第28話 山を越える空便
東の町から届いた封筒を受け取った翌日は、予定どおり遠出をしなかった。
岳の翼や背中に疲れが残っていないかを確かめ、騎乗具の革を手入れし、見張り塔から東側へ続く地図をもう一度頭へ入れる。山を越えて往復できたからといって、その翌日から同じ距離を当たり前のように飛ばせると考えるつもりはない。
さらに一日置いた朝、空はよく晴れていた。
風も弱い。
狩人小屋を出る前に岳の身体を確認したが、翼の動きにも歩き方にも違和感はなかった。
「今日は東の町まで行くぞ。途中で見張り塔へ降りて休むから、これまでより距離は伸びるけど、一気には飛ばない」
『分かった。町の外で待つ』
「まだ町へ入れるとも言ってないのに、そこはもう決めてるんだな」
『人間が多い場所は好きではない』
「はいはい」
瑠璃は屋根の横木から飛び降り、俺の肩へ移った。
『東の大きい町?』
「ああ。山の向こうに見えてたところだ。今日は商人組合へ手紙を届ける」
『探す仕事じゃない?』
「今日は運ぶのが主な仕事だな。ただ、道中で何か変なものを見つけたら教えてくれれば助かる」
『分かった』
荷物は少ない。
ミラから預かった封書と、リーベルの商人組合から渡された書類。それに旧道の調査内容を写した地図があるだけで、あとは俺たちの水と食料、いつもの装備だけだ。
岳の背へ跨がり、安全帯を締める。
「行こう」
『行くぞ』
大きな翼が朝の空気を打ち、森が一気に下へ離れていった。
◇
見張り塔までの飛行は、もう初めて見る景色ではなかった。
旧道の大崩落では地上からの調査が始まり、倒木で塞がれていた場所にも人の姿が見える。まだ荷車が通れる状態ではないが、放置された古道ではなく、再び人間が手を入れ始めた道へ変わりつつあった。
「少しずつ変わってきたな」
『人間は地面を直すのが好きだな』
「直さないと歩けないからな。お前みたいに全部飛んで越えられるわけじゃない」
『飛べば楽なのに』
「それができる奴が少ないんだよ」
『知っている。言ってみただけだ』
「最近、そういうこと言うようになったな」
岳から返事はない。
たぶん分かって言っている。
尾根へ近づくと、石造りの見張り塔が朝日に照らされて見えた。その頂上には、今日も灰褐色の大きな鳥がいる。
こちらを見つけた岩翼鷲はすぐに飛び立ち、岳の横へ並んだ。
『東へ行く?』
「ああ。今日は向こうの町まで行く」
『風は弱い。昼も昨日よりいい』
「それは助かる」
この山域で暮らしている岩翼鷲がそう言うなら、俺が空模様だけを見て判断するより信用できる。
見張り塔へ降り、岳を休ませた。
石槽には水が残っている。まだ飲料水としてそのまま使う気はないが、身体や道具を洗うには十分だ。
備蓄箱も荒らされていない。
「ちゃんと中継所になってきたな」
『私の塔』
上から岩翼鷲が返してくる。
「上はお前の場所だって分かってるよ。俺たちは下を借りてるだけ」
『ならいい』
ここだけは何度来ても確認されそうだ。
◇
山越えは、岩翼鷲が教えてくれた谷間を使った。
以前より風は穏やかで、岳も大きく姿勢を崩すことなく抜けていく。
尾根の向こうへ出た瞬間、東の盆地が視界いっぱいに広がった。
大きな川の両側へ畑が続き、その間にいくつもの村が点在している。さらに東には、高い城壁を巡らせた町が見えた。
リーベルより明らかに大きい。
「今日はあそこまで行く」
『人が多い』
「岳は町の外で待てる場所を探そう。向こうには到着予定を知らせてくれてるはずだ」
瑠璃が先へ出る。
しばらくして戻ってきた。
『町の手前、人が待ってる。赤い布もある』
「迎えだろうな。人数は分かるか?」
『六人。馬角獣もいる』
「分かった。近くまで行って確認しよう」
予告なしで大型のグリフォンが城壁へ向かえば騒ぎになる。
向こうが着地点を用意してくれているなら、その方がずっといい。
◇
城壁の西側には、街道から少し離れた広い草地があった。
赤い布が二枚、地面へ大きく広げられている。
その近くで六人の男が待っていた。
岳が高度を落とすと、繋がれていた馬角獣が落ち着きを失い始めたため、俺は人と家畜から十分に離れた場所を指した。
「岳、もう少し離れて降りよう。あの馬角獣を驚かせたくない」
『分かった』
十分な距離を取って着地する。
俺が安全帯を外している間に、向こうから三人が歩いてきた。
先頭は四十代くらいの男で、上質だが動きやすい服を着ている。武器よりも革鞄と書類入れの方が目立つ格好だった。
