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柳生長屋の三人組 湧いた事件を片付けます  作者: 月城玉菜
第九章 潜む影と揺らぐ理
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第二話 追えぬ影

 二条城の門をくぐった途端、肩の力が抜けた。

 背中に張りついていた重いものが、ようやく剥がれた気がする。息を吸うと、湿った空気が肺に入った。城の中より、わずかに生臭いような、人の匂いが混じっている。

 通りへ出る。人の流れは相変わらずだ。肩がぶつかっても、誰も振り返らない。袖が触れても、文句一つ出ない。ただ、すっと流れる。

 俺は頭を掻いた。


「なあ」


 重俊が横目だけ寄越す。


「どうした」

「ついて来てるよな。あいつ」


 重俊は周囲を一巡り見て、すぐに前を向いた。


「気のせいではないか」

「道中、何度も言っただろ」


 声が少し強くなる。宗冬は前を向いたまま、歩く速度を変えない。光太郎が足を止めた。


「いる」


 短い。だが迷いがない。俺は眉を寄せる。


「やっぱりか。なんで今まで黙ってた」

「逃げる」


 それだけ言って、また歩き出す。舌打ちを喉で止めた。


「じゃあ今は逃げねえのか」

「近い」


 光太郎の視線が、通りの向こうへ向く。俺も目を凝らした。


 人の間に、笠を深くかぶった女が紛れている。鳥追いのなり。派手さはない。だが、妙に目に残る。さっきまで感じていた気配が、そこに形を取った。


「いるな」


 言い終わる前に、光太郎が動いた。

 人の流れを縫うように進む。荷を担いだ男が足を止めかけ、すぐに歩き直す。女連れが視線だけよこす。光太郎はそれらの間をすり抜け、一気に距離を詰める。

 女が気づいて半歩引く。だが遅い。光太郎が腕を掴む。笠がずれる。女は顔をしかめ、次の瞬間、大きく息を吐いた。 

「……あらま」


 力が抜ける。逃げる気配はない。俺は正面に回った。


「江戸からだろ」


 笠の影で、目だけが動く。


「さてね」


 軽い感じで返す。だが逃げてもいない。重俊が声を落とす。


「ここでは目立つ。場所を移すべきだ」


 周囲の視線が少し集まり始めている。宗冬が女を一瞥する。短く、だが測るような目だ。


「歩けるか」

「離してくれりゃね」


 光太郎は手を離す。だが位置を変え、逃げ道を塞ぐ形のまま。


「逃げるな」

「走るほど暇じゃないさ」


 言い方が軽い。


「飯だな。話はそのあとだ」


 女は目を細める。


「勝手だね」

「ついて来たのはそっちだろ」


 女は小さく肩をすくめる。


「違いない」


 歩き出す。宗冬が先、俺と女、少し遅れて光太郎と重俊。


 軒の開いた茶店に入る。湯の匂いと薄い出汁の香りが鼻を突く。

 中はそれなりに混んでいる。客もいる。だが、やはりここでも違和感を覚える。笑い声が上がっても長く続かない。注文もやり取りも、全部同じ調子で流れる。

 腰を下ろす。女は傘を外し、向かいに座る。女の歳はよくわからないが、せいぜい二十代半ばだろう。美人なのだろうとは思う。重俊が眩しそうに何度か瞬いた。

 湯呑が置かれる。女は手を伸ばし、一口飲んだ。

「あら、悪くないね」

「何者だ」

「何に見える」

「鳥追い」

「なら、それでいいさね」


 重俊が眉をひそめる。


「答えになっておらぬ」

「そう思うなら、それでいいさ」


 笑っているが、目は笑っていない。

 光太郎は動かない。視線だけが女にかかっている。


「なんで尾けた」

「さあね」


 同じ調子だが、声が少し沈む。女の表情が僅か曇る。少しだけ頭を傾けた。


「京は静かさ」

「こっち来てから、ずっとだな」

「違う。前は、もっとやかましかったさ」


 指先で湯呑を回す。視線は外に向いたまま。


「昔の京はね、欲が出てたさ」

「欲、でござるか」

「そうさ。金も、色も、意地も」


 女は湯呑を置く。音は小さい。


「店先で値切りが揉める。袖が触れりゃ文句が出る。公家の供が道を払えば、陰で舌打ちもする」


 視線が卓に落ちる。


「夜は夜で、昼に出せないもんが動く。喧嘩も盗みも、隠れちゃいるが消えはしない」


 通りを見る。人の流れはさっきと変わらない。


「今は、出る前に消える。どこかで撫でられてるみたいにさ」


 光太郎が短く言う。


「抑え」

「近いね。でも、触ってる手は見えないのさ」


 重俊が腕を組み直す。


「人の仕業ではないという事か?」

「人だけじゃない、ってとこかな」


 曖昧だ。だが、逃げてもいない。俺は顔をしかめた。


「お前、前から京にいたのか」

「通ったことがあるのさ」


 それ以上は言わない。茶が冷めていく。


「で、何がしたいんだ」

「見てるだけさ」

「何を」

「あんたらを」


 即答だ。軽いが、逃げていない。

 重俊が低く言う。


「尾ける理由にはならぬ」

「なるさ。死に急ぐ連中に、興味がわいたんさ」


 言い切る。場が一瞬止まる。

 俺は鼻を鳴らした。


「残念だったな。まだ生きてる」

「そうみたいだね」


 女はわずかに口の端を上げる。


「だから、もう少し見る」


 宗冬が初めて口を開いた。


「名は」

「ないのさ」

「必要だ」

「今は困るのさ。呼ばれれば、縛られるからさ。それが、名ってもんさ」


 光太郎が言う。


「嘘ではない」

「助かるよ。あんたいい男さね」


 女は軽く返す。俺は机を指で叩き、口を開いた。


「どこ見てる」

「表はもう見たろ」


 顎で外を示す。


「でも、本音が残る場所を探すなら、ここじゃない。二条城でもないさ」


 重俊が団子を頬張りながら、聞く。


「どこだ」

「島原さね」


 短い。だがはっきりしている。俺は顔を上げた。


「遊郭か」

「そう」


 女は頷く。


「金が動く。欲も動く。嘘も本音も混ざる。人が丸裸になる場所さ」


 宗冬が立ち上がった。迷いがない。


「行く」


 それだけだ。重俊が渋る。


「まともに入れる場ではござらぬ」

「まともである必要はない」


 宗冬は振り返らず歩き出す。俺は女を見る。


「お前は」

「来るなと言われりゃ、考える」


 光太郎が言う。


「来る」

「そういう顔だろ」


 女は苦笑する。勘定を済ませ、外へ出る。人の流れは、茶屋に入る前と変わらず多い。賑わっている。それなのに、背中を虫が這うような感じになる、

 俺は振り返った。


 女は少し後ろを歩いている。並ばない。だが離れもしない。

 光太郎の視線が、女から離れない。宗冬の歩みは、さっきより速い。


 人の中に、何かが混ざっている。

 それだけは、はっきりした。


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