第13話 空から見つけた荷馬車
翌朝、日の出からそれほど経たないうちに、俺たちは狩人小屋を飛び立った。
探すのは、北東の山道から戻ってこない荷馬車だ。
商人組合からギルドへ入った話では、乗っているのは商人と御者の二人。馬角獣一頭に荷車を引かせ、布や乾物、日用品をリーベルへ運んでいるという。
予定では昨日の昼過ぎには町へ着くはずだった。
単なる遅れならいい。ただ、数日前の雨で北の吊り橋が落ちたばかりだ。別の場所でも斜面が崩れている可能性はある。
「瑠璃、街道を少し先行してくれ。荷馬車だけじゃなく、道が崩れている場所があったら教えて」
『分かった』
灰白色の翼が朝の空を切り、瑠璃が北東へ飛んでいく。
俺も岳の背へ身体を預けた。
「岳は街道が見える高さで頼む。木の上ぎりぎりまで下がらなくていい」
『分かった』
昨日手を入れた騎乗具は、座面を少し厚くしただけで随分楽になった。
岳が翼を傾けると、森の梢の間を蛇行する山道が視界の下へ入る。
空からなら荷馬車一台くらい簡単に見つかると思うかもしれない。実際、開けた場所ならその通りだ。
ただ、山道は木々の下へ何度も隠れる。
だから道だけではなく、斜面や沢、折れた木、土の色まで見る。
荷馬車が予定どおり帰ってこないなら、街道の上にいるとは限らない。
◇
『隼人』
先へ出ていた瑠璃の声が頭へ届いた。
「見つけた?」
『道に木が倒れてる。土もいっぱい』
「荷馬車は?」
『いない。でも道の横に跡がある』
「岳、瑠璃のところへ」
『見えている』
岳が少し速度を上げた。
間もなく、斜面から土砂が流れ込んだ場所が見えてくる。
崩落自体は大規模ではない。ただ、根元から倒れた太い木が街道の半分以上を塞いでいた。
少し先の草地へ降りる。
地面へ下りた俺は、まず倒木の手前を見た。
「来てるな」
湿った道に、深い轍が二本残っている。
その横には馬角獣らしい蹄跡。
荷馬車は倒木の直前で一度止まり、そこから道の端へ大きく膨らんでいた。
「木を避けようとしたんだな」
『こっち』
低く飛んでいた瑠璃が斜面側へ回る。
草が広い範囲で倒れ、その中に車輪の跡が続いている。
数メートル追ったところで、地面が急に落ち込んだ。
「岳、そこで待っててくれ」
縁まで進み、下を覗く。
木々の間に荷台が見えた。
荷馬車は十数メートル下まで滑り落ち、二本の太い木に挟まるように止まっている。横転こそしていないが、前輪の片方が壊れていた。
「瑠璃、上から人がいるか見てくれ」
『見る』
瑠璃が上昇する。
俺は湿った斜面へ足を掛けた。
靴が滑った跡がいくつもある。下へ落ちたあと、誰かが何度か街道へ戻ろうとしたらしい。
「誰かいますか!」
「いる! こっちだ!」
男の声が返ってきた。
荷馬車の向こうへ回ると、二人の男がいた。
一人は三十代くらいで、泥だらけではあるが自力で立っている。もう一人は少し年上で、木にもたれながら左腕を布で吊っていた。
「冒険者ギルドの依頼で来た神代隼人です」
二人の視線が俺の後ろへ向く。
斜面の上には岳。
さらに上空を瑠璃が旋回している。
「上のグリフォンが岳。俺の相棒です。空を飛んでいる蒼冠鷹は瑠璃。二頭とも俺とは意思疎通できます」
「グリフォン……」
立っていた男が目を見開く。
「町で噂になってる奴か?」
「たぶんそれです。それより怪我を見せてください」
驚いている場合ではない。
腕を吊っている男の前へしゃがむ。
「商人さんですか?」
「ああ。荷馬車が滑った時に荷台へ叩きつけられた」
布を少し外してもらう。
前腕が腫れている。皮膚から骨が出ているような状態ではなく、指も動いた。
「痺れは?」
「少し痛むが、感覚はある」
「なら、そのまま固定しておきましょう。町へ戻ったら治療院で診てもらってください」
「分かった」
もう一人は御者だという。
擦り傷程度で、大きな怪我はない。
問題は、荷馬車を引いていたはずの馬角獣がどこにもいないことだった。
「馬角獣は?」
御者の表情が曇る。
「荷車が滑り始めた時に繋ぎ革を切った。あいつまで巻き込んだら脚を折ると思ってな」
「逃げたんですね」
「ああ。探したいんだが、怪我人を一人で残して森へ入るわけにもいかん」
「それで正解だと思います」
馬角獣なら後から探せる。
人間まで二次遭難したら話にならない。
