第12話 空から橋を架ける
リーベルの西門が近づいても、警鐘は鳴らなかった。
岳の背から見下ろすと、城壁の上にいた兵士たちがこちらを指している。ただし弓を取る者も、槍を構える者もいない。
「ずいぶん反応が変わったな」
『何がだ』
「最初にお前を連れて来た時は、槍を向けられただろ」
『今も持っている』
「持ってるだけだ」
岳の背には騎乗具がある。
その上には俺がいる。
遠くから見ても、野生のグリフォンが町へ襲いかかってきた姿には見えない。
もちろん、鞍が付いているだけでA級魔獣が無害になるわけではない。それでも、少なくとも誰かと行動している個体だとは分かる。
城壁の上から、一人の兵士が大きく手を振った。
「隼人ー! 西門の外へ降りてくれ!」
「分かった!」
『聞こえたのか』
「お前ほど耳はよくないけど、あれだけ叫べばな」
門前の広場へ向けて岳が高度を落とす。
着地の瞬間だけ身体を少し浮かせ、四脚が地面を捉える衝撃を逃がした。
昨日よりずっと楽だった。
「だいぶ分かってきた」
『俺は最初から分かっている』
「乗ってる側の話だよ」
腰の安全帯を外して地面へ降りる。
門番が二人、こちらへ歩いてきた。
一人は岳を見上げたあと、背中の騎乗具へ目をやる。
「もう乗れるようになったのか」
「今日が初めてです」
「初めてで北まで行ってきたのか?」
「橋の確認だけなので」
「グリフォンに乗って橋を見に行く、って言葉が普通に聞こえ始めた自分が怖いな」
もう一人が笑う。
以前のような緊張はない。
岳もそれを分かっているのか、兵士を気にすることなく身体を伏せた。
瑠璃が上空から降り、俺の左腕へ止まる。
「こっちも一緒か」
「瑠璃です」
「ああ、名前付いたんだったな」
『覚えてる』
「覚えてるって言ってます」
「……そっちはまだ慣れん」
十分慣れてきているように見える。
「ギルドへ報告してきます」
「ああ。岳は――」
兵士が言いかけて止まった。
以前なら囲いへ入れる話になったところだ。
だが今の岳には騎乗具があり、俺の指示で飛び、門前にも落ち着いて伏せている。
「このまま門の外で待たせます。人や馬角獣の邪魔にならない場所にいますから」
「それならいい。もう岳については隊長から話が通ってる」
『俺も入れるのか』
「町の中はまだ無理だと思うぞ」
『狭そうだから構わん』
「だそうです」
兵士は苦笑した。
「そのうち本人と直接話せる気がしてくるな」
「それは無理です。聞こえてるのは俺だけなので」
そこは変わらない。
◇
ギルドへ入ると、ミラは俺の顔を見るなり机の端へ紙を寄せた。
「早かったわね」
「空からなら二十分くらいでした」
「もう驚くのやめようかしら」
「その方が楽だと思います」
「あなたが普通のことをしてくれるならね」
俺は橋と上流部を描いた革紙を広げた。
「吊り橋は中央から落ちています。片側の主索も切れていて、同じ場所ですぐ架け直すのは厳しいと思います」
ミラが身を乗り出す。
「他にもあった?」
「上流で斜面が崩れてます。倒木と土砂が川幅を狭めて、橋の辺りの流れが速くなってました」
「それは地上からの報告にはなかったわ」
「橋からだと見えにくい位置です」
さらに革紙の上流側を指す。
「その少し下に、今の橋より谷幅が狭い場所があります。両岸に太い木もある。仮橋を急ぐなら、そっちを見た方がいいと思います」
「待って」
ミラが奥へ声をかけた。
「街道管理の人、まだいる?」
すぐに年配の男が呼ばれてきた。
厚手の作業服に革靴。腰には測量用らしい巻き紐が下がっている。
「空から見てきたってのは、あんたか」
「はい」
男は俺の革紙を見る。
しばらく無言だった。
「この崩れ、どのくらいだ」
「斜面で三十メートル前後。川を完全には塞いでません。ただ、倒木がかなり残ってます」
「水溜まりは?」
「大きく溜まってはいません。流れはあります」
「なら今すぐ崩れる心配は薄いか……」
男の指が、俺の描いた狭窄部へ移る。
「こっちは本当にこの幅か?」
「上から見た限りなので正確な測量じゃありません。ただ、今の橋の場所より明らかに狭いです」
「両岸の高さは?」
「西側が少し高い。ただ、人が上がれないほどじゃない」
