第17話 グリフォンの寝床を作る
翌朝、材木を積んだ荷車が、狩人小屋へ続く森の入口で止まった。
「やっぱり、ここまでですね」
俺は車輪の先を見る。
町からここまでは馬角獣の引く荷車でも来られる。ただ、この先は道と呼べるほど広くない。木の根が張り出し、昨夜の露で黒く湿った土には深い窪みもある。
荷車を無理に入れれば、車輪を壊すか、抜け出せなくなる可能性が高い。
材木屋から来た二人の職人も、森へ目を向けて同じ判断をした。
「板だけなら何往復かすりゃ運べるが、あの角材は面倒だな」
「小屋までどれくらいだ?」
「荷物がなければ二十分も掛かりません」
「近いようで、重い物を抱えると遠い距離だ」
荷台には屋根の補修板、防水用の布、釘、それに太い角材が積んである。
昨日、鉤翼蜥の巣を潰した報酬の一部を使った。
寝床があるだけだった狩人小屋を、少しずつ暮らせる場所に変えていく。
その第一歩だ。
頭上で空気を叩く音がした。
職人たちが顔を上げる。
木々の向こうから岳が姿を現し、荷車から少し離れた草地へ降りた。
『これを運ぶのか』
視線の先には角材がある。
「ああ。ちょうどいいところに来たな」
『飛べばすぐだ』
「それは駄目だ」
『なぜだ』
「長い角材を吊った状態で飛ばせたことがない。森の上で振れたら、お前の脚や翼に当たるかもしれないし、木に引っ掛かる可能性もある」
『持てる』
「重さの問題じゃない」
岳が角材を見て、それから俺を見る。
「今日は地上で運ぼう。試すなら、もっと開けた場所で荷の吊り方から確認してからだ」
職人の一人が、俺と岳を交互に眺めていた。
「話してるのか?」
「はい。岳は飛んで運べるって言ってます」
「そりゃ力はありそうだが、俺も飛ばさん方がいいと思うぞ。あれだけ長い物が空中で振れたら面倒だ」
俺は岳を見る。
「職人さんも同じ意見だ」
『慎重な人間が二人になっただけだ』
「山じゃ、その慎重さで怪我を減らすんだよ」
『分かった。歩く』
「よし」
納得すれば切り替えは早い。
◇
角材を岳へ直接括り付けることはしなかった。
表面へ厚い布を巻き、その上から縄を掛ける。
身体の横へ一本だけ吊り、胸や翼の付け根に縄が擦れない位置を探した。
「一度歩いてみて」
岳が数歩進む。
角材の後端が地面を擦った。
「止まって。少し長いな」
吊る位置を前へずらし、縄を詰める。
今度は両端とも地面から浮いた。
「それで曲がれるか?」
岳がゆっくり身体の向きを変える。
角材の後ろが大きく振れる。
「森じゃもっと小さく曲がる必要があるな」
『やってみれば分かる』
「じゃあ俺が前を歩く。無理ならすぐ外すぞ」
『分かった』
実際に森へ入ってみると、岳は想像以上に器用だった。
翼を身体へ畳み、木と木の間を抜ける。
狭い場所では角材が幹へ当たらないよう、一度身体を斜めにしてから進んだ。
オオタカだった頃から、木々の隙間を読むことには慣れている。
身体は何倍にもなったが、山で培った感覚そのものまで失ったわけではないらしい。
「次の木、右から」
『見えている』
「その先は左が広い」
『隼人』
「何だ?」
『言われなくても分かる』
「一応だよ」
『昔から変わらんな』
それはこっちの台詞でもある。
昔から岳は、自分でできることへ手を出されるのを好まない。
それでも本当に危ない時は俺の声を聞く。
だから長く組んでこられた。
◇
小屋へ着くと、屋根にいた瑠璃がすぐ飛んできた。
『大きい木』
「岳の寝る場所を作るんだ」
『私の場所は?』
「忘れてない。屋根を直したら止まり木も作る」
『高いところ』
「ああ。森が見える場所な」
後ろから来た職人が、俺の肩へ止まった瑠璃を見る。
「こっちも何か注文してるのか?」
「自分の止まり木を高いところに作れって」
「グリフォンだけじゃなく鳥にも注文されるのか」
