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柳生長屋の三人組 湧いた事件を片付けます  作者: 月城玉菜
第九章 潜む影と揺らぐ理
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第四話 崩れぬ理

 島原を出た途端、通りの空気が一段と冷たく感じた。灯りは多いのに、足元だけ妙に暗い。人は歩いているし声もする。だが、どれも長く続かない。

 俺は肩をすくめて、歩幅を少し詰めた。


「……まだ残ってるな、あの感じ」


 横を歩く重俊が、視線だけこちらに寄越した。


「消えたと思う方が不自然だろう」


 俺は鼻を鳴らした。


「ま、そうだな」


 前を歩く宗冬は振り返らない。足取りも変わらない。ただ、島原にいた時より少しだけ間が詰まっている気がした。

 光太郎は一度も口を開かない。人の顔じゃなく、道の流れをじっと見ている。


 門の前で足を止めた。近衛の屋敷だ。高い塀に囲まれて、門は固く閉じられている。人の気配はあるのに、音が外に漏れてこない。

 俺は顎で軽く示した。


「でかいな」


 重俊が小さく息を吐く。


「公家筆頭の一つだ。軽口は控えろ」

「わかってるよ」


 そう言いながら、喉の奥が少し乾くのを感じた。島原とは違う。ここは笑えない場所だ。


 門が静かに開いた。内側から出てきた男が、俺たちを一瞥するとすぐに頭を下げた。


「お待ちしておりました」


 間がない。言い終わると同時に、体が動く。俺は目を細めた。


「早ぇな」


 重俊が低く言う。


「所司代の手配だ」


 男は何も言わず、ただ道を空けた。俺たちはそのまま中へ入った。

 庭は広くて、砂がきれいに均されている。足跡一つ残らない。植え込みも石も、全部きっちり揃っている。風が吹いても、何の乱れもない。

 俺は一歩踏み込んで、足裏に妙な違和感を覚えた。


「……軽いな」


 砂の感触が薄すぎる。踏んでいるはずなのに、踏んでいないみたいだ。

 重俊が足元を見下ろした。


「整えすぎだ」


 俺は小さく頷いた。


「島原と似てる」


 光太郎が、庭の奥を眺めたままぽつりと言った。


「揃う」


 短い。でも、さっきより声が低い。俺はそれ以上聞かなかった。

 案内の男が止まり、襖の前で手を引いた。


「こちらへ」


 声も動きも、まるで同じ型で動くようだ。俺たちはそのまま通された。

 部屋は広かった。畳も柱も、きれいすぎるくらい整っている。座布団が並んでいて、すでに一人が座っていた。


 近衛だ。


 年の頃は宗冬と大して変わらない。顔立ちは柔らかい。だが、目だけが笑っていない。


 俺は思わず視線を逸らした。宗冬が一歩進んで、軽く頭を下げた。


「柳生宗冬、参上仕った」


 近衛はゆっくり頷いた。


「これはこれは。柳生様ともあろうお方が、わざわざこのような所までお越しになるとは」


 言葉は丁寧だった。でも、どこか棘がある。

 俺は内心で舌打ちした。


(感じ悪いな……)


 宗冬は動じない。


「ご挨拶をと思い、参ったまで」

「ご丁寧に。京の空気はいかがでございましょう」


 俺はそのやり取りを聞きながら、息を詰めていた。

 話の意味は半分も分からない。でも、両者とも一歩も引いていないことだけははっきり伝わってきた。

 重俊がわずかに顎を引く。光太郎は近衛じゃなく、部屋の奥の柱をじっと見ている。

 宗冬が静かに言った。


「変わりはないように見える」

「この都は、古き理で動いておりますゆえ」


 柔らかい声。でも、何も答えていない。

 俺は指先で膝を軽く叩いた。


(逃げてる)


 宗冬が続ける。


「九条の出入りが増えていると聞くが」


 一瞬、空気が止まった。近衛はすぐには答えず、視線がわずかに動いた。


「それを増えていると見るか、賑わいと見るかは、見る側の心持ち次第でございましょう」


 俺は眉を寄せた。


(はぐらかしやがった)


 重俊の呼吸が一拍止まる。宗冬は間を置かずに言った。


「中はどうだ」


 近衛はゆっくり瞬きをした。


「我らは、屋敷の内側にまで首を差し入れるような真似はいたしませぬ――柳生様は、なさるのやもしれませぬが」


 柔らかい声。でも、はっきりと線を引いた。俺は奥歯を噛み締めた。


(切ったな)


