第21話 空から仕留める
騎乗射撃の練習をした翌朝、肩の張りは思ったより軽かった。
腕を回す。
痛みはない。
弓を引いた時に使った筋肉が少し重い程度だ。
「今日はやめておいた方がいいかな」
『何をだ』
小屋の外で肉を食べていた岳が顔を上げる。
「昨日の練習。毎日同じところばっかり使って、肩を痛めても仕方ないだろ」
『また慎重だな』
「怪我してから休む方が長いんだよ」
『それは分かる』
岳自身も、少し前まで翼を傷めていた。
そこは反論しなかった。
瑠璃は屋根の横木で羽繕いをしている。
『今日は飛ばない?』
「町には行く。仕事があるかもしれないしな」
『なら飛ぶ』
「お前はいつも飛んでるだろ」
『そうだった』
本人は気にしていないらしい。
◇
ギルドへ入ると、ミラが俺を見るなり手を上げた。
「ちょうどよかった」
「嫌な始まり方ですね」
「何でよ」
「そう言われる時、大体何かありますから」
「仕事を探しに来た冒険者が何言ってるの」
それもそうだった。
「何です?」
「南東の放牧地から連絡。甲背狼が出たそうよ」
聞き覚えのある名前に、俺の手が止まる。
「甲背狼……」
「知ってるの?」
「こっちへ来た最初の夜に襲われました」
背中へ黒い甲板を持つ狼型の魔獣。
六頭の群れで来た。
岳も俺も怪我をした相手だ。
売った背板の名前を教えてもらったのも、このギルドだった。
「そういえば、最初に持ってきた素材が甲背狼だったわね」
「今回は何頭です?」
「確認できたのは五頭。羊を一頭持っていかれてる。昨日の夕方に牧童が見つけて、夜は家畜を柵の中へ入れて凌いだそうよ」
「人は?」
「今のところ無事。ただ、放牧を止めたままにもできない」
地図を見る。
リーベルから南東。
山地というより、森と草地が混ざる丘陵地帯だ。
「討伐依頼ですか?」
「本来ならね。ただ、今回はまず位置を確認してほしいって」
「空から?」
「ええ。群れが放牧地の近くに残ってるのか、森へ戻ったのか。それが分からないと討伐隊も動かしづらいから」
前なら、人間が足跡を追って森へ入ったのだろう。
俺たちなら先に上から見られる。
「見つけた場合は?」
「無理に戦わなくていい。位置と頭数を報告してくれれば依頼達成」
「分かりました」
そこまで聞いたところで、ミラが少し間を置いた。
「ただし、家畜や人が襲われてる最中なら話は別。助けられる状況なら判断は任せる」
「了解です」
無理をする気はない。
だが、目の前で襲われている人間を置いて位置だけ報告しに帰る気もなかった。
◇
西門の外で岳へ事情を話す。
「甲背狼だ」
『覚えている』
返事が少し低くなる。
「前とは違うぞ。今回は昼だし、俺たちも装備がある」
『俺も飛べる』
「あの時は翼を傷めたからな」
『今は問題ない』
「分かってる。でも正面から群れに突っ込む必要はない」
『俺はそこまで馬鹿ではない』
「知ってるよ」
騎乗具を確認し、弓を背負う。
今日は人も荷物もない。
俺一人だ。
「瑠璃、少し広く見てくれ。狼みたいな黒い獣が五頭前後。背中に硬い板がある」
『分かる』
「見つけても低く寄りすぎるなよ」
『分かった』
三頭ではない。
俺と岳と瑠璃。
いつもの形で飛び立った。
◇
放牧地は上からでも分かりやすかった。
なだらかな丘。
木柵で区切られた草地。
その中央付近に、羊に似た白い家畜が固まっている。
普段なら広く放しているのだろうが、今日は建物の近くへ寄せられていた。
岳へ降りてもらう。
こちらに気づいた男が二人、最初は身構えた。
「冒険者ギルドから来ました!」
声を掛けると、片方がほっとした顔になる。
「空から探すって話の人か!」
「はい。甲背狼を最後に見た場所を教えてください」
年上の男が北側の森を指す。
「昨日、羊を持っていったのはあっちだ。夕方に三頭まで見た。夜中にも遠吠えが聞こえたから、まだ近くにいると思う」
「人が森へ入ったりは?」
「してない。ギルドから待てって言われた」
「それでいいです」
俺は岳を見る。
「ここから上がる」
『分かった』
男が岳の巨大な翼を見て一歩下がった。
「そのグリフォンも探すのか?」
