に言ってくれ」
『さっき、羽を持たれたところが痛い』
「それも伝えておく。少しずつやろう」
薬師へ注意する場所を伝えると、女も反対側へ回り、布の位置を整えてくれた。
*
血で固まった羽を湿らせると、傷の縁が少しずつ見えてきた。
俺は蒼冠鷹の呼吸に合わせ、胸を圧迫しないよう手を置いていた。瑠璃は頭上の横木へ移り、こちらを覗いている。
薬師が翼の角度を変えた時、蒼冠鷹の足指が台を掴んだ。
『それ以上は、開くな』
「今の角度までにしてください。これ以上開くと痛むそうです」
薬師はすぐに止めた。
「ここからでも見える。灯りを、もう少し右へ寄せてくれ」
女が灯りを動かすと、羽の間に黒いものが見えた。
折れた木片だった。先が斜めに入り、外からは血と羽に隠れていたらしい。
「これが擦れていたんだな。抜く前に、周りを少し確かめる。触ると痛むかもしれない」
「分かりました。本人に伝えます」
俺は蒼冠鷹へ顔を寄せた。
「傷に木の欠片が入っていた。今から外してもらう。動くと傷へ引っ掛かるから、痛くなったらまず俺に言ってくれ」
蒼冠鷹は俺を見つめ、嘴を手首へ軽く当てた。
『お前は、離れないでくれ』
「ああ。このまま支えている」
薬師が手を動かすと、一度だけ身体が浮きかけた。
俺は翼へ力を掛けず、胸と脚が滑らないよう支え直す。女が布を合わせ、薬師は傷の向きを確かめながら、ゆっくり木片を引き抜いた。
小さな欠片が皿へ置かれたところで、蒼冠鷹の足から力が抜けた。
『もう、当たらない』
俺が伝えると、薬師は息をついた。
「ほかに残っていないか見てから、傷を洗う。よく動かずにいてくれたな」
手当てを終える頃には、蒼冠鷹も周りへ嘴を向けなくなっていた。
女が用意した低い止まり木へ移すと、右の翼を庇いながら、自分で立つ位置を選ぶ。
俺は台から離れ、水桶をそばへ置いた。
「これで、少しは楽になったか」
『畳める。さっきより痛くない』
「よかった。ただ、飛んでいいかは、傷を見ながら決めよう。今日はここで休んだ方がいい」
蒼冠鷹は水を飲み、開いた中庭の戸へ顔を向けた。
『川の崖へ、戻りたい』
「元いた場所か。どの辺りか教えてくれるか?」
嘴が南を指した。
『川が曲がるところ。白い崖の上だ。隣の岩に、もう一羽いる』
俺は女へ向き直った。
「南の川が曲がるところに、白い崖はありませんか。その上へ帰りたいそうです。近くには、もう一羽いると言っています」
「あるよ。川の外側に、白い岩が出ている場所だろう。蒼冠鷹が止まっているのを見たことがある」
「その場所だと思います。飛べるようになったら、近くまで運んでもらえますか」
「もちろん。帰す場所が分かったなら、こちらも動きやすい。傷は薬師に診てもらうよ」
女が薬師へ目を向けると、彼も頷いた。
「まずは傷が落ち着くまでだな。羽を動かした時の様子も見たい。帰す日を決めるのは、それからにしよう」
蒼冠鷹へその話を伝えると、しばらく戸の向こうを見つめていた。
やがて、俺の指へもう一度頬を寄せた。
『飛べないまま出ても、崖へ上がれない』
「そうだな。帰れるように、ここで休もう」
*
女が餌の皿を持ってくると、蒼冠鷹は首を伸ばした。
手を近づけられても、嘴を向けるだけで追い払おうとはしない。女はその様子を確かめ、届く位置へ皿を置いてから手を引いた。
「今日はもう、傷を触らずにおくよ。水と餌を替える時も、急に近づかないようにする」
「ありがとうございます。俺がずっとそばにいるわけにはいかないので、そうしてもらえると助かります」
「世話は任せておきな。あんたには、痛いところを教えてもらえて助かったよ」
俺は蒼冠鷹へ、外で相棒が待っていることを伝えた。
こちらを見ていた目が、肩へ戻ってきた瑠璃へ向く。
『お前たちは、山へ帰るのか』
『隼人と岳のところへ帰る。お前も、翼が治ったら崖へ戻れる』
『ああ。あそこからなら、川がよく見える』
瑠璃は中庭を出るまで、何度か振り返っていた。
ギルドの職員へ声を掛けてから商人組合へ戻ると、返書はすでに整っていた。封筒を受け取り、帰りの風を確かめるため空を見上げる。
まだ昼を少し過ぎたところだ。岳に疲れがなければ、明るいうちにリーベルへ帰れる。
町の外へ出ると、木陰にいた岳が顔を上げた。
『薬の匂いがする。怪我でもしたのか』
「俺じゃない。瑠璃と同じ蒼冠鷹が保護されていて、手当てを手伝っていたんだ」
『それならいいが、お前は水を飲んだのか』
水筒を持ち上げると、朝からほとんど減っていなかった。
「手当てが終わったら飲もうと思って、そのままだった」
『なら、乗る前に飲め。俺はここで待っていたから、急がなくていい』
俺は岳の隣へ腰を下ろし、水とパンを腹へ入れた。
瑠璃も水を飲んでから、岳の騎乗具へ移る。二頭が落ち着いているのを確かめ、俺は返書を袋へ収めた。
*
町を離れる前に、南の川沿いを短く回った。
白い崖は、すぐに見つかった。川が大きく曲がる外側で、木々の間から明るい岩が露出している。
瑠璃が先へ飛ぶと、岩棚にいた蒼冠鷹が顔を上げた。
俺たちは距離を取り、川の上を大きく回った。ほどなく戻ってきた瑠璃が、岳の背へ下りる。
『朝から、あの鳥を見ていないそうだ。川の下も探したと言っている』
「町で手当てを受けていると伝えてくれるか。傷が治るまでは、崖へ戻れないことも頼む」
『伝えてくる』
瑠璃が再び岩棚へ向かった。
そこにいる蒼冠鷹はこちらを見たが、飛び立とうとはしなかった。瑠璃と向き合い、何度か首を動かしている。
話を終えて戻った瑠璃は、翼を畳んで俺を見上げた。
『居場所が分かって、安心したそうだ』
「それなら寄ってよかった。あとは、世話をする人にも崖の位置を確かめたと知らせておこう」
町の外れで門兵へ伝言を預け、俺たちは西へ向かった。
風を受けた岳が高さを取り、川と白い崖が少しずつ遠ざかっていく。瑠璃はしばらくそちらを見ていたが、やがて俺の近くへ身を寄せた。
『次に来たら、帰れたか聞こう』
「ああ。薬師たちに様子を聞こうな。元気に崖へ戻れていたら、俺も嬉しいよ」
俺は瑠璃の冠羽を指で整えた。
書類袋には、東から預かった返書が入っている。中庭で出会った鷹は、薬師と世話係の女に任せてきた。白い崖には、その帰りを待つ一羽がいる。
岳が尾根へ向けて翼を広げると、瑠璃もようやく身体を低くした。
俺は二頭と一緒に、リーベルへ続く山の向こうへ目を向けた。
──────────────────
YouTubeでショート動画作ってみました
https://youtube.com/shorts/spSkAdkT0sE?si=_5PpM7nCYZM6czxo
──────────────────