『隼人』
上空の瑠璃から声が届いた。
「何か見つけたか?」
『角のある大きいの。馬みたい』
「立ってる?」
『立ってる。でも動かない』
「怪我してるように見えるか?」
『分からない。近くに別の大きいのがいる』
嫌な理由で動けないらしい。
「どんな奴だ?」
『熊みたい。黒い。背中が灰色で硬そう』
御者が俺の顔を見る。
「何か分かったのか?」
「上を飛んでいる瑠璃が、馬角獣らしい個体を見つけました」
「あの蒼冠鷹が?」
「はい。ただ、近くに熊みたいな大型魔獣がいるそうです。背中が灰色で硬そうだと」
御者の顔つきが変わった。
「剛岩熊かもしれん」
「知ってます?」
「C級だ。肩から背中が石みたいに硬い。普段はもっと山奥にいるが、腹を空かせると家畜も襲う」
それなら馬角獣が逃げきれず、動けなくなっている可能性は高い。
俺は立ち上がった。
「二人はここにいてください。俺と岳で見てきます」
「大丈夫なのか?」
「相手を見て無理なら戻ります」
斜面の上を見る。
「瑠璃」
『なに?』
「ここに残って、この二人と荷馬車の周りを見ていてくれ。何か近づいてきたらすぐ俺に知らせてくれ」
『分かった』
「馬角獣はどっちだ?」
『東。沢の近く。白い倒木がある』
「距離は?」
『すぐ』
「よし」
瑠璃が高度を落とし、荷馬車の屋根へ止まった。
あいつに剛岩熊と戦わせるつもりはない。
ここで周囲を見てもらう方が、ずっと役に立つ。
「岳、行こう」
『待っていた』
俺たちは東の森へ入った。
◇
沢の音が聞こえるまで、十分もかからなかった。
湿った地面には馬角獣の蹄跡がはっきり残っている。
途中から歩幅が広がり、土が深く抉れていた。
かなり慌てて逃げている。
『匂いがする』
「馬角獣?」
『それと別の獣だ』
「近いな」
白く朽ちた倒木を越える。
その先で森が開けた。
沢のこちら側に馬角獣。
反対側に、大きな獣。
「……あれか」
熊によく似ている。
ただ、日本で見る熊より明らかに大きい。前半身が特に発達し、肩から背にかけて灰色の硬質な板が何層も重なっていた。
剛岩熊。
名前を聞いたあとなら、なるほどと思える姿だ。
馬角獣は沢を背にして動けなくなっている。
剛岩熊が一歩近づけば、馬角獣も同じだけ下がる。
しかし後ろには水がある。
『俺が行く』
「正面から受けるなよ。あの前脚は重そうだ」
『分かっている』
俺は風向きを見る。
風はこちらへ向かって流れている。
熊はまだ俺たちの匂いを取れていない。
距離は五十メートルほど。
弓なら届く。
「岳、右から回ってくれ。俺が先に撃つ」
『どこを狙う』
「俺じゃなく熊の方を見ろ。背中は矢が入らない。俺が脇へ撃ってこっちを向かせる。その間に横へ入ってくれ」
『分かった』
「首か腹へ入れられるなら入れていい。ただし、無理に組みつくな」
『お前もな』
「俺は組みつかないよ」
岳が木立の中へ消える。
俺は矢を一本抜いた。
剛岩熊はすでに馬角獣を獲物として狙っている。
ここで半端に追い払っても、街道近くへ居着けば別の馬角獣や人間を襲うかもしれない。
仕留める。
熊が沢へ前脚を入れた。
身体が横を向く。
灰色の外皮に覆われていない右脇が見えた。
弓を引く。
狙いを定め、そのまま放す。
矢が脇腹へ深く入った。
「グオオオッ!」
剛岩熊が立ち上がった。
大きな頭がこちらを向く。
『今だな』
右手の木立から岳が飛び出した。
翼は使わない。
四脚で地面を蹴り、一気に熊の側面へ入る。
剛岩熊が太い前脚を振るった。
岳は身体を沈めてかわし、その勢いのまま前脚の爪を熊の腹へ叩き込む。
黒い毛が裂け、血が飛んだ。
熊が身体を捻る。
『背中より柔らかい』
「だからって深入りするな!」
大口が岳へ向く。
岳が後方へ跳んだ。
首の下が開く。
俺は二本目を番え、そのまま放つ。
矢が喉元へ入った。
剛岩熊が吠えながら二歩進んだものの、最初の勢いはない。
岳が左から回り込み、後脚へ爪を入れた。
熊の巨体が傾く。
「岳、離れろ!」
呼ぶより早く、岳は距離を取っていた。
剛岩熊が地面へ崩れる。
まだ首が動いている。
俺は三本目を番えた。
焦らない。
熊が頭を上げようとし、口が開く。
そこへ放つ。
矢が口腔の奥へ入った。
巨体が一度大きく震え、それきり動かなくなった。
しばらく待つ。