「岳って名前です。俺の相棒で、上から一緒に見ます」
「そっちの鳥も?」
「瑠璃です。あいつの方が目はいいですよ」
『当然』
瑠璃の返事は俺にしか聞こえない。
男たちには伝えず、俺はそのまま岳の背へ乗った。
◇
森の上をゆっくり回る。
甲背狼は黒い。
背板も暗い。
木陰に入れば、上からでも簡単には見つからない。
「瑠璃、森だけじゃなく草地との境を見てくれ。獲物を狙うなら完全に奥には入ってないかもしれない」
『分かった』
岳は低く飛びすぎない。
梢から十分距離を取る。
俺は地面より、動物の移動跡を見る。
草が倒れた場所。
獣道。
森の縁にある茂み。
前に甲背狼と戦った時は、暗闇の中で待ち受けるしかなかった。
今は逆だ。
こっちから探せる。
『隼人』
瑠璃が戻ってきた。
「いたか?」
『四つ。木の下』
「場所は?」
『向こう。水の近く』
「五頭じゃない?」
『見えるのは四つ』
「分かった。案内してくれ」
岳が瑠璃の後を追う。
沢が森から草地へ出る場所。
木立の影へ、確かに黒い身体が見えた。
一頭。
二頭。
三頭。
四頭。
背には見覚えのある硬そうな甲板。
「いたな」
『少ない』
「あと一頭いるかもしれない。決めつけるな」
群れは休んでいる。
こちらにはまだ気づいていないらしい。
放牧地からは少し離れている。
今なら位置を覚えて戻れば、それで仕事は終わる。
そう考えた時だった。
『隼人』
瑠璃が別方向へ顔を向ける。
『一つ、走ってる』
「どこ?」
『草の方』
俺も見る。
森の縁から、黒い影が一つ飛び出していた。
五頭目。
向かっている先には、羊ではない。
人がいる。
十代半ばくらいの少年が一人、柵の外で小さな荷車を引いている。
「まずい」
少年はまだ気づいていない。
甲背狼との距離は、百メートルもない。
「岳、行くぞ!」
『分かった』
翼が強く打たれる。
身体が前へ押し出された。
◇
「おーい! 柵へ戻れ!」
上から叫ぶ。
少年が顔を上げた。
俺たちを見る。
次に、走ってくる甲背狼へ気づいた。
荷車を捨てて走る。
だが、狼の方が速い。
「間に合わないな」
『俺が行く』
「待て。俺が射つ」
背中の弓を取る。
昨日までなら、まず降りられる場所を探した。
今日は違う。
まだ距離はある。
岳が狼へ一直線に突っ込めば、俺は矢を射てない。
「岳、左側を見せてくれ。狼と並ぶように飛んで」
『並ぶ?』
「追い越さなくていい。俺が狙える時間を作ってくれ」
『分かった』
岳が進路を変える。
狼の真後ろではなく、右後方へ回る。
俺から見れば、甲背狼が左前方に来る。
右利きの俺が弓を使いやすい位置だ。
弓を持つ左腕を開く。
右手で矢を番える。
「まだ……」
岳が一度羽ばたく。
二度。
距離が縮まる。
甲背狼もこちらに気づいた。
走りながら頭を上げる。
「岳、次の羽ばたきのあと、少しだけ滑ってくれ」
『分かった』
風が顔へ当たる。
少年は柵まであと少し。
狼も近い。
「今」
岳の翼が広がった。
上下動が消える。
俺は引いた。
狙うのは背中じゃない。
黒い甲板へ射っても通らない。
肩より前。
走るたびに開く首の横。
放す。
矢が飛ぶ。
甲背狼の首筋へ刺さった。
「ギャンッ!」
身体が大きく崩れる。
転ぶ。
そのまま地面を滑った。
「当たった!」
『浅い』
岳が言う。
「分かってる!」
甲背狼はすぐに立ち上がった。
矢は刺さっている。
だが動ける。
少年への追跡は止まった。
今度はこちらを見る。
唸る。
「それでいい」
目的はまず少年から引き離すことだ。
「もう一回行く」
『近づくぞ』
「頼む」
岳が旋回する。
◇
森側の四頭が動いた。
『来る』
瑠璃が上から知らせる。
「四頭とも?」
『うん。走ってる』
俺は状況を見る。
少年は柵へ入った。
男たちが門を閉める。
家畜も内側。
これで守るべき人間はひとまず安全だ。
「岳、いったん高度を取る」
『逃げるのか』
「五頭まとめて相手する必要はない。目的は討伐じゃなく位置確認だっただろ」
『そうだったな』
岳が上がる。
瑠璃も合流する。
甲背狼たちは空を追えない。