 部屋の空気が、少し重くなった。宗冬が盃に手を伸ばす。指先は止まらない。


「異常は感じぬか」


 近衛はわずかに首を傾けた。 


「異常と申しますのは、どの程度のものでございましょうな」


 逃げ道を残したまま、返してくる。俺は膝の上で拳を握りしめる。

 重俊が視線を落とす。何かを拾おうとしている顔だ。

 宗冬が盃を置いた。


「見えているものはあるな」


 近衛の目が、ほんの一瞬だけ細くなった。


「見えているものすべてに手を出しておりましたら、この都は立ち行きませぬ。どれほど目が利こうとも、でございます」


 静かに言い切った。その一言で、腑に落ちた。だが、動かない。

 俺は息を吐きかけて、止めた。光太郎は動かない。一度も口を開かない。ただ、同じ場所をずっと見続けている。それが、妙に気になった。


 宗冬の言葉が落ちたあと、部屋の中から音が消えた。

 外の気配はあるはずだ。人の動きも、風の流れもあるはずだ。でも、ここだけ切り離されたみたいに静かだった。


 近衛はゆっくり盃を持ち上げた。指先の動きに無駄がない。一口だけ含む。


「……さすがに、目が利いておられる」


 声は変わらない。でも、ほんのわずかに温度が下がる。

 宗冬は返さない。視線も動かさない。

 近衛は盃を置いた。


「とはいえ、この都は広うございます。すべてを一つに結びつけるのは、いささか早計かと」


 逃げではない。でも、はっきり線を引いている。

 俺は息を飲み込んだ。


(全部知ってて、言ってるな)


 重俊の肩がわずかに固くなる。何かを読み取った顔だけど、口は開かない。

 宗冬が静かに言う。


「見誤れば、広がる」


 短い。でも、重い。近衛は一瞬だけ目を伏せた。


「……それもまた、理でございましょう」


 肯定も否定もしない。その返しで、勝負はついた気がした。宗冬はそれ以上踏み込まない。近衛も、それ以上出さない。俺は膝の上で握っていた手を、ゆっくり開いた。

 近衛がわずかに姿勢を正す。


「柳生様のご見識、しかと承りました」


 丁寧だ。でも、終わらせに来ている。宗冬が頷いた。


「十分だ」


 それだけで話を切った。俺は思わず息を吐いた。


(終わりかよ)


 立ち上がる。畳の感触がやけに薄い。

 重俊も無言で続く。

 光太郎は最後まで座ったまま動かなかった。近衛が視線を向ける。


「お連れの方は……」


 言いかけた瞬間、光太郎が顔を上げた。ゆっくり立ち上がる。足音が、やけに重く響いた。部屋の空気が、一段沈む。

 俺は思わずそっちを見た。


(今かよ)


 光太郎は近衛を見ない。

 視線は、その奥――壁の向こうに向いている。そして、短く言った。


「中にいる」


 それだけだった。

 だが、その一言で空気が止まった。

 近衛の指が、わずかに動く。盃の縁に触れたまま、離れない。

 初めてだ。この男の間が崩れた。宗冬は何も言わない。ただ一度、近衛を見た。それで十分だった。

 俺は背中に冷たいものが走るのを感じた。


 近衛はすぐに笑みを戻した。


「……興味深いご見識でございますな」


 声は整っている。でも、わずかに遅れた。光太郎はもう何も言わない。そのまま、何もなかったように背を向けた。

 宗冬が歩き出す。


「これにて」


 短い。俺は慌てて後を追った。重俊も無言で続く。部屋を出て、廊下に戻る。

 さっきと同じはずの空気が、少しだけ違っていた。


 門へ向かう。誰も声をかけてこない。俺は小さく息を吐いた。


「……なんだったんだ、今の」


 重俊が前を見たまま言う。


「刺した」


 それだけだ。俺は苦笑した。


「だろうな」


 光太郎は歩きながら、もう一度だけ振り返った。屋敷の奥を見る。


「混ざる」


 低い声だった。俺はそれ以上聞かなかった。

 門を出る。外の空気が、ようやく動いた。でも、さっきまでの京とはもう違って見えた。中だけじゃない。


(これ、もう広がってる)


 宗冬の歩みは止まらない。俺たちはそのまま、通りへ出た。


 人はいる。声もある。

 でも、そのどれもがどこか希薄だ。

 さっきまで見ていたものと、同じ顔をしている気がした。

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