岳も近づかない。
『終わったな』
「ああ」
弓を下ろし、まず岳を見る。
「怪我は?」
『ない』
前脚に血が付いているが、熊のものだった。
「ならいい」
『もっと俺に任せてもよかった』
「二人でやった方が早くて安全だろ」
『それもそうだ』
意外と素直だった。
◇
馬角獣は、剛岩熊が倒れてもその場に立ち尽くしていた。
俺は岳を少し離れた場所へ待たせる。
熊の血を付けたグリフォンと一緒に近づけば、余計に怯えさせる。
正面を避け、身体を少し横へ向けて距離を詰めた。
首には途中で切られた繋ぎ革が残っている。
探していた個体で間違いない。
「迎えに来ただけだ」
言葉が通じるわけではない。
それでも声を荒げず、急に触らなければいい。
馬角獣が鼻を鳴らした。
逃げない。
手が届くところまで近づき、繋ぎ革を掴む。
脚や胴をざっと見る限り、大きな傷もなかった。
「運がよかったな。戻ろう」
『そいつはお前を好きにならないのか』
「馬角獣だからな」
『鳥ではない』
「そういうこと」
何でもかんでも俺へ寄ってきたら、それこそ収拾がつかない。
◇
荷馬車へ戻ると、屋根にいた瑠璃が最初にこちらへ顔を向けた。
『帰った』
「何もなかったか?」
『なかった』
「ありがとう」
御者は馬角獣を見るなり斜面を下りてきた。
「いた!」
俺が革を放すと、馬角獣は自分から御者へ近づき、胸元へ鼻先を押しつけた。
「よかった……脚は? どこか痛めてないか?」
御者が首、腹、四本の脚を順番に確かめる。
その姿を見て、商人もようやく大きく息を吐いた。
「熊は?」
「剛岩熊で合ってました。岳と仕留めました」
「C級を二人で?」
「岳が前へ出てくれましたから」
商人が岳を見る。
今度は名前を知っている。
「その相棒、相当強いんだな」
『当然だ』
「岳は当然だって言ってます」
御者が笑った。
「そこはちゃんと伝えるんだな」
「本人が横で言ってるので」
危険は片づいた。
ようやく少しくらい笑ってもいい場面だった。
◇
次は帰り方だ。
荷馬車は前輪が完全に壊れている。
しかも斜面の下だ。
今ここで引き上げようとすれば、必要以上に時間も人手も掛かる。
「今日持って帰らないと困る荷はありますか?」
商人が荷台を見る。
「布と乾物だが……全部じゃない。高価な品もほとんどない」
「なら、馬角獣へ無理なく載せられる分だけ持って帰りましょう。残りは油布を掛けて、町から人を出してもらった方がいい」
「荷馬車は?」
「人手と道具を揃えてからです。ここで無理に動かして、また誰か落ちたら意味がないでしょう」
商人は少しだけ考えたあと、頷いた。
「そうだな。荷は買い直せる」
判断が早い。
御者と一緒に荷を選び、馬角獣へ載せ替える。
布を数巻。
乾物を二袋。
二人の私物。
馬角獣の負担を見ながら、それ以上は載せない。
残った荷には油布をしっかり掛けた。
問題は左腕を痛めている商人だった。
歩けないほどではない。
ただ、湿った斜面を片腕で登らせるのは危ない。
「岳」
『乗せるのか』
「ああ。街道まで頼む」
岳がその場へ伏せた。
商人が少し身を引く。
「俺が乗るのか?」
「飛びません。斜面を上がるだけです」
「それでもグリフォンだぞ」
そこで商人の目が、岳の背に付いた騎乗具へ止まった。
「……ちゃんと鞍が付いてるんだな」
「俺がこれで乗って飛んでます」
商人は岳と騎乗具を交互に見る。
「野生のグリフォンへ裸で跨がれって話じゃないなら、まだ心の準備はできるな」
『俺は野生ではない』
「岳がそこは訂正しろって」
「聞こえないんだから勘弁してくれ」
商人が苦笑した。
俺が補助して背へ乗せ、安全帯を調整する。
片腕だけでも掴めるよう革輪の位置も変えた。
「岳、ゆっくりな」
『分かっている』
四本の脚で立ち上がる。
商人の顔は一瞬強張ったが、身体は騎乗具にしっかり収まっている。
「……思ったより安定してる」
「そのための鞍です」
俺と御者は馬角獣を連れ、その後ろから斜面を上がった。
◇
街道へ戻ったところで、一度足を止めた。
商人の腕を考えれば、町へ戻るまで長く歩かせたくはない。
ただし、俺以外の人間を乗せて岳を飛ばした経験はまだない。
今日は地上を歩かせる。
安全を優先しても、これなら十分速い。
瑠璃は時々上空へ上がり、街道の先を確認して戻ってきた。
