第25話 見張り塔には主がいた
旧道の調査から戻った翌朝、ギルドへ顔を出すと、ミラの机に昨日拾った大きな羽が置かれていた。
「分かったんですか?」
「ええ。鑑定のできる人に見てもらったわ」
ミラが羽軸の根元を指先で押さえる。
「《岩翼鷲》ですって」
「岩翼鷲……」
聞いたことのない名前だ。
「山岳地帯に棲む大型の猛禽系魔獣。成体なら翼を広げて六メートル前後。個体によっては、もっと大きくなるらしいわ」
「結構でかいですね」
「単独ならB級相当。ただ、人里へ降りて家畜を襲うことはほとんどないから、積極的な討伐対象にはならないそうよ」
「縄張りに入らなければ、それほど危険じゃない?」
「普段はね。ただし繁殖期の巣へ近づけば話は別」
それなら普通の猛禽と大きく変わらない。
オオタカだって、巣の近くでは神経質になる。
「それで昨日の石塔なんだけど」
ミラが別の紙を差し出した。
道路管理を担当する男からの依頼だった。
旧道を復旧させるなら、尾根に残っていた見張り塔も再利用できるか確認しておきたい。ただし、あの場所を岩翼鷲が使っている可能性があるため、人間を送り込む前に状況を調べてほしいという。
「俺たちが先に見てきた方がいいってことですか?」
「そういうこと。あなたなら少なくとも、猛禽系魔獣といきなり殺し合いになる可能性は低いでしょう?」
「相手が猛禽なら、たぶん」
「その条件付きなのも分かってるわ」
ギルドでは《猛禽寵愛》の性質もかなり理解されてきた。
もっとも、何をしても許される能力ではない。
猛禽や、それに近い魔獣から強い好意を向けられ、意思を交わせる。
だからといって、相手の自由まで奪えるわけじゃない。
巣を壊そうとすれば当然嫌がるだろうし、こちらの頼みなら何でも従うというものでもない。
「もし塔を岩翼鷲が使ってるなら、無理に追い出す話じゃないですよね?」
「道路管理の方もそのつもりよ。共存できないなら塔の利用を諦めるって」
「それなら行ってきます」
◇
西門の外で岳へ話す。
『またあの塔か』
「ああ。昨日拾った羽の持ち主がいるかもしれない」
『大きい鳥だったな』
「岩翼鷲っていうらしい。B級相当だって」
『俺より下か』
「そこで張り合う必要ある?」
『確認しただけだ』
怪しい。
瑠璃は俺の肩から飛び上がった。
『知らない鳥』
「昨日もそう言ってたな」
『会える?』
「いればな。ただ、巣があったら勝手に近づかないぞ」
『分かった』
銀嶺は朝早く高原へ戻っている。
今日は岳と瑠璃だけだ。
騎乗具を確認し、岳の背へ跨がる。
「行こう」
『分かった』
◇
一度飛んだ道なので迷わない。
旧街道を北東へ。
倒木の区間。
補修が必要な橋。
山間の大きな崩落。
地図へ書き込んだ場所が次々と眼下を流れていく。
尾根に石塔が見えてきた。
「瑠璃、何かいるか?」
瑠璃が少し高度を上げる。
『今はいない。でも羽、増えてる』
「新しいのか?」
『たぶん』
「じゃあ、今日も使ってるな」
岳には塔から少し離れた岩場へ降りてもらった。
いきなり塔の上へ乗り付ける必要はない。
俺は弓を背負い、山刀を腰へ差したまま歩く。
戦うつもりではない。
いつも山へ入る時の装備だ。
塔へ近づく。
注意して見れば、痕跡はいくつもあった。
石壁の上に残る白い汚れ。
灰褐色の羽。
上部の石材に刻まれた、大きな爪跡。
何度もここへ来ている。
「でも、住んでるって感じじゃないな」
『なぜ分かる』
後ろから岳が訊く。
「巣材がない。食べ残しもほとんどない。ここでずっと寝起きしてるなら、もっと痕跡が溜まると思う」
鉤翼蜥の巣とは明らかに違う。
あそこには獲物の骨や巣材が大量に残っていた。
この塔は、何度も立ち寄っているだけの場所に見える。
入口へ近づく。
崩れた石の隙間から中を覗いた。
古い木製の階段は途中で落ちている。
壁は厚い。
所々に亀裂こそあるが、今すぐ崩れ落ちそうには見えない。
奥には石造りの小部屋。
古い炉の跡。
雨水を貯めていたらしい石槽まで残っていた。
「昔は、見張りの人が泊まれるようになってたみたいだな」
『ここに住むのか』
「俺たちは住まないよ。直せるなら、遠くへ行く時に休める場所にはなるかもしれない」
遠距離を飛ぶなら、中継できる場所はある方がいい。
強い雨。
強風。
怪我。
予定外のことがあった時、降りて休める場所を知っているだけでも違う。
塔の外へ出た時だった。
瑠璃が急に空を見上げた。
『来た』
少し遅れて、大きな羽音が聞こえた。
ロック鳥ほどではない。
だが銀嶺より明らかに大きい。
灰褐色の翼を広げた鳥が、尾根の上を一度旋回した。
「岩翼鷲か」