下から吠えるだけだ。
首へ矢を受けた一頭は少し離れ、呼吸を荒くしている。
残り四頭がその周囲へ集まる。
「群れ全部確認。場所も分かった。少年も助かった」
『帰るのか』
「一回、下の人たちに伝える」
無理に全部倒す必要はない。
弓が一発当たったからといって、俺が急に空中戦の達人になったわけでもない。
◇
岳が放牧地へ降りる。
柵の中から、さっきの少年が出てきた。
「ありがとうございました!」
「怪我ないか?」
「はい!」
顔は青い。
それでも足に怪我はない。
年上の男が少年の肩を掴む。
「何で外に出た!」
「荷車を片づけろって……」
「俺が言ったのは柵の近くまでだ!」
「まあ、今は無事だったから」
俺が間へ入る。
「甲背狼は五頭全部確認しました。北の沢沿いです。一頭は矢を当てましたけど、まだ動けます」
「上から射ったのか?」
「はい」
男が岳と俺の弓を交互に見る。
「そんなことまでできるのか……」
「練習し始めたばっかりです。今日は条件がよかっただけですよ」
岳に進路を合わせてもらえた。
狼は一直線に走っていた。
風も強くなかった。
それでようやく一発。
「ギルドへ戻って、討伐隊を出してもらいます。それまでは全員、柵の外へ出ないでください」
「分かった」
「羊も外へ出さない方がいいです」
「ああ。今日一日なら何とかなる」
少年が俺を見ている。
というより岳を見ている。
「空から助けに来た……」
「岳が速かったから間に合ったんだ」
『俺だけではない』
岳の声。
もちろん少年には聞こえない。
「岳は、俺の矢もあったって言ってる」
俺が伝えると、少年が弓を見る。
「すごかったです」
「まだ練習中だけどな」
『当たった』
「一発だけな」
男たちには岳の声は聞こえていないが、俺が返事をしたので笑っていた。
◇
ギルドへ戻ると、ミラは報告を聞いてすぐ動いた。
「五頭全部確認。場所は北側の沢ね?」
「はい。一頭は首を傷めてます」
「人への被害は?」
「なし。少年が一人狙われましたけど、柵へ戻れました」
「あなたが射ったの?」
「岳の背から」
ミラの手が止まる。
「昨日、練習するって言ってなかった?」
「練習しました」
「一日で実戦?」
「実戦するつもりで行ったわけじゃないですよ」
当然だ。
「降りて射る時間がなかったんです。少年との距離が近かったので」
「それで当てたと」
「条件がよかっただけです。狼は真っ直ぐ走ってましたし、岳に射ちやすい位置へ合わせてもらいました」
ミラがため息をつく。
「そこを分かってるならいいわ」
「分かってます」
「で、全部倒してきたわけじゃないのね」
「俺たちの依頼は位置確認です。人が安全になったあとまで五頭相手に戦う理由はないでしょう」
ミラが頷く。
「正解。場所が分かったなら、こっちで討伐隊を出せる」
すぐに紙へ依頼内容を書き始める。
「前と同じ連中へ声を掛けてみる。甲背狼なら地上で追った方がいい」
「俺たちは?」
「案内してもらう可能性はあるけど、今日は一旦終わり」
「分かりました」
「それにしても」
ミラが俺の弓を見る。
「本当に空から射るようになったのね」
「まだ一発当てただけです」
「十分変よ」
「そこはもう慣れてください」
「無理」
◇
ギルドを出たあと、俺はそのまま採石場へ向かった。
『仕事は終わったのではないのか』
「終わったよ」
『ならなぜこっちだ』
「確認したいことがある」
岳が少し嫌そうな顔をする。
「長くはやらない」
『本当か』
「肩も疲れてる。十本だけ」
『ならいい』
藁束を置く。
今日は昨日と違い、少しだけ位置を変えた。
同じ角度からばかり射っても意味がない。
「さっきの矢、何で当たったと思う?」
『俺が合わせた』
「それは大きい」
『狼が真っ直ぐだった』
「それも」
瑠璃が横木代わりの岩へ止まる。
『風、弱かった』
「ああ」
全部正しい。
俺の腕だけで当てたわけじゃない。
岳が左側へ標的を置く飛び方をした。
相手が一定方向へ走った。
風も弱かった。
「だから、今日当たったからって次も当たるとは思わない方がいい」
『分かっているならいい』