「神代隼人さんですね。リーベル側の調査隊から連絡を受けています」
「はい。神代隼人です」
俺は岳の方へ手を向ける。
「こちらのグリフォンが岳。俺の相棒です。肩にいる蒼冠鷹が瑠璃で、どちらとも俺は意思疎通できます」
「なるほど。グリフォンと蒼冠鷹を連れた冒険者だとは聞いていましたが、名前までは知りませんでした」
これで向こうも岳と瑠璃の名前を知った。
「本当に朝にリーベルを出て、もう着いたんですか?」
「途中の見張り塔で岳を休ませています。それでもこの時間ですね」
男は空を見上げ、それから岳へ視線を戻した。
「今の陸路では、とても同じ日に往復できる距離ではありません。旧道が復旧したとしても、荷馬車なら一日は必要になるでしょう」
「大量に運ぶなら、地上の道が必要ですけどね」
「その通りです。ですから、旧道の復旧とは別に、あなた方の移動速度にも興味があります」
いきなり商売の話へ持っていくあたり、さすが商人組合だ。
「まずは、預かってきたものを渡します」
俺は書類袋を取り出した。
封蝋はそのままで、途中の破損もない。
男は受け取ると、その場では開けず、書類入れへ丁寧に収めた。
「確かに受け取りました。町へ入って、組合で内容を確認していただきたいのですが、岳はどうされますか?」
「岳は人の多い場所をあまり好まないので、町の外で待てる場所があるなら、その方が助かります」
「こちらもそのつもりで準備しています。城壁沿いに軍用馬の訓練場がありますから、今日はその一角を空けています。一般の家畜とは距離を取れますし、見張りも置けます」
「檻に入れるような形ではないですよね?」
「もちろんです。あなたの相棒だと今伺いましたから、自由に休める場所として使ってください」
「それならお願いします」
岳を見る。
「俺は町の中へ行く。ここで待っててくれるか?」
『構わない』
「何か嫌なことがあったら、無理に我慢しなくていいからな」
『俺は子供ではない』
「分かってるよ」
商人組合の男がこちらのやり取りを見ている。
「岳は何と言ったんです?」
「一人でも待てるから、そこまで心配するなって感じですね」
『そこまでは言っていない』
「細かいな」
相手には岳の返事が聞こえないので、俺だけが苦笑することになった。
◇
東の町へ入って最初に感じたのは、人の多さだった。
街道の幅はリーベルより広く、荷馬車が何台も行き交っている。その間を旅人や職人、商人が途切れることなく歩き、二階建ての建物も珍しくない。
市場からは香辛料と焼いた肉の匂いが混ざって流れてきた。
瑠璃は俺の肩にいる。
珍しいらしく視線は集まるが、岳ほど騒ぎにはならない。
「賑やかだな」
『人いっぱい』
「岳が嫌がるのも分かるだろ」
『私は平気』
「お前はそうだろうな」
案内役の男には瑠璃の声は聞こえていない。
俺が話しかけているのを横目で見ながら、少し笑った。
「瑠璃とも、ずっとこうして会話できるんですね」
「はい。ただ、声が聞こえるのは俺だけです。瑠璃が何か伝えてきても、人に話す必要があれば俺から説明します」
「それなら商談中に、瑠璃から助言が入ることもあるわけですね」
「商売の助言は期待しない方がいいと思います」
『肉なら分かる』
「瑠璃は、肉のことなら分かるって言ってます」
男が声を上げて笑った。
「それなら商人より信用できる評価かもしれません」
◇
東商人組合の建物は、市場に面した三階建てだった。
奥の部屋へ案内されると、すでに三人が待っていた。
最初に迎えへ来た男も席へつき、全部で四人。年齢は四十代から六十代くらいに見える。
いきなり大人数で囲むのではなく、実際に旧道を使う可能性が高い商人たちだけを集めたらしい。
俺はリーベル側で確認した内容を、地図を広げながら説明する。
木橋は補修すれば荷車を通せる可能性がある。
風倒木の区間には迂回路を作れそうな場所があり、最大の問題は山間部の大崩落だ。ただ、北側の岩盤沿いへ道を切り直す案が出ている。
東側から旧道へ入る区間は、比較的状態がいい。
「向こうの道路管理の担当者からも、地上で追加確認に入ると聞いています。空から見ただけで道を作れるかまでは俺には判断できませんから、最終的な工法は専門の人同士で詰めてもらった方がいいと思います」
年長の商人が頷いた。
「それで十分です。これまで問題だったのは、どこが壊れているのか調べるだけでも時間と人手が掛かることでした。場所が絞れているなら、こちらからも技術者を出せます」
「東西両方から確認できれば、かなり進めやすくなりそうですね」