名の通り、翼の上面は岩肌に近い灰色をしている。
腹側は薄い褐色。
嘴は黒く、脚も猛禽らしい太さがある。
翼を畳んで立っても、人間の胸を軽く越えそうだった。
岩翼鷲が俺たちを見る。
次の瞬間、警戒とは違う感情が流れ込んできた。
近づきたい。
会ってみたい。
好ましい。
これまで何度も覚えた感覚だった。
《猛禽寵愛》は、岩翼鷲にも働いている。
岩翼鷲が塔の上へ降りた。
重い着地音が石へ響く。
こちらを見下ろす。
『変な人間』
「初対面でそれ?」
瑠璃が俺の肩へ戻る。
岳は少し前へ出た。
『隼人に失礼だ』
「岳、いいよ」
岩翼鷲が首を傾げた。
『隼人?』
やはり俺の名前は知らない。
当然だ。
「俺は神代隼人。隼人でいい。こっちのグリフォンが岳で、肩にいるのが瑠璃」
『隼人』
「ああ」
『好き』
「ありがとう」
直球だ。
瑠璃と初めて会った時を思い出す。
「この塔、よく使ってるのか?」
『使う』
「巣は?」
『ここじゃない』
少し安心した。
「どこにあるか訊いてもいい?」
岩翼鷲は北側の山へ顔を向けた。
『あっち。高い崖』
「ここは休む場所?」
『休む。見る。風を待つ』
「なるほど」
尾根の上なら遠くまで見渡せる。
風も読める。
大型の猛禽にとって、都合のいい止まり場なのだろう。
「人間がこの塔を使っても大丈夫か?」
『何する?』
「下の部屋を直して、雨や風が強い時に休めるようにしたい。危ないところは補修するかもしれない」
岩翼鷲の目が細くなる。
『上は?』
「お前がいつも使ってるなら、上はできるだけ空けておく」
『石を壊さない?』
「危ない石は直す。でも、勝手に全部作り変えるつもりはないよ」
岩翼鷲は少し考えた。
『ならいい』
「ありがとう」
『上は私が使う』
「分かった」
『隼人も来る?』
「たぶんな」
『ならいい』
ずいぶん個人的な理由で許可された気もする。
だが、無理に追い出さずに済むなら、それに越したことはない。
◇
岩翼鷲が塔から地面へ降りる。
近くで見ると、改めて大きい。
瑠璃は怖がる様子もなく、少し離れた石へ移って岩翼鷲を観察していた。
『ここ、よく見える』
岩翼鷲が言う。
「東の町も?」
『見える日がある』
「昨日、山の向こうに大きな町が見えたんだ。あそこへも行く?」
『行かない』
「どうして?」
『人が多い。うるさい』
岳がわずかに頷いた。
『分かる』
「お前も町の外で待つもんな」
『人間は多すぎる』
「俺も人間だけど」
『隼人は一人だ』
「そういう問題なのか?」
瑠璃が嘴を小さく鳴らす。
『私は町、平気』
「お前は岳たちより小さいから入りやすいしな」
『小さくない』
「岳や岩翼鷲と比べたら、って意味」
瑠璃は納得していないようだった。
◇
「一つ訊いていい?」
『何?』
「この辺りを飛ぶ大きな鳥って、他にもいる?」
『いる』
「岩翼鷲?」
『違うのもいる』
鷹匠として、少し興味が湧く。
「どんなの?」
『白いの。赤いの。夜のもいる』
「結構いるんだな」
『山は広い』
その通りだ。
「人を襲う鳥もいる?」
岩翼鷲は少し考えた。
『腹が減れば狩るのもいる。でも人は面倒』
「面倒?」
『群れる。武器を使う。狩るなら鹿の方が楽』
「合理的だな」
野生の大型猛禽からすれば、人間を積極的に獲物へ選ぶ利点は少ないらしい。
もちろん、すべての個体が同じとは限らない。
「この塔の周りに、人を襲うようなのは?」
『いない』
「なら、修理の人を連れてきても大丈夫そうだな」
『いっぱいは嫌』
「工事する時だけ、何人か来ると思う」
『隼人も来る?』
「最初は来るよ」
『ならいい』
やはり最終的な基準が俺になっている。
◇
俺は塔をもう一度見て回った。
一階。
外壁。
石槽。
崩れた階段。
上へ続く部分は、俺が勝手に触るべきじゃない。
道路管理の担当者と石工に見てもらう必要がある。
もし使えるなら、一階を休憩場所にする。
石槽へ雨水を貯められるよう整える。
保存の利く食料や応急用品を少し置く。
それくらいでも、遠距離飛行の安心感はかなり変わる。
「岳」
『何だ』
「ここ、途中で休める場所になったら便利そうか?」
『屋根がある』
「そうだな」
『水も置ける』
「ああ」
『ならいい』
単純だが、必要な条件は押さえている。
「瑠璃は?」
『高いところある』
「そこ大事なんだ」
『大事』
岩翼鷲が塔の上を見上げた。
『上は私』
『分かってる』
瑠璃があっさり譲った。
珍しい。
「銀嶺が遊びに来たら、あいつも上に止まりたがりそうだな」
『上は私』
「はいはい。そこは伝えとく」
岩翼鷲にも、譲れない場所はあるらしい。
◇
