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柳生長屋の三人組 湧いた事件を片付けます  作者: 月城玉菜
第九章 潜む影と揺らぐ理
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第一話 消えぬ距離

 京へ入った途端、視界が開けた。

 道が広い。人の流れが途切れない。荷を引く者が声を張り、商いの呼び込みが重なり、笑い声が混じる。都らしい賑わいだ。江戸とも駿府とも違う。

 思わず足が緩んだ。


 通りの端では、町人が桶を並べて水を汲み、女が布を叩いている。声はあるが、どれも抑え気味で、笑いも長くは続かない。

 商人は客に頭を下げるが、目だけは周囲を測るように動く。子どもが駆け抜けても、叱る声は上がらず、ただ手が伸びて引き戻される。

 その流れの奥、道の中央をゆるく空けて、公家の一行が通る。牛に引かせた乗り物――牛車がのんびりと通る。

 衣の重なりと強い香の匂いでそれと知れる。供の者が静かに道を払うと、人の流れは自然に割れ、またすぐに閉じる。誰も顔を上げない。視線だけが低く伏せられ、通り過ぎるまで乱れない。

 華やかさはある。だが、どこか音が薄い。触れれば崩れそうな均し方で、町が保たれている。


「いいな、ここ」


 隣で重俊が小さく息を吐く。袖口を整えながら、足は止めない。


「遊びに来たのではない」

「わかってるって」


 そう言いながらも、視線は勝手に流れる。布の色や飾りの細工、金具の光。目に入るものが多く、どれも細かい。見ているだけで飽きない。

 ふと足が止まる。小間物屋だ。かんざしくし、細工物が棚に詰め込まれている。俺は手を伸ばし、折り鶴模様の平打ち簪を指でなぞった。軽い。指先に収まる。


「これ、差配に似合いそうじゃねえ?」


 重俊は一度だけ品を見て、すぐ視線を外した。


「やめておけ。似合うかどうかで買うものではない」

「じゃあ何で買うんだよ」

「必要かどうかだ」


 肩をすくめる。


「堅ぇな。いいじゃないか、差配には世話になってるし。俺の金だし。お米にも何か買っていくか」


 光太郎は店先に立ったまま、品ではなく人の動きを見ている。


「不要」

「お前は全部それだな」


 宗冬は足を止めず、振り返りもせずに言った。


「買うのか」

「迷ってる。迷うのも楽しいんだよ」

「なら買うな」


 短く言い切り、そのまま進む。舌打ちは飲み込んだ。


「冷てぇな」


 簪を棚へ戻す。

 店の中を一巡り見た。客はいる。品も動いている。だが、何か引っかかる。

 客同士が肩をかすめた。どちらも振り返らない。謝りもしない。歩みだけが途切れない。

 別の客が金を出す。店主は受け取り、品を渡す。笑みは浮かぶが、声が薄い。同じ調子が続く。

 俺は腕を組んだ。


「……静かじゃねえか」


 重俊が周囲を見回す。人の流れを追う目だ。


「人は多い」

「だろ? なのに、ぶつかっても何も出ねえ」


 入口の脇で二人がすれ違う。袖が触れたが、どちらも止まらない。流れの中に戻るだけだ。

 俺は鼻の奥がむずつくのを感じた。


「気持ち悪ぃな」


 光太郎が一歩だけ前へ出た。視線は人の足運びに落ちている。


「揃う」

「またそれか」


 頭を掻く。


「で、何が悪いんだよ」


 光太郎は答えない。目は人ではなく、動きの間を追っている。

 重俊が低く言う。


「揉めぬな」

「それはいいことじゃねえのか?」

「良いなら、どこかで引っかかる」


 外へ出て通りを見る。こちらも同じだ。ぶつかる。だが止まらない。人の流れが途切れない。

 足並みの乱れが、すぐに消える。


「……芝居みてぇだな」


 口に出ていた。

 宗冬がわずかに笑う。


「都がこれほど素直なはずがない」

「素直?」

「人は勝手に動く。勝手に揉める」


 宗冬は視線を流れに置いたまま続ける。


「それを均すのは、人の手ではない」


 軽く言うが、重い。

 店をもう一度見た。同じ動き。同じ間。どこを切り取っても変わらない。


「……やっぱり気持ち悪ぃ」


 光太郎が短く言う。


「中」

「どこだよ」


 返事はない。ただ視線が通りの奥へ向く。

 人の流れに紛れている。そんな気がした。

 息を吐く。


「行くか」


 重俊が頷く。


「所司代だな」

「先にそっちかよ」

「順が大事だろう」


 宗冬はすでに歩き出している。

 俺は一度だけ振り返った。客がいる。品が動く。何もおかしくない。だが、どこか噛み合わない。


「……あとでまた来る」


 誰にともなく言う。返事はない。

 光太郎がぽつりと言った。


「崩れぬ」


 その一言だけが、妙に残った。


 二条城の門をくぐると、音が小さくなる。

 町のざわめきが背へ流れ、足音だけが残る。広い庭が、妙に詰まって見える。門番は視線だけ寄越し、止めない。宗冬はそのまま進む。


 中は広い。城に入るのは初めてだが、それでも分かる広さだ。

 いくつもの角を曲がり、書院へ通される。待たされない。


 やがて所司代、板倉宗重が現れた。四十過ぎ。姿勢に無駄がない。視線は強いが、どこか落ち着かない。

 宗冬に深く頭を下げ、続けて俺たちにも礼をした。


「お待ちしておりました」


 眉をひそめる。


「待ってた?」

「話は通っておるのか」


 宗冬の問いに、板倉は頷く。


「通っております。柳生家より書状が届いております」


 言い切るが、張り詰めている。

 宗冬が静かに言う。


「妙だと聞く」


 板倉の視線がわずかに揺れた。


「……妙です」


 短い。だが重い。俺は腕を組む。


「何がだよ」


 板倉はためらわない。


「争いが減っております」

「いいことじゃねえのか」


 即座に言うと、板倉は首を振った。


「減り方が異様です。京は中心部一帯の治安は良いが、外れへ出れば野盗も出る。それが無くなっている」


 さっきの光景が重なる。


「気持ち悪ぃな」

「人の営みではござらぬな」


 板倉が続ける。


「不満も欲もあるはずだし、消えるものではない。それが表に出ぬ」


「減ってる? 何があった?」


 問いかけるが、板倉は答えない。宗冬を見る。

 宗冬はわずかに口の端を上げた。


「減ったのではない。抑えられている」


 板倉が小さく息を吐く。目が細まる。


「……やはり」


 そこで初めて、肩の力が抜けた。

 顔をしかめる。


「分かってたのかよ」

「感触はあった。だが正体が掴めぬ」


 正直だ。光太郎が言う。


「中」


 板倉が一瞬だけ光太郎を見る。


「……それは」

「人の外の理が入っている」


 宗冬の言葉に、板倉は否定しない。

 それで十分だった。


「面倒くせえな」

「まったくですな」


 板倉が小さく笑う。だが重い。


「こちらは手が出せぬ」

「であろうな」

「任せてよろしいか」


 低い声だ。宗冬は振り返らない。


「見るだけだ」


 それで話は終わる。


 外へ出る。門を抜ける。音が戻る。人の流れが戻る。

 だが、同じには見えない。どこか混ざっている。


 光太郎が、いると言った。

 それで十分だった。


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