第三話 立ち上がるもの
宗冬が盃を下ろした。その次の瞬間だった。
障子が開くより先に、人影が六つ、部屋へ流れ込んでくる。足音が遅れて鳴る。体だけが先に入り、音があとから追いつく。
反射的に立ち上がっていた。
「来やがったな!」
正面にいた一人が、もう斬りかかってくる。早い。構えを見てからじゃ間に合わない。俺は腰を落として、抜きざまに受けた。刃がぶつかる。重い。だが、重いだけじゃない。角度が嫌に正確だ。
横で重俊が一歩踏み込み、別の一人を受ける。
「前へ出すぎるな」
怒鳴るより早く、さらに左右から二つ影が走る。 俺は舌打ちした。
「多いんだよ!」
光太郎が、間を滑るように抜けた。人の動きじゃねえ。最短で距離を詰め、横から来た一人の手首へ指をかける。相手の体が崩れ、刃先が畳を裂いた。
「速い」
短く落とす。それが、今の感想らしい。六人。最初から包んでやがる。
宗冬はまだ動かない。座ったまま、九条兼嗣を見ている。九条は座敷の上座で、盃を持ったまま立ちもせず慌てもしない。目の前の一人を押し返し、肩で息をした。
「おい、あいつ見ろよ!」
重俊が刃を受けながら低く返す。
「余計なところを見るな!」
もっともだ。だが、あの男が微動だにしないのが、かえって腹立たしい。
正面の童子が、踏み込みを変えた。上段から来ると見せて、途中で手首を返す。俺は咄嗟に身を捻った。
「ちっ……!」
頬を風が掠める。大津の連中に似ている。でも、あれよりずっと手が揃ってる。
重俊が一太刀で相手の刃を流し、腰を沈めた。
「読むな。動きで見ろ」
その言葉に、俺は一瞬だけ頭が冷えた。
「分かってるよ!」
返しながら、今度は真正面から踏み込む。相手も来る。ちょうどいい。避ける気のないやつは、逆に読みやすい。
刃が噛み合う。押し切れない。だが、押し負けもしない。
横目で見る。重俊も同じだ。受けて、流して、まだ押し返している。光太郎は別だった。刃を見てねえ。相手の肩と足だけ見て動いている。
「揃う」
ぽつりと落とし、次の瞬間、童子の膝裏を払った。相手の体勢が崩れる。そこへ拳を叩き込む。骨が鳴る音がした。
俺は思わず口を歪めた。
「お前、それ、毎回やれよ」
「遅い」
褒められてはいない。だが、今はどうでもいい。
俺の相手が、また詰めてくる。さっきと同じ間合い。でも、今度は分かる。
「同じ手だろ」
刃を半歩ずらす。相手の一撃が空を切る。そのまま懐へ入った。
腹を裂く。
血が飛んだ。
相手の目が、そこで初めて揺れた。
「……なんだ、斬れんじゃねえか」
膝が折れる。畳へ崩れた。
人だ。少なくとも、斬れば倒れる。
重俊が一人を押し込んでいた。受け太刀のまま半歩前へ出て、刃筋を殺す。そのまま、喉元へ短く払う。相手が声もなく倒れた。
「一つ」
重俊が息を整える。額に汗が浮いているが、まだ崩れていない。
光太郎の方では、相手が立ち直る前に決着がついていた。体勢を崩された童子の首筋へ、短刀が深く入っている。光太郎が刃を引き抜く。
「遅い」
またそれだ。俺は鼻を鳴らした。
「言ってる場合かよ」
だが、ここで一つ分かった。こいつらは強い。でも、勝てない相手じゃねえ。
残り三人。包みの形が崩れる。俺は刀を振って血を払った。
「いけるな」
「気を抜くな。まだ半分だ」
もっともだ。でも、最初の嫌な重さはもうない。
宗冬が、そこで立った。ようやく動く。その一歩だけで、部屋の空気が変わった。
九条は、まだ座っている。盃を口元へ運び、ゆっくりと含んだ。