「最近、要求が具体的になってきました」
職人は笑いながら荷を下ろした。
小屋の横には、獲物の解体に使われていたらしい少し開けた場所がある。
岳の寝床にはそこを使うことにした。
ただ屋根を付ければ終わり、というわけではない。
職人が地面へしゃがみ、土を掴んだ。
「ここ、雨のあと水が溜まるな」
「少し傾斜はありますけど」
「抜けるまでが遅い。こんな大きい身体の奴が毎日ここへ伏せたら、土も締まる。泥の上で寝かせたいわけじゃないだろ?」
「もちろん」
「なら先に水を逃がす」
小屋から少し離れる方向へ浅い排水溝を掘る。
寝床になる部分には平たい石を埋め、その上へ砂利と乾いた土を重ねた。
俺も山で野営する時、地面の水の流れは必ず見る。
見た目より足元の方が大事なことも多い。
「屋根は小屋から伸ばさないんですか?」
「この柱を見ろ」
職人が小屋の角を叩いた。
乾いた音がする。
「使えないほど腐っちゃいないが、新しい屋根の重さまで全部持たせる必要はない。雪も降る土地なんだろ?」
「降るとは聞いてます」
「なら独立させる。四本柱で立てた方が後々楽だ」
「お願いします」
小屋へ無理をさせる理由はない。
岳の寝床だけ壊れるなら直せば済むが、小屋ごと傾いたら洒落にならない。
◇
柱を立てる段階で、岳の力が役に立った。
穴を掘り、石を入れ、一本目の角材を立てる。
人間三人でもできない作業ではない。
だが、重い。
「岳、下から押してくれるか?」
『どこまでだ』
「俺が止めるって言うまで。勢いを付けるなよ」
『分かった』
岳が肩を角材へ当てる。
俺と職人二人が縄を引く。
「ゆっくり!」
角材が起き上がる。
「そのまま……止めて!」
岳の身体がぴたりと止まった。
柱を穴へ落とし、周囲へ石を詰める。
支えを入れて固定する。
一人の職人が岳を見た。
「こりゃ楽だ」
『何と言った』
岳が俺を見る。
「役に立つって」
『当然だ』
「それは伝えなくていいな」
職人が首を傾げた。
「何て?」
「当然だ、って」
「ははっ。自信あるな」
岳には職人の笑い声しか分からない。
俺は続けて伝える。
「自信あるなって褒められてるぞ」
『事実だ』
「はいはい」
四本目の柱が立つ頃には、昼近くになっていた。
岳がいなければ、倍とは言わなくてもかなり時間が掛かっただろう。
◇
屋根は一方向へ傾斜を付ける。
板を並べ、その上に防水用の布を張る。
北側だけは板壁を作った。
冬の風を直接受けないためだ。
残り三方は開けておく。
岳がいつでも自分で出入りできるし、翼を傷める危険も少ない。
俺が梯子を支えていると、瑠璃が嘴に短い縄を咥えて飛んできた。
『持ってきた』
「お、ありがとう」
俺が受け取る。
少し前なら何でも自分でやろうとしていたが、釘を運ばせるのはやめた。
小さな金属を草むらへ落とされたら、探すだけで日が暮れる。
その代わり、軽くて落としても困らない物を任せている。
『次は?』
「下にある細い縄、もう一本頼む」
『分かった』
屋根から舞い降りる。
職人が感心したように見送った。
「使い方が分かってるな」
「瑠璃自身も、手伝うのが好きみたいです」
やがて屋根ができた。
地面も乾いている。
柱の間隔も十分。
「岳、入ってみて」
岳が屋根の下へ進む。
立った状態でも頭は当たらない。
中で身体の向きを変えられる。
翼を全開にはできないが、ここは飛び立つ場所ではなく休む場所だ。
岳は一周すると、ゆっくり伏せた。
「どうだ?」
『悪くない』
「悪くない、だそうです」
職人に伝えると、一人が満足げに頷く。
「それなら合格だな」
『気に入ったとは言っていない』
「そこまで細かく訂正しなくていい」
『大事だ』
「伏せた時点で十分だよ」
岳が目を細めた。
気に入っている。
昔から見ている俺には分かる。
◇
小屋の屋根も、傷んでいる板を何枚か交換した。
