第六話 襲撃の大津
大津の道は広い。
湖が開け、風も抜ける。見通しもいい。ここまで来れば、もう京はすぐそこだ。道は続いている。何も遮るものはない。
これでも、俺たちは足が早い。今までは、多くの商人や百姓たちを抜かしてきた。
「近いのに、遠いな」
重俊が隣で答える。
「境だ」
「何のだよ」
「内と外のだ」
分かったような分からんような言い方だ。俺は鼻を鳴らす。
「またそれか」
宗冬が前を歩いたまま言う。
「ここから先は、同じには進めぬ」
俺は前を見る。道は変わらない。人もいる。荷もある。声もある。だが、どこか気配が薄い。音が、少し遅れて届くきがする。
「……なんか、変だな」
光太郎が言う。
「違う」
「それはもう聞いた」
「揃う」
俺は周囲を見る。旅人がいる。荷を引く者がいる。女が通る。僧が歩く。普通だ。普通のはずだ。
だが、ぶつからない。肩が触れても、止まらない。道が詰まっても、流れる。誰も、止まらない。
重俊が低く言う。
「多いのではないな」
「じゃあ何だよ」
「合いすぎている」
その言葉で、少しだけ腑に落ちる。人の動きに、引っかかりがない。滑っているように、同じ速さで流れていく。
俺は舌打ちを飲み込む。
「気持ち悪ぃな」
宗冬が片方の口角を上げて、笑う。
「下手なやり方じゃな」
「は?」
「本来、ここは詰まる。だが」
宗冬は視線を動かさない。
「崩れぬ。意図して揃えている」
俺はもう一度見る。確かに、ぶつかっている。だが、揉めない。すぐ離れる。 決まっているみたいに。
「……作ってる?」
口に出た。重俊が答える。
「その可能性はある」
「中」
「どこがだよ」
光太郎は答えない。ただ、同じ方向を見る。俺もそっちを見る。
何もいない。いや――いる。人はいる。だが、そこにいる感じが薄い。
「……見てるな」
俺は小さく言った。重俊が頷く。
「見られておるな」
宗冬がにやりと笑う。幽霊よりも遥かに怖いぞ。
「隠れておらぬ」
「堂々としてやがるな」
「必要がない」
それだけで、話が繋がる。人の中にいれば、隠れる必要はない。俺は息を吐いた。
「面倒くせえな」
「そうでなければ、ここは選ばぬ」
宗冬は歩みを止めない。そのまま、わずかに道を外れた。人の流れから、半歩だけ外れる。それだけで、空気が変わる。音が減る。風が通る。
俺は足を止めた。
「……囲まれてる」
重俊が刀に手をかける。
「ようやくか」
「囲む」
今までとは違う。いるでもない。来るでもない。もう、そこにいる。道の脇。土手の上。屋根の影。同じ距離で、同じように立っている。
山伏の装束。深編笠に隠れて、顔は見えない。だが、視線だけが揃っている。
俺は柄に手を置いた。
「……多いな」
重俊が低く言う。
「数ではない」
「じゃあ何だよ」
「間だ」
その言葉で、背中が冷える。距離が同じ。動く間も同じ。呼吸まで揃っている気がする。
光太郎が言う。
「一つ」
「は?」
「一つだ」
意味が分からない。だが、嫌な予感だけは外れない。宗冬が一歩だけ前に出る。声が落ちる。
「決して、下がるな」
短いが、命令だ。俺は舌打ちを飲み込む。
「分かってるよ」
「ここで退けば、追われるだけですぞ」
「来る」
その瞬間だった。同時に、動く。音がない。だが、間だけが揃っている。俺は踏み込んだ。
「来やがれ」
最初の一人を、正面から受けた。踏み込みは浅い。だが、間が合わない。刃が来る前に、次が来る。
「ちっ」
半身をずらす。肩をかすめて抜ける。踏み込んで打つ。崩れる。だが、その隙間にもう一つ入ってくる。横。後ろ。止まらない。
「多すぎる!」
叫んだ瞬間、背後に気配が増えた。 重俊が前に出る。
「下がるな!」
刀を受ける。受けたまま、押し返す。だが、押し切れない。もう一つ、さらにもう一つと間に入ってくる。
「連携が異常だ!」
重俊の声が低くなる。受けた刃に、別の刃が重なる。角度を変え、押し込む。間を奪う動きだ。光太郎が横に滑る。
「囲む」
速い。だが、抜けられない。抜けた先に、もういる。同じ距離で、同じ間で、次が入る。
俺は一歩下がった。さらに半歩。背が当たる。岩だ。
そこで初めて、位置を思い出す。宗冬が、動いていない。最初から、そこにいた。背を岩に預け、場を見ている。
俺は歯を食いしばった。
「こっちへ来い」
三人で、同時に下がる。押し込まれる形で、宗冬の前に寄る。一瞬だけ、間ができた。その間に、揃って来る。同じ角度、同じ速さ。ずれる気配がない。
宗冬が嗤う。
「遅い」
その一言で、空気が乱れる。宗冬が前に出る。踏み込みは深くない。だが、間に入る。抜く。速い、ではない。見えたと思った時には、終わっている。
最前の一人の腕が落ちる。そのまま流して、首元が裂ける。返す。もう一人の胴が割れる。血が遅れて出る。音が追いつく。崩れる。
同時だった動きが、そこで初めて止まる。
だが、宗冬は止まらない。もう半歩だけ前へ。力を抜いて構えているようにしか見えない。踏み込んできた一人が、その構えに飛び込んだ。胸が開く。そのまま崩れる。
「揃うな。互いの間を潰しているだけだ」
言葉が落ちる。それだけで、連携が崩れる。同時だった動きが、わずかにずれる。そのわずかで十分だ。
「いける!」
俺は踏み込む。今度は入れる。横から来る前に、崩す。体を当てる。足を払う。倒れたところに峰で打つ。次が来る。今度は見える。間が、ずれている。
重俊が前に出る。
「そこだ」
受けるのではない。置く。来た刃に合わせて、相手が入る位置に刀を置く。喉元が開く。血が走る。
光太郎が横にずれる。
「遅い」
腕を掴む。そのまま地に叩きつける。骨が鳴る。首がおかしな方向に向く。もう起きない。
残りが一瞬、迷う。同時に来ない。間が揃わない。それだけで、弱い。俺は息を吐いた。
「終わりだろ」
踏み込む。一人、二人。崩れる。最後の一人が、退く。追う前に、宗冬が命ずる。
「深追いするな」
俺の足が、止まる。影が引く。音もなく、消える。残るのは、倒れたものだけだ。
重俊が周囲を見る。
「退いたか」
「残る」
俺は肩を回した。呼吸が荒い。さっきまでとは違う。
「……きつかったな」
重俊が静かに言う。
「初めてでござるな」
宗冬は刀を鹿皮で血のりをぬぐい、納める。視線は京の方へ向いている。
「数ではない。動かしているものが一つだ」
俺は顔をしかめた。
「試しでこれかよ」
「本体は前だ。ここは入口に過ぎぬ」
「増えた」
俺は前を見る。道は変わらない。人もいる。だが、さっきとは違う。確実に、増えている。見えないまま、近い。
「……京か」
「避けては通れませぬな」
宗冬が口の端を歪める。
「元より避けるつもりはない」
それだけだ。俺は息を吐いた。
「上等だ」
足を出す。もう止まらない。
京が、目の前にある。




