第五話 影を訪ねる
柳生屋敷の門は、いつもより明らかに静かだった。
人はいる。番も立っている。だが、声がない。出入りする者も少なく、空気だけが張り詰めていた。まるで屋敷全体が息を潜めているようだった。
俺は潜り戸をくぐりながら、肩を軽く回した。
「面倒な匂いしかしねえな」
「軽口で済めばよいがな」
光太郎が門の内側をじっと見渡した。
「違う」
短い一言。意味は分からなかったが、嫌な予感がした。
庭に入ると、地面に足跡が多い。行き来が増えている。だが、乱れてはいない。抑えながら動いている感じだった。
案内の者に通され、奥の座敷へ入る。
襖が静かに開いた。
宗冬がいた。
座しているが、休んでいる姿ではない。背筋はまっすぐ、視線も落ちていない。ただそこにいるだけで、部屋全体の空気を重く支配していた。
「来たか」
それだけだった。俺は軽く顎を引いた。
「呼ばれたんでな」
重俊が正座し、深く頭を下げた。
「拙者ら、現場を見て参りました」
光太郎は何も言わず、壁際に立て膝で座る。
宗冬の目が、俺たち三人を順に見た。
「申せ」
短い。俺は一歩前に出た。
「外してる」
重俊が続ける。
「手口に乱れは見られませぬ。鉄砲の位置、斬り込みの間合い、いずれも的確でございます」
光太郎が淡々と言った。
「前提」
宗冬は遮らず、ただ聞いている。
俺は肩をすくめた。
「準備は出来てる。腕もある。なのに、最後だけ噛み合ってねえ」
「結果のみがずれております」
光太郎が短く落とした。
「誤認」
宗冬の視線がわずかに動いた。
俺は続けた。
「知らねえ可能性がある」
「宗冬様と宗春様が、入れ替わることを」
光太郎が即座に補足した。
「合わぬ」
部屋が静かになった。
外の音は遠い。風の音だけがかすかに聞こえる。
宗冬は少しだけ目を伏せた。
「……そうか」
それだけだった。だが、すべてを掴んでいるような重みがあった。
俺はそこで言葉を切った。これ以上は、こちらの領分ではない。
宗冬がゆっくり顔を上げた。
「続けろ」
まだ出せということだ。俺は小さく息を吐いた。
「鉄砲だ。どうやって入れた」
重俊が答えた。
「市中で扱うのは難しい。運び込むだけでも目立ちます」
「通るものがある」
光太郎が補足した。俺はそちらを見た。
「検めを通らねえ荷か」
重俊がわずかに言葉を選んだ。
「……例外は、ございます」
それ以上は言わない。言わなくても分かる。
宗冬の目がわずかに細くなった。
「そこまでやるなら、地方の連中じゃねえな」
「力のある筋でございましょう」
光太郎が短く続けた。
「重い」
宗冬はしばらく何も言わなかった。
時間が少しだけ止まる。やがて、静かに口を開いた。
「江戸におらぬ者なら。江戸では分からぬ」
それで十分だった。
宗冬はそのまま立ち上がった。音はしない。ただ空気が変わる。
「聞きに行こうではないか」
重俊が顔を上げた。
「どちらへ」
宗冬は答えない。ただ視線だけが前に向いている。
俺は肩をすくめた。
「上、か」
宗冬がわずかに頷いた。光太郎が眉をひそめる。
「来る」
宗冬はそちらを見なかった。
「承知の上だ」
「お供仕ります」
「勝手に決めるな」
光太郎が短く言った。
「行く」
宗冬の視線がこちらに向いた。わずかに細い。
「来るか」
「今さらだろ」
俺は鼻を鳴らした。宗冬は背を向けた。
「名を変える」
重俊が顔を上げた。
「……宗春様でございますか」
「そう名乗る」
迷いはない。俺は眉をひそめた。
「危ねえな」
「狙いが寄ります」
だが、宗冬は止まらない。
「承知の上だ」
「来る」
「だから来るんだろうが」
俺は吐き捨てた。
宗冬は足を止めなかった。
「影は寄る」
一言。それで理由は足りた。
襖が開く。外の空気が流れ込んだ。
屋敷の中は静かだった。だが、動きはすでに始まっていた。
支度が大急ぎで進んでいる。
俺は後ろを振り返った。重俊が隣に並んだ。
「急ぐぞ」
「言われなくてもだ」
俺は足を踏み出した。光太郎が少し遅れてついてくる。
「近い」
庭を抜ける。門の向こうの町は変わらない。
だが、こっちはもう戻らない。
俺は頭を軽く掻いた。
「面倒だな」
「面倒で済めばよいがな」
光太郎が前を見たまま、静かに言った。
「来る」
風がさっきより、少しだけ冷たい。
俺は目を細めた。
――もう動いているな。