男は一度顔を上げた。
「現場を見たい」
「行きます?」
「行くって、馬でか?」
「岳ならすぐです」
男の顔が固まった。
「……俺も乗るのか?」
「二人乗りはまだ試してません」
「先に言え」
「俺が往復して、現地に目印を置くことはできます。それか――」
俺は窓の外を見る。
梁の上に止まっていた瑠璃が、こちらを見返した。
「軽い測量道具なら瑠璃が運べます」
「鳥に?」
「場所まで俺が一緒に行けば、向こう岸へ運ばせることもできます」
男は少し考えた。
「向こう岸へ?」
そこで表情が変わった。
「待て。鳥だけじゃなく、グリフォンも飛べるんだったな」
「もちろん」
「細い綱を向こう岸へ運べるか?」
「重さ次第ですけど、細いものなら」
男が革紙を引き寄せた。
「だったら橋を架けるのが早くなる」
◇
午後には、俺は再び岳の背にいた。
今度は仕事道具も一緒だ。
町の職人たちが使う細い麻縄を一巻き。太い主索ではない。対岸へ最初に渡すための引き綱だ。
それ以外に木杭、槌、目印用の赤布。
全部を岳へ持たせる必要はない。俺の荷袋と騎乗具の左右へ重さを分けて固定した。
瑠璃もついてくる。
『また橋?』
「ああ。今度は見るだけじゃない」
『何する?』
「道を作る」
『空に?』
「人間が歩く道をな」
岳が地面を蹴る。
門前にいた兵士たちは、もう騒がない。
一人が上を見て手を振っただけだった。
町の外へ出た商人たちも岳を見上げたが、俺と騎乗具を確認すると道を空ける程度で済んでいる。
これなら毎回町の外へ降りるたび、大騒ぎになることはなさそうだ。
◇
橋の近くでは、すでに十人ほどの作業員が待っていた。
俺が見つけた上流の狭い場所へ地上から先回りしてきたらしい。
岳が降りると、何人かが後ずさった。
その反応の方が普通だ。
「大丈夫です。岳は俺の相棒です」
作業員の一人が背中の騎乗具を見る。
「本当に人を乗せて飛ぶのか……」
「今日は俺しか乗ってませんけどね」
街道管理の男も遅れて馬角獣で到着した。
現場を実際に見回し、両岸の木と岩盤を確認する。
「こっちでいける」
男が言った。
「本橋じゃない。荷車も通せん。だが人と小荷物を渡す仮吊り橋なら、今の場所を直すより早い」
「採掘詰所への人の往来が戻れば十分ですか?」
「当面はな。荷車は迂回させる。その間に本橋を直す」
目的が決まれば、作業は早かった。
西岸側で麻縄の端を太い木へ結ぶ。
反対側へ渡したいのは、その細い一本だけだ。
人間なら谷底を大きく迂回しなければならない。
岳なら数秒で済む。
「俺が乗って渡します」
「綱が翼に入らんか?」
「岳に直接結びません。俺が持って、余分を地上から送ってください」
縄の端を荷袋へ軽く固定し、引っかかればすぐ外れるようにする。
岳へ余計な負荷をかけるつもりはない。
「行くぞ」
『あそこへ下りればいいんだな』
「ああ。赤い布を付けた木の横」
『分かった』
岳が飛び立つ。
後ろで作業員が縄を繰り出す。
谷を越えるだけなら一分もかからない。
向こう岸へ降り、麻縄を木から外す。
「渡ったぞ!」
声を上げると、対岸から歓声が返った。
こちら側の木へ縄を回して仮固定する。
細い引き綱が一本、谷を横切った。
それだけで終わりではない。
今度はその細縄を使って、対岸の作業員が一回り太い縄を引く。
さらに、その縄で本命の主索を引く。
軽いものから重いものへ。
人間が抱えて渡る必要はない。
「なるほどな」
俺が見ていると、岳が隣で首を傾げた。
『何がだ』
「お前が運ぶのは最初の一本だけでいいんだ」
『もっと運べるぞ』
「力任せに全部運ぶ必要はない。人間側にも道具とやり方がある」
『面倒だな』
「その面倒で、お前が楽できる」
『ならいい』
現金な奴だ。
その日のうちに二本の主索が谷を渡った。
床板まではまだない。
それでも、作業員が安全帯を付けて対岸へ渡れる細い作業路が先に作られた。
昨日まで完全に分断されていた谷の両側を、人間が行き来し始める。
「こりゃ一日縮んだどころじゃないぞ」
街道管理の男が、張られた縄を見上げていた。
「最初の一本を渡すために、いつもなら谷底から回る。道具を運んで、人を回して、それだけで半日以上潰れる」