「そう期待しています」
別の商人が、机の端に置かれた封筒へ視線を向ける。
「それから、今日のような書類なら、今後も運んでいただくことは可能でしょうか。旧道が復旧するまでの連絡だけでも、大幅に時間を短縮できます」
「重量はほとんどないので、天候に問題がなければできます」
「薬や、小さな交換部品くらいの荷物も同じでしょうか?」
「その程度なら可能だと思います。ただ、量が増えるなら毎回岳への負担を確認します」
「荷馬車の代わりをしていただきたいわけではありません」
年長の商人が先に線を引いた。
「我々が期待しているのは、軽くて急ぐ物です。契約書、相場表、薬、小さな見本品などですね。大量の商品を運ぶ地上輸送と競わせるつもりはありません」
「それなら話は分かりやすいです」
大物を大量に運ぶなら地上。
軽くて急ぐ物なら空。
役割が違う。
「人の輸送もされたと聞いています。ただ、それは緊急時に限った運用だと考えてよろしいでしょうか」
「はい。俺ともう一人までにはしていますけど、天候や体格、岳の状態次第では断ります。通常の移動手段として毎日人を運ぶつもりはありません」
「商人を日帰りでリーベルへ送ること自体は、条件がよければ可能という理解でいいですか?」
「可能かどうかだけなら、たぶんできます。でも、岳に負担を集中させたくないですし、空を飛ぶのに慣れていない人を頻繁に乗せれば事故の可能性も上がります。その辺りは、必要性を見て判断したいです」
相手は不満を見せず、むしろ納得したように頷いた。
「金を払えば何でも頼める、と考えていない方がこちらも安心です。長く使える仕組みにしたいですから」
その考えなら、俺も話しやすい。
◇
「まずは一つ、試したいことがあります」
年長の商人が、新しい封筒を机へ置いた。
「リーベルの商人組合宛ての返書です。これが今日中に届くなら、従来とは比較にならない速さで話を進められます」
「持ち帰るだけなら問題ありません」
「それから、こちらもお願いします」
小さな木箱が置かれた。
片手で持てるほどの大きさだ。
「中身を確認しても大丈夫ですか?」
「もちろんです」
蓋を開ける。
中には金属製の小さな部品が十数個、布に包んで並べられていた。
「機織り機に使う交換部品です。リーベル側の工房で同じ物を作れるか、見本として届けたい。高価な品ではありませんが、なるべく早く返事が欲しい」
「この重さなら問題ないです」
「では、正式な依頼としてギルドを通しましょう。こちらの商人組合から依頼書も付けます」
「それなら受けられます」
勝手な個人商売にするつもりはない。
まだこの世界の商取引や、事故が起きた時の責任について十分に理解しているわけではない。ギルドを通しておいた方が、俺にも相手にも安全だ。
「かなり慎重なんですね」
商人の一人が感心したように言う。
「こっちの商売について知らないことが多いので、分からない部分は既存の仕組みに乗った方がいいと思ってます」
「その方が、こちらも長く付き合えそうです」
年長の商人が笑った。
◇
組合を出る前に、俺は市場で肉を買った。
岳の分。
瑠璃の分。
それから自分の昼食も用意する。
「遠い町まで来て、結局最初に買うのは肉なんですね」
案内役の男が笑う。
「岳に人や荷を運んでもらってますから、食べる量も多いんですよ」
「維持費は相当掛かりそうですね」
「かなり掛かります」
『私はそんなに食べない』
「お前は岳と比べればな」
案内役の男が俺を見る。
「今、瑠璃は自分の食費について何か言ったんですか?」
「自分はそんなに食べないって主張してます」
「自己主張がはっきりしてますね」
「最近かなり強くなりました」
瑠璃は悪びれもしなかった。
◇
城外の訓練場へ戻ると、岳は日陰に伏せていた。
近くにいる兵士とも十分に距離を取っている。
俺を見つけると顔を上げた。
『遅い』
「初めての町なんだから、話すことが多かったんだよ」
『肉は?』
「買ってきた」
『ならいい』
「そこだけは確認が早いな」
『腹は減る』
正しいから困る。
岳に肉を食べさせ、その間に騎乗具と荷を確認する。
持ち帰るのは封書と小さな木箱だけなので、朝より軽いくらいだ。
「帰りも見張り塔へ寄るぞ。そこで風を見てから山を越える」
『分かった』
「疲れは残ってないか?」
『ない』
「なら頼む」
瑠璃も残った肉を食べ終え、翼を広げた。
町の人間が何人か、遠くからこちらを見ている。
近づいてくる者はいない。