御者はその様子を何度か見上げていた。
「さっき、あの蒼冠鷹が馬角獣を見つけたんだよな?」
「はい。瑠璃って名前です」
「瑠璃か」
これで二人も名前を知った。
「グリフォンだけじゃなく、あの子とも話せるのか」
「俺にだけです。二人には聞こえません」
「なるほど。さっきお前が一人で喋ってるように見えたのは、それか」
「そういうことです」
最初からこう説明すればいい。
相手が知らない名前を当然のように使う必要もない。
しばらく街道を進む。
岳の背では商人が周囲を見る余裕まで出てきたらしい。
「隼人くん」
「はい?」
「町へ戻ったら、今日のことを商人組合へ話してもいいか?」
「もちろん」
「空から街道を見られる冒険者がいるとなれば、頼みたい奴は多い。俺もその一人だ」
「仕事ならギルドを通してください」
「直接じゃ駄目なのか?」
「こっちの相場も契約も、俺はまだ分かってません。責任の範囲も決めずに仕事だけ受ける方が面倒でしょう」
商人が少し黙る。
やがて感心したように笑った。
「若いのに堅実だな」
「山でも、分からないものを分かったつもりで触ると痛い目を見るんで」
「商売も似たようなものだ」
その会話の途中だった。
『隼人』
瑠璃が高度を上げる。
「どうした?」
『来る』
「何が?」
『昨日の』
瑠璃が西の空を見る。
俺もそちらへ顔を向けた。
小さな影が一つ、こちらへ近づいている。
翼を広げた前半身は鷲。
後半身は馬。
灰白色の羽が陽を反射した。
「ヒポグリフか」
「ヒポグリフ!?」
御者がすぐに空を見た。
岳の背にいる商人まで身体を強張らせる。
「大丈夫です。昨日会った群れの一頭です」
「昨日会ったって……」
「俺に好意を持ってるので、襲ってはきません」
今さら俺自身が慌てるところではない。
ヒポグリフは低く降り、岳の横へ並んだ。
『隼人』
「また会ったな」
『会いに来た』
「群れは?」
『みんな高原にいる。私は来た』
「そうか」
昨日、この個体は群れのところに残った。
今日ここへ来たからといって、群れを捨てたわけではない。
ただ会いに来ただけだ。
それでいい。
商人と御者には、ヒポグリフの声は聞こえていない。
俺は二人へ説明した。
「群れは高原にいるそうです。こいつだけ俺に会いに来たみたいですね」
「……ヒポグリフが自分から?」
「そういう能力なんです」
商人が岳を見る。
瑠璃を見る。
最後にヒポグリフを見る。
「商人組合に話したら、信じてもらえる気がしなくなってきたな」
「岳に乗って帰れば、少なくとも一つは信じてもらえるでしょう」
「それもそうか」
ヒポグリフが俺の横へ少し寄る。
『名前』
「ああ」
昨日の高原で、次に会うまでに考えると約束していた。
『考えた?』
「お前も考えるって言ってたよな」
『考えた』
「どんなの?」
ヒポグリフは少し得意そうに首を上げる。
『まだ言わない』
「何だそれ」
『隼人のも聞く。それから』
「なるほど。勝負か」
『違う』
否定は早かった。
岳が低く息を吐く。
『また増えそうだな』
「まだ決まってないって」
『昨日もそう言っていた』
『私は増えた』
上から瑠璃まで混ざる。
「お前は自分から家まで来ただろ」
『うん』
否定する気はないらしい。
俺は灰白色のヒポグリフを改めて見た。
高原に仲間がいる。
自分の暮らしもある。
それでも俺へ会いに来て、今度は自分から名前を欲しがっている。
瑠璃の時とは違う形だが、こいつなりに俺との関係を決めようとしているのかもしれない。
「分かった。名前はちゃんと考える」
『今日?』
「できれば今日」
『待つ』
「町まで来るのか?」
『行く』
岳がまた小さく息を吐いた。
『ほらな』
「何が」
『増える』
横では御者が、俺と岳とヒポグリフを順番に見ている。
「なあ、隼人くん」
「はい?」
「俺たち、町へ帰った時にちゃんと説明できるかな」
俺も少し考えた。
負傷した商人が鞍付きグリフォンの背に乗っている。
馬角獣には回収した荷。
頭上には蒼冠鷹。
その横には野生のヒポグリフ。
「……俺も一緒に説明しますよ」
「頼む」
御者が真顔で答えた。
俺たちはそのままリーベルへ向かった。
空から荷馬車を探すだけの仕事だったはずなのに、帰る頃にはずいぶん賑やかな一行になっていた。