そのついでに棟近くへ瑠璃用の横木を固定する。
雨水が傷んだ部分へ流れ込まない位置。
森と小屋の前を広く見渡せる高さ。
「これでどうだ?」
瑠璃が舞い上がる。
横木へ止まり、爪の位置を何度か変えたあと、森へ顔を向けた。
『いい』
「瑠璃も合格」
「こっちは一発か」
「岳より素直なんですよ」
『聞こえている』
屋根の下から岳の声。
「お前には聞こえるもんな」
俺だけ少し笑った。
職人には岳の返事は聞こえていない。
「岳が何か言ったのか?」
「自分を素直じゃない扱いするなって感じですね」
『そこまでは言っていない』
「細かいな」
職人たちが笑う。
岳だけが納得していない顔をしていた。
◇
日が傾く前に、職人たちは町へ戻っていった。
俺は小屋の前に立ち、改めて周囲を見る。
屋根の雨漏りはかなり減った。
壁の隙間も二か所塞いだ。
岳には屋根付きの寝床。
瑠璃には高い止まり木。
まだ窓の立て付けも悪いし、床も全部直せたわけじゃない。
それでも、最初に見つけた時とは別の場所みたいだった。
「住める場所になってきたな」
『前から住んでる』
頭上から瑠璃。
「そういう意味じゃない」
『私はここ好き』
「俺も結構気に入ってるよ」
岳を見る。
本人はすでに新しい寝床へ伏せている。
「岳は?」
『何だ』
「ここ、どうだ?」
少し間がある。
『雨が当たらない』
「そうだな」
『地面も乾いている』
「そこも直した」
『隼人もいる』
「ああ」
『なら問題ない』
岳らしい答えだった。
瑠璃が横木の上で翼を軽く広げる。
『私もいる』
『それは知っている』
『銀嶺も来る』
「そのうち来るだろうな」
『ロック鳥も』
「さすがにあいつがここへ降りたら庭が足りない」
想像すると笑えてくる。
全部をここへ住ませるつもりはない。
それぞれに巣や群れや縄張りがある。
ただ、立ち寄れる場所くらいならあってもいい。
◇
夕食は少し多めに用意した。
町で買ってきた肉と、残っていた岩牙猪の肉を焼く。
岳には大きく切ったもの。
瑠璃には小さくした肉。
俺は火のそばで塩を振る。
『今日は多い』
「働いたからな」
『俺は木を運んだ』
「見てた」
『柱も立てた』
「それも知ってる」
『もっと食える』
「それと食べすぎは別だ」
瑠璃が横から嘴を出す。
『私は縄』
「二本運んだな」
『二本』
「ちゃんと分かってるよ。お前の分もある」
森の向こうへ陽が落ちていく。
火の明かりが強くなる。
今夜は久しぶりに、仕事のことを考えずゆっくりできそうだった。
そう思った直後だった。
瑠璃が横木の上で顔を上げた。
『誰か来る』
「どっちから?」
『町の方』
俺も耳を澄ます。
少し遅れて、森の向こうから蹄の音が聞こえてきた。
速い。
一頭だけだ。
「こんな時間に?」
立ち上がる。
岳も寝床から出てきた。
『敵か』
「分からない。まだ武器は出すな」
山刀を腰へ差す。
弓はすぐ取れる位置へ置いたまま、道へ出る。
やがて木々の間から馬角獣が姿を現した。
乗っているのは、西門で何度か顔を見た兵士だった。
「隼人!」
俺を見つけるなり、馬角獣を止める。
「どうしました?」
「ギルドから急ぎだ!」
男は馬角獣から下り、息を整えた。
「北の山裾にアデル村って小さな村がある。分かるか?」
「地図で名前は見ました」
リーベルから北へ延びる道を途中で外れた先だったはずだ。
「昼過ぎに崖が崩れた。道が完全に塞がれてる」
「村が孤立した?」
「そうだ。それだけなら明るくなってから道を開けりゃいい。だが村人が一人、倒木に挟まれて大怪我をした」
表情を見る限り、軽傷ではない。
「村の薬師では?」
「応急処置まではした。ただ、腹をひどく打ってるらしい。リーベルの治療院から治療師を一人出せるが、地上からだと崩落を避けて大回りになる」
その先は聞かなくても分かった。
兵士の視線が岳へ向く。