俺は奥歯を噛んだ。
(なんなんだ、あいつ)
残りの童子が一瞬、宗冬へ視線をやる。それで終わりだった。
宗冬の刃が走る。
速いというより、もうそこにあった。 一人の首筋が裂ける。相手は何が起きたかも分からない顔で崩れた。
「人の技だ」
宗冬が低く言った。誰に向けたのでもない。でも、その一言には判断があった。思わず息を吐く。
「だよな」
残り二人。勝ち筋が見えた気がした。
その時、光太郎だけが、九条の奥を見ていた。そして、短く言った。
「違う」
その声だけが、妙に耳に残った。
残り二人。間が、ほんのわずかに揺れた。俺は踏み込む。
「終わりだ!」
言いながら斬り込む。相手も来る。でも、さっきまでの鋭さがない。連携が崩れている。
重俊が横から入る。
「挟め、章吉!」
言われるまでもない。左右から圧をかける。逃げ場はない。童子の一人が後ろへ退く。もう一人が、それを庇うように前へ出た。
俺は口の端を上げた。
「逃げる気かよ」
踏み込みを強める。相手の刃が上がる。遅い。
そのまま、肩口から斬り下ろした。手応えがある。肉を断ち、骨に当たる。相手の体が崩れる。
重俊も同時に動いていた。残る一体の懐へ入り、刃を返す。短く、確実に。
「二つ」
静かな声だった。そのまま、相手は膝から落ちる。俺は息を吐いた。
さっきまでの重さが、嘘みたいに抜ける。斬れた。倒れた。勝ってるはずだ。……なのに、妙に軽い。
宗冬が刀を収める。視線は九条へ向いたままだ。
九条兼嗣は、座したまま盃を置いた。戦いの間、一度も姿勢を崩していない。
その静けさが、逆に引っかかった。
俺は眉をひそめる。
(……なんだよ)
床に倒れた童子の一人の手が、目に入った。指が、同じ形に揃っている。
さっき斬ったやつも、その前に倒れたや者も。全員だ。
重俊が気づいたのか、視線を落とした。
「……妙だな」
俺は舌打ちした。
「死んだら普通バラけるだろ」
なのに、揃っている。誰かが並べたみたいに。光太郎が、動かないまま言った。
「揃う」
短い。でも、今までと違う響きだった。俺は振り向く。
「だから何だよ」
光太郎は答えない。視線は、倒れた連中じゃなく。
その奥。九条兼嗣の向こう側を見ている。
「まだいる」
低く落とす。背中が、ぞくりとした。俺は周囲を見回す。もう動くやつはいない。気配もない。
「どこにだよ」
重俊が静かに言う。
「……分からぬ。だが」
言葉を切る。同じものを感じている顔だった。宗冬が一歩だけ前へ出た。
「術か。統制された人の動きだ」
その声は落ち着いている。判断は揺れていない。思わず顔をしかめた。
(本当かよ……)
勝ったはずなのに、胸の奥が落ち着かない。 何かが終わっていない。
九条兼嗣が、そこで初めて動いた。盃を指で転がす。わずかに音が鳴る。それだけで、部屋の空気が変わった。俺は無意識に息を止める。
(……おい)
九条はゆっくりと立ち上がった。動きは滑らかだ。無駄がない。でも、それだけじゃない。
遅れて見えた。立ったはずなのに、立つ前の姿が一瞬だけ残る。そんな妙な感覚。
光太郎が、はっきりと言った。
「来る」
その声で、背筋が凍る。俺は刀を握り直した。
「……まだ終わりじゃねえのかよ」
九条は何も言わない。ただこちらを見る。
その目が、初めて――人を見た気がした。だが、それが何を意味するのかは、分からなかった。
ただ一つだけ、はっきりしている。
さっきまでの戦いは、終わっていた。
そして――
ここからが、始まりだった。