「そろそろ戻るよ」
『もう?』
「町へ報告しないと」
『また来る?』
「ああ」
『明日?』
「明日かどうかは分からない」
『来たら分かる』
「空から見える?」
『匂いと羽音』
「岳の羽音か」
『大きいから分かる』
『悪かったな』
岳が低く返す。
岩翼鷲は気にした様子もない。
俺は名前の話をしなかった。
岩翼鷲も求めてこない。
それでいい。
こいつにはこいつの暮らしがある。
北の崖に巣がある。
この塔を休憩場所として使っている。
たまに俺たちが来れば話す。
無理に関係を変える理由はない。
「またな」
『また』
岳へ跨がる。
瑠璃が先に舞い上がった。
俺たちが尾根を離れると、岩翼鷲は塔の頂上へ戻った。
昨日、羽が落ちていた石壁の上。
そこからこちらを見送っている。
◇
リーベルへ戻ると、ミラと道路管理の担当者へ報告した。
「岩翼鷲が使ってました」
「やっぱりか」
男が腕を組む。
「巣は別の場所にあるそうです。塔は休んだり、周囲を見たりするのに使ってるみたいですね」
男の動きが一瞬止まる。
「……本人に聞いたのか?」
「はい」
男は何とも言えない顔をした。
ミラはもう慣れた様子で続ける。
「それで、その岩翼鷲は何て?」
「人間が塔の下を使うのは構わないそうです。ただ、塔の上は自分が使うから空けておいてほしいって」
男の眉が上がる。
「魔獣と塔の使用場所まで相談してきたのか」
「追い出す必要がないなら、その方がいいでしょう?」
「それは間違いないが……いや、もういい」
男は地図を引き寄せた。
俺は塔の位置を指す。
「一階は使えそうでした。階段と上部は、石工の人に見てもらった方がいいと思います。雨水を貯める石槽も残ってます」
「外壁は?」
「大きく崩れてはいません。ただ、亀裂はいくつかありました」
「なら石工を連れていく」
「その時は俺も一緒に行きます。知らない人だけで突然行ったら、岩翼鷲がどう反応するか分からないので」
「頼めるか?」
「はい」
男が地図を見ながら考え込む。
「旧道を復旧するなら、あの塔は地上の見張りにも使える。お前たちの中継場所にもなるか」
「俺もそう考えてました」
ミラがこちらを見る。
「本当に空の道まででき始めたわね」
「まだ休める場所を一つ作るだけですよ」
「地上の街道だって、道だけじゃ成り立たないでしょう? 宿場があって、水場があって、馬を休ませる場所がある。空も同じじゃない?」
「……言われてみれば、そうですね」
最初から大がかりな施設を作る必要はない。
降りられる場所。
水。
雨風を避けられる屋根。
必要最低限の物資。
それが飛べる距離ごとにあれば、今よりずっと遠くまで安心して行ける。
◇
ギルドを出る頃には、昼を過ぎていた。
西門の外では岳が待っている。
『終わったか』
「ああ。塔は直す方向になった」
『俺の休む場所もできるのか』
「そうなるな」
『なら早く直せ』
「工事するのは俺じゃないよ」
『隼人も行くと言った』
「立ち会うだけだって」
瑠璃が俺の肩から飛び上がる。
『岩翼鷲もいる』
「ああ」
『名前ない』
「ないな」
『付けない?』
「本人が欲しがってないからな」
『そう』
「何でも名前を付ければいいってものじゃないよ」
瑠璃は少し考えてから頷いた。
『私は欲しかった』
「だから瑠璃って付けた」
『銀嶺も』
「あいつも自分から欲しがったな」
名前は力を与えるための道具じゃない。
結果として成長や進化へ影響することが分かっていても、それだけのために付けるつもりはない。
その個体が名前を欲しがる。
俺も呼びたいと思う。
そこまで来て、初めて考えればいい。
『俺は最初から岳だった』
隣から声が届いた。
「ああ」
俺は岳を見る。
「だからお前は特別だよ」
岳が一瞬だけ黙る。
『そうか』
それだけだった。
だが、少し機嫌が良くなったのは昔から一緒にいる俺には分かる。
「帰ろう」
『飯だな』
「今日はそんなに仕事してないだろ」
『飛んだ』
「はいはい」
岳の背へ乗る。
瑠璃も横へ上がった。
北東の山には古い見張り塔がある。
その頂上には、岩翼鷲がいる。
いずれそこが、俺たちにとって最初の空の中継所になるかもしれない。
さらにその先には、まだ名前も知らない大きな町。
白い鳥。
赤い鳥。
夜に飛ぶ鳥。
俺の知らない空が続いている。
急ぐ必要はない。
一つずつ飛べる場所を増やしていけばいい。
岳と瑠璃がいる。
銀嶺も、また来る。
なら、そのうち地図の薄い場所も、知らない場所ではなくなっていくはずだ。
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