「ギルドが聞いてこいって言ってる」
「治療師を岳で運べないか、ですね」
「ああ」
俺は岳を見る。
「聞いてたな?」
『聞いていた』
「人一人増える。俺と治療師、それに治療道具まで乗せて飛べるか?」
『重さは問題ない』
「距離は?」
『村がどこか分かれば判断できる』
「俺が地図を持つ。町で場所を確認してから飛ぶ」
『なら運べる』
問題は別にある。
俺は岳の背に付いた騎乗具へ目を向けた。
「今の鞍は俺一人用だ」
『後ろに乗せればいい』
「ただ座らせるだけじゃ危ない。飛ぶのに慣れてない人間が怖がって身体を反らしたら落ちる」
『固定するのか』
「ああ。補助の革帯が要る。できれば手を掛ける場所も一つ増やしたい」
兵士には岳の声は聞こえない。
俺は彼へ向き直った。
「岳は、俺と治療師の二人を乗せても重さは問題ないと言ってます」
「本当か!」
「ただし、この騎乗具は一人用です。このまま治療師を後ろに乗せて飛ぶのは危ない」
兵士の顔が曇る。
「無理か?」
「いや。町で補助の安全帯を用意しましょう。大がかりに鞍を作り直す時間はないので、治療師の腰と胴を騎乗具へ固定できればいい。俺は前に乗って姿勢を見る」
「すぐ用意させる」
「乗る人にも条件があります」
「何だ?」
「岳の翼や首を咄嗟に掴まないこと。俺が言うまで安全帯を外さないこと。飛んでる途中で勝手に身体を左右へ乗り出さないこと」
「全部伝える」
「それと治療道具は背負わせず、別に固定します。落としたら何のために飛ぶのか分からない」
「分かった」
もう一つある。
「暗くなりますね」
「ああ」
空を見上げる。
西にはまだ薄い赤が残っているが、町へ戻って準備をすれば夜になる。
俺は岳を見る。
「夜でも飛べるか?」
『飛べる』
「俺は昼ほど見えないぞ」
『俺が見える』
瑠璃が横木から飛び降り、近くの枝へ移った。
『私も見える』
「お前にも先を見てもらおう。ただ、俺から離れすぎるな」
『分かった』
岳に乗る俺。
その後ろに治療師。
瑠璃が前方と周囲を見る。
俺自身も地図と月、地上の道や川を目印に位置を確認する。
これなら無茶ではない。
少なくとも、治療師だけを岳へ預けて飛ばすよりずっと安全だ。
「行けます」
兵士の表情が明るくなった。
「助かる!」
「俺も町へ戻ります。治療師本人と話して、騎乗具を準備してから出ましょう」
「分かった!」
俺は火の始末をする。
食べ物を片づけ、水を確認する。
弓。
矢筒。
山刀。
防寒用の上着。
夜の飛行になるなら、昼間と同じ格好では寒い。
準備をしている俺を、岳が見ていた。
『せっかく作ったのに、もう出るのか』
視線の先には新しい寝床がある。
「帰ってきたら使えるだろ」
『さっき俺が言った』
「そうだったな」
『隼人は忘れる』
「人聞き悪いな」
瑠璃が頭上から降りてくる。
『人を運ぶの?』
「ああ。怪我人を治す人だ」
『急ぐ?』
「かなり」
『なら行こう』
こいつらにとっては、話が単純でいい。
必要なら飛ぶ。
助けられるなら行く。
俺も嫌いじゃない。
岳が身を低くした。
俺は騎乗具へ跨がり、安全帯を締める。
「まずリーベルへ戻る。そこから治療師を乗せてアデル村だ」
『分かった』
岳が翼を開いた。
完成したばかりの屋根。
補修した小屋。
瑠璃の止まり木。
今日一日かけて整えた俺たちの居場所が、夕闇の中にある。
少し惜しい気もする。
だが、帰ってくる場所ができたからこそ、必要な時には外へ出られる。
岳が地面を蹴った。
身体が浮く。
瑠璃もすぐ横へ上がった。
夕暮れの森が足元へ沈んでいく。
薬を運ぶだけなら、瑠璃にもできた。
荷を運ぶだけなら、岳だけでもできる。
だが、人を安全に運ぶとなれば話は違う。
次に空を渡るのは、俺たちだけじゃない。
俺は岳の背で、遠くに見え始めたリーベルの灯りを見つめた。