東商人組合が、鞍を付けたグリフォンと冒険者が来ることを事前に説明していたのだろう。野生のA級魔獣が現れた時とは、当然ながら反応が違う。
「出るぞ」
『行こう』
◇
見張り塔へ戻ると、岩翼鷲はちょうど空から降りてきたところだった。
『町、行った?』
「ああ。人が多かった」
『だから嫌』
「岳と同じこと言うな」
『俺は何も言っていない』
「前に散々言ってただろ」
岳を休ませながら、東商人組合から預かった木箱を確認する。
革帯は緩んでいない。
封書も濡れていない。
空輸という言葉がこの世界にあるのかは知らないが、やっていることはそれに近い。
人より先に情報を運び、軽い荷を必要な場所へ送る。
地上の道が完成するのを待たず、空で町と町を結ぶ。
大量輸送はできない。
天候にも左右される。
何より岳一頭へ無理をさせれば、すぐに成り立たなくなる。
それでも、数日掛かっていた情報や小さな荷物を、その日のうちに届けられる価値は大きい。
「俺たち、これから仕事が増えそうだな」
『肉も増えるか』
「報酬が増えればな」
『ならいい』
岳にとっては非常に分かりやすいらしい。
◇
リーベルへ戻ったのは、日が傾くよりかなり前だった。
西門の兵士は俺たちを見ると手を上げた。
「今日は東の町まで行ったのか?」
「行って戻ってきました」
兵士が目を丸くする。
「本当に一日で往復するんだな」
「途中で見張り塔へ二回寄ってますけどね」
「それでも十分速すぎる」
岳を町の外へ残し、俺と瑠璃はギルドへ入った。
ミラの受付へ、東商人組合から預かった封書と木箱を置く。
「戻りました」
「思ってたより早かったわね。向こうの町までは問題なく行けた?」
「はい。途中で岳を休ませましたし、風も穏やかでした」
「それならよかった」
「向こうの商人組合から、返書とこれを預かってきました。リーベルの工房で作れるか確認してほしい機織り機の部品です。依頼書も入ってます」
ミラが封書を確認し、続けて木箱を受け取った。
「朝に出発して、向こうで商談まで済ませて、それでもこの時間に帰ってきたのね」
「岳が飛べますから」
「それを差し引いても速いのよ」
ミラが木箱を持ち上げる。
「これが最初の正式な町同士の運送になるのかしら」
「まだ試験みたいなものじゃないですか?」
「試しでも、正式な依頼として報酬が出るなら仕事よ」
それは確かにそうだ。
遭難者を探すところから始まった。
薬を届け、人を運び、街道や山を調べた。
そして今日は、初めて別の町から別の町へ正式な荷物を運んできた。
「向こうからは、今後も軽くて急ぐ物を頼みたいって話がありました。ただ、毎回受けられるとは約束してません。岳の状態と天候を見て、その都度判断したいです」
「その条件で契約を作るわ。無理に定期便へするより、まずは必要な時に依頼を出す形がいいでしょうね」
「お願いします」
「それから、東商人組合からあなたたちへの報酬も出てる。依頼処理が終わったら渡すわ」
「助かります」
最近は小屋の補修だけでなく、岳たちの食費も確実に増えている。
収入が増えるのはありがたい。
◇
ギルドを出ると、岳がこちらを見る。
『終わったか』
「ああ。今日の仕事は終わり」
『帰るのか』
「その前に明日の肉も買って帰ろう。さっき食べたのは今日の分だからな」
『必要だ』
「用意がいいな」
瑠璃も俺の肩から飛び上がる。
『私のも』
「分かってるよ」
岳の背へ跨がる。
眼下にはリーベルの町があり、その向こうには見張り塔のある山が連なっている。さらに山を越えれば、今日初めて歩いた東の大きな町がある。
昨日までは遠くに見えるだけだった。
今日は朝に出て、その町で人と話し、正式な荷物を受け取って、もうここまで戻ってきた。
地図の上では遠い。
地上の道でも遠い。
それでも空を使えば、一日の中で往復できる。
ただ飛べるだけだった岳の翼が、少しずつ町と町、人と人を結ぶ手段になり始めている。
だからこそ急いではいけない。
岳が無理なく飛べる距離を知り、途中で休める場所を確保し、天候を読んだうえで仕事を選ぶ。
そうやって作る空の道なら、一度きりの奇跡ではなく、長く使えるものになるはずだ。
「帰ろう、岳」
『肉だな』
「小屋へ、だよ」
『帰れば肉がある』
「……まあ、そうだな」
岳が満足そうに翼を開いた。
瑠璃がその横へ並ぶ。
俺たちは夕方の空へ上がり、森の中にある帰る場所へ向かった。
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