第五話 残る者
目を開けたら、まず感じたのは静けさだった。
音がほとんどない。あれだけ斬り合った後なのに、耳に届くのは自分の息遣いだけ。俺はゆっくり息を吐き出した。胸はちゃんと動くし、手も動く。刀は鞘に納められている。
「……ここ、どこだ」
声がかすれて出る。横から、低い声が返ってきた。
「二条城にござる」
重俊だ。そっちを見ると、横たわったままだけど目はしっかり開いている。
俺は少し肩の力を抜いた。
「生きてたのかよ」
「当然でござる」
重俊がわずかに眉を寄せる。
「貴殿こそ、無事か」
「無事に見えるか?」
軽く返したら、重俊は小さく息を吐いた。
「動いておる。それで十分だ」
それで話は終わった。 それだけで、十分だった。
俺は視線を上げた。
部屋の奥に、宗冬が座っていた。いつものように背筋を伸ばして。ただそれだけで、空気がぴんと張る。 あの戦いの後なのに、乱れ一つない。
「起きたか」
短い言葉。俺は体を起こした。少し重いけど、動く。
「寝てた方が楽だったな」
「甘えるな」
重俊が即座に突っ込む。俺は鼻を鳴らした。
「うるせえ」
そのとき、柱にもたれていた光太郎が口を開いた。
「遅い」
短い。俺はそっちを見た。
「誰がだ」
「……もどきだ」
間髪入れず。俺は頭を掻いた。
「知るかよ」
でも、その声で少し現実が戻ってきた。 こいつがいるなら、まだ全部崩れてはいない。
宗冬が体をこちらに向ける。畳が小さく鳴る。 それだけで場の空気が変わる。
「……済まぬ」
頭が下がった。一瞬、意味がわからなかった。
「おい、やめろ」
俺は思わず声を上げた。重俊も顔を上げる。
「殿……」
宗冬は動かない。
「余が見誤った。結果、手傷を負わせた。すまぬ」
視線が重俊に向く。
言い訳はない。 それで十分すぎるほどだった。俺は舌打ちを飲み込んだ。
「やめろって言ってんだろ」
宗冬は顔を上げない。俺は一歩踏み出した。
「終わった話だ。生きてる。それで十分だろ」
重俊がゆっくり頷いた。
「左様。我らも未熟にござる」
光太郎がぼそりと言った。
「違う」
三人ともそちらを見る。光太郎は動かない。
「終わっていない」
短い言葉。空気が少し重くなった。宗冬が頭を上げた。
「承知している」
それで、この話は終わった。宗冬はそのまま続ける。
「九条兼嗣の件である」
「そっちか」
重俊が静かに問う。
「如何様に」
宗冬は間を置かなかった。
「九条兼嗣は、鬼に喰われていた」
はっきり言い切る。部屋が静かになる。俺は眉をひそめた。
「やっぱりかよ」
重俊が目を細める。
「理には合いまする」
「混ざる」
宗冬が続ける。
「影に触れた者は、同じ理で動く」
あの揃い方が頭に浮かぶ。 嫌な感じは、そのままだ。
「核は砕いた。もう戻らぬ」
宗冬の声は変わらない。そこで一度、言葉を切る。
「触れた者は陰陽寮へ回した」
重俊が頷いた。
「然るべき処置にござるな」
「浅い者は時で戻ると申しておる」
俺は小さく息を吐いた。
「助かるな、それ」
「全てではござらぬがな」
重俊が返す。宗冬はさらに続けた。
「本来は陰陽寮が先に察すべき件。叱り置いた」
それだけ。俺は肩をすくめた。
「怖ぇな」
「務めでござる」
重俊が淡々と言う。光太郎がぽつりと。
「消えた」
その一言で、ようやく一段落ついた気がした。俺は天井を見上げた。
「……終わったな」
光太郎が即座に返す。
「多分」
俺は顔をしかめた。
「やめろ」
でも、さっきまでの重さは少し薄れていた。完全に終わったわけじゃない。 でも、ここで一区切りだ。
それだけはわかる。
重俊が小さく息を吐いた。
「……しばし、静養にござる」
「当たり前だ」
俺は即座に返す。
「そのまま動いたら死ぬぞ」
「死なぬ」
間を置かずに返ってくる。俺は呆れて笑った。
「さっき倒れてただろ」
「覚えておらぬ」
「嘘つけ」
やり取りが、少しだけ軽くなった。
光太郎がその間に言った。
「遅い」
「何がだよ」
「回復」
俺は鼻を鳴らした。
「うるせえ」
でも、その軽さが少しありがたかった。
外で風が鳴る。城の中は静かだ。 でも、止まってはいない。
俺はゆっくり息を吐いた。
「一区切り、にござる」
それで十分だった。
外で風が鳴る。障子がわずかに揺れた。
宗冬が静かに言う。
「しばし、ここに留まれ」
重俊が小さく頷く。
「静養にござるな」
「無理はするな」
短い。俺は肩を回した。
「言われなくても無理だ」
「動ける」
「寝てろ」
「動かぬ」
「今言ったろ」
やり取りが少し軽くなる。光太郎が柱にもたれたまま言った。
「嘘」
間がない。俺はそっちを見る。
「どっちだ」
「両方」
短い。俺は鼻で笑った。
「うるせえ」
それでも、少しだけ楽になった。
襖の向こうで足音が止まった。
「失礼仕る」
低い声。間を置かずに襖が開く。使いの男が膝をつき、頭を下げた。
「老中筆頭、松平伊豆守様より、御書状にございます」
宗冬が手を差し出す。書状が渡される。開く。視線が落ちる。誰も何も言わない。音が消える。
宗冬が書状を閉じた。
「……分かった。では、馬の用意をせよ」
それだけだった。俺は眉をひそめる。
「なんだよ」
「戻る」
一歩だけ動く。短い。それで決まる。
俺は舌を鳴らした。
「また別口かよ」
重俊が静かに言う。
「宗春様は動けぬ。殿が出る他あるまい」
宗冬は否定しない。そのまま歩き出す。俺は声をかけた。
「早ぇな」
宗冬は振り返らない。
「役目だ」
それだけだった。光太郎がぽつりと言う。
「寄る」
「承知の上だ」
宗冬は止まらない。そのまま、襖の外へ出た。足音が遠ざかる。それで終わりだった。
◇
静けさが戻る。さっきまであった圧が、一つ消えた。
俺は天井を見上げた。
「行っちまったな」
重俊が目を閉じたまま答える。
「当然にござる」
間が落ちる。外で風が鳴る。城の中は静かだ。でも、止まってはいない。
光太郎がぽつりと落とした。
「減った」
「何がだ」
「一つ」
それだけだった。俺は頭を掻いた。
「まあな」
しばらく、誰も何も言わなかった。俺は外の気配に耳を澄ます。
静かだ。終わった。
俺は小さく息を吐いた。
「……最期しか知らねぇ」
「でもな」
「忘れねぇ」
誰に聞かせるでもない。それでいい。
光太郎がこちらを見る。
「遅い」
「うるせえ」
重俊が、わずかに笑った。それで十分だった。
静けさは続く。
でも――もう、同じではない。