「何でお前が師匠みたいになってるんだよ」
『外したら困る』
「俺も困る」
岳へ乗る。
最初の一射。
藁束を外れた。
『外した』
「ほらな」
二射目。
端へ刺さる。
三射目。
中央から離れた場所。
さっき実戦で当てた後なのに、こんなものだ。
「これが今の実力だな」
『さっきは当たった』
「だから条件が揃えば使える。それで十分だ」
万能になる必要はない。
必要な場面で、一つ手が増えればいい。
◇
十本射って練習を終えた。
中央近くへ入ったのは二本。
的へ当たったのは七本。
三本は外した。
昨日よりはいい。
だが、まだその程度だ。
矢を回収していると、瑠璃が空へ顔を向けた。
『来る』
「何が?」
反射的に弓へ手を掛ける。
瑠璃は緊張していない。
『知ってるの』
上を見る。
高い空に、一つの影があった。
灰白色の翼。
鷲の前半身。
馬の後半身。
「ああ」
銀嶺だ。
こちらへ一直線に降りてくる。
地面へ着く前から声が届いた。
『隼人』
「久しぶりってほどでもないな」
『会いに来た』
「高原は?」
『みんないる』
「ならよかった」
銀嶺が岳を見る。
次に俺の弓。
藁束へ刺さった矢。
『何してる?』
「岳に乗ったまま矢を射つ練習」
『飛びながら?』
「ああ」
銀嶺の目が少し鋭くなった。
『私でもできる?』
「俺を乗せるって意味か?」
『うん』
岳の首がすぐこちらへ向いた。
『必要ない』
「まだ何も決めてないぞ」
『俺がいる』
『私も速い』
『速さの話ではない』
始まった。
瑠璃が上から降りてきて、銀嶺の近くへ止まる。
『私は乗せない』
「お前は大きさ的に無理だろ」
『知ってる』
「じゃあ何で参加した」
『言いたかった』
俺は額を押さえた。
せっかく真面目に騎乗射撃の反省をしていたのに、一気に賑やかになった。
だが、銀嶺の言葉そのものは気になった。
岳と銀嶺。
同じ飛行でも、得意なものが違う。
岳は俺を運べる。
銀嶺は高速飛行と長距離飛行に適性がある。
もし本当に人を乗せられる大きさと身体なら、岳とは違う空の使い方ができる可能性はある。
「銀嶺」
『何?』
「お前、人を乗せたことは?」
『ない』
「だろうな」
『乗せてみる?』
「今日はやらない」
『どうして?』
「鞍もない。お前の身体に負担が掛かる場所も分からない。岳の鞍をそのまま付けられるとも限らない」
『岳は乗せてる』
「岳とは身体の形が違うだろ」
銀嶺は自分の背を見る。
それから岳を見る。
『少し違う』
「少しじゃない」
岳には獅子に近い胴体がある。
銀嶺は後半身が馬に近い。
翼の付け根も違う。
同じ騎乗具を雑に使えば、飛んでいる最中にずれる可能性がある。
『作ればいい』
「……まあ、そうなるな」
岳が俺を見る。
『作るのか』
「今すぐじゃない」
『必要ない』
「お前、さっきからそこだけ早いな」
『俺が運べる』
「銀嶺がお前の代わりになるって話じゃないよ」
それで岳は少し黙った。
銀嶺も岳を見る。
『一緒に飛ぶ』
短い言葉だった。
岳はしばらく返さなかった。
やがて鼻を鳴らす。
『なら好きにしろ』
「素直じゃないな」
『何か言ったか』
「何も」
俺は矢を矢筒へ戻した。
騎乗射撃。
空輸。
人の搬送。
できることが増えるたび、次の可能性も見えてくる。
ただし、一足飛びには進まない。
飛べるから乗る。
強いから戦う。
懐いているから頼む。
そんな雑な使い方をするつもりはない。
岳にも。
瑠璃にも。
銀嶺にも。
それぞれに向いた役目があるはずだ。
「今日は帰るぞ」
『飯?』
岳。
『私も行く』
銀嶺。
『私も』
瑠璃。
「……小屋、本当に集会所になってきたな」
三頭とも意味が分からないらしく、こちらを見た。
「何でもない」
岳の背へ跨がる。
銀嶺が翼を広げる。
瑠璃も飛び上がった。
今度は三つの影が、並んで空へ上がる。
俺たちの帰る先には、森の中の小さな狩人小屋がある。
そしてどうやら、あそこは俺が思っていた以上に賑やかな場所になっていきそうだった。
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