「岳なら飛べますから」
「それだよ」
男が俺を見る。
「橋だけじゃない。崖の向こうへ縄を渡す、倒木の上を確認する、崩れた道の先を見る。今まで人が歩いて確かめてた仕事を、あんたらなら空から先に見られる」
「全部できるとは言いませんよ」
「分かってる。だが、できることが一気に増えた」
それは俺も同じことを考えていた。
◇
帰る前に、上流の崩落も地上から確認した。
空から見た通り、川そのものは流れている。
ただ、太い倒木が何本も岩に引っかかっていた。
「大雨が来る前に、これは外した方がいいな」
管理の男が言う。
「一気に流れたら下流で詰まる」
「岳で引っ張ります?」
『できる』
岳が即答した。
もちろん男には聞こえない。
「岳はできると言ってますけど、力を掛ける場所を決めてからにしましょう。途中で折れて人に当たったら危ない」
「その通りだ。今日は触らん。明日、木を切れる連中を連れてくる」
ここで無理をする必要はない。
空から見つける。
場所を知らせる。
必要なら道具を運ぶ。
それだけでも十分役に立つ。
何でも俺と岳だけで片づける必要はなかった。
◇
夕方、リーベルへ戻った。
西門の兵士が空を見上げる。
「岳だ!」
声は上がった。
だが、警鐘は鳴らない。
弓も向けられない。
むしろ門前にいた人間たちが、自然に着地点を空けた。
「帰ってきたぞ!」
「橋はどうだった?」
「もう縄が渡ったらしいぞ」
話が早い。
作業員の誰かが先に戻ったのだろう。
岳が地面へ降りると、近くにいた馬角獣が一頭だけ鼻を鳴らして後ずさった。
御者は手綱を引きながらも逃げ出さない。
鞍を付け、人を背に乗せた岳。
町の人間にとって、それが分かりやすい目印になり始めている。
岳自身は周囲の視線に興味がないらしい。
『腹が減った』
「第一声がそれか」
『飛んだ。働いた』
「分かったよ。帰ったら肉焼く」
『多めにな』
「はいはい」
瑠璃が俺の肩へ降りてきた。
『私も』
「お前、今日は見てただけだろ」
『飛んだ』
「まあ、それはそうか」
二羽とも食事の要求だけは遠慮がない。
そのままギルドへ向かうと、入口でミラが待っていた。
「聞いたわよ」
「早いですね」
「橋の作業員が一人戻ってきて、『グリフォンが空から縄を渡した』って大騒ぎしてたもの」
「岳が渡したというより、俺が乗って縄を持っていっただけです」
「一般人から見れば同じよ」
ミラが一枚の依頼書を持ち上げた。
「それで、もう次が来てる」
「次?」
「北東の山道で、昨日から荷馬車が一台戻ってこない。道が崩れてないか、まず空から見てほしいって」
「遭難者ですか?」
「まだ分からない。予定より半日遅れてるだけ。ただ、橋が落ちたばかりだから商人組合が気にしてる」
俺は依頼書を見る。
以前なら、何人かの冒険者が山道を歩いて確認しに行ったのだろう。
今は、先に空から見るという選択肢ができた。
「明日の朝でいいんですか?」
「ええ。夜に飛ばせる気はないわ」
「なら受けます」
ミラが依頼書へ印を押す。
「最近、あなたが剣を抜いてるところを全然見てないんだけど」
「冒険者って魔獣を倒すだけじゃないでしょう?」
「もちろん」
「なら俺には、こっちの方が向いてます」
山を読む。
道を見る。
人を探す。
空から異常を見つける。
必要なら岳と瑠璃に手を借りる。
自分にできることが、少しずつ形になってきた。
ギルドを出ると、門の外で岳が待っている。
背には騎乗具。
その姿を見ても、もう兵士たちは槍を構えない。
野生のグリフォンが町の前にいる。
そう見られていた頃とは違う。
あれは岳だ。
隼人を乗せて飛ぶグリフォンだ。
少なくともリーベルでは、そう認識され始めていた。
「帰るか、岳」
『飯だな』
「帰る、の次が飯なんだよ」
『同じことだ』
「全然違う」
俺が背へ跨がると、瑠璃も頭上へ上がった。
岳が地面を蹴る。
城壁を越える高さまで上昇したところで振り返ると、夕日に照らされたリーベルが小さく見えた。
昨日まで、町と山を繋いでいたのは地上の道だけだった。
今日、その上にもう一本の道ができた。
誰にも見えない。
舗装もされていない。
それでも俺たちなら使える。
空という道だ。




