16話 フィリム卿の冒険
「全然わかんない」
誕生日の翌日、『フィリム卿の冒険』の一ページ目を前に首をかしげながらシルファがつぶやく。そういう感想が出てくるのも無理はない。絵本でもなく、かなり分厚いこの本は、三歳児には全然合ってない。いくらシルファが三歳にしては、大人びていると言っても、知識が大人レベルまで蓄積されている訳ではない。読むには五年くらい早いと言っても過言ではないだろう。
もしやイリスの計略か?一緒に本を読むためにわざわざ難しい本を選んだのかもしれない。父親の話なら興味は絶対に持つだろうから、読まないという選択肢もないだろうし。
案の定シルファは、本を手に持ち図書館へと向かい始める。かなりの重さのある本を、抱きかかえながら廊下をふらふらと進む。数人のメイドや執事とすれ違うが、ただ挨拶をするだけで通り過ぎていった。全員手助けをするという野暮なことはしない。というよりも、したくても出来ないのだ。
シルファが癇癪を起こしてしまうから。
自分で全てを成し遂げたいという時期は誰にでもある。
ただ、それでも放っておけないという人物もいる。さっきからずっとストーキングをしているゴルドだな。料理の準備をしなくていいのかと質問したいが、恐らく他の者に任せているのだろう。
因みにアリエルとライグスは不在だ。アリエルは当初の自分の願い通りに、他者を助ける為に週に一度は孤児院へと出向いている。ライグスから払われる給料の殆どをはたいて、小さな子供たちに食料を配りに回っている。
こけることなく図書館へと辿り着いたシルファ。開け放たれたドアをくぐり、部屋へと入る。見慣れた景色が目の前に広がった。シルファが三歳になって私室があてがわれるまでの三年間ずっと寝泊まりした場所だ。
この場所も最初見たときから随分様変わりした。流石に部屋自体が増築されることは無かったが、本棚が五台増えた。それに一度大改装が行われた。本棚の位置が気に食わなかったイリスの号令で全ての本棚の移動が行われたのである。
その際、ライグスの軍団長としての実力を見た。いや、全力を出してはいなかったのだろう。それは分かっている。それでも本が入った状態の本棚を片手に一台ずつ持ち上げるのは如何なものだろうか。それも涼しげな顔で。決して、彼が標準という訳でもないだろう。
一応は一つの軍を統括する立場にある、かなりの実力者だということが窺える。それでも、何の魔法も使わずに、あれを平然と持ち上げた。この世界、人間の魔法抜きの基礎能力もめちゃくちゃ高いのだろう。
部屋では、イリスが当然の如く本を読んでいる。何というか、もうそこに居るのが当然すぎて景色に溶け込んでいる。一瞬見失った程だ。
「お母さん、これ読んで」
「しょうがないわねぇ〜」
シルファのお願いを、渋々という感じで聞き入れるイリス。ただしガッツポーズは隠せてなかった。
図書館にイリスの澄んだ、聞きやすい声が響き渡る。
伝記は、ライグスが冒険者になるところから始まる。国の名前は、リフレ。知らない地名だ。今度世界地図を見てみたい。
貧しい農民の子だった彼は、子供ながらに親の助けになろうと冒険者になったようだ。そして、そこから冒険者としての華々しい活躍が…
始まらなかった。
貧乏なライグスは、当然碌な装備を揃えられない。冒険者登録時、十歳だった彼には体力的に、冒険道具の運び屋としての役目も果たせなかった。今の姿からは考えられないことだな。
ひたすら薬草を摘み続ける日々。そんな日々に辟易した彼は、少し危険なクエストを受ける。危険と言っても受けられるクエストが薬草採取だけだった為、危険度自体は低かった。
ただその薬草の生える場所に問題があった。
山奥の洞窟の、そしてある一定の時期にしか咲かない花を探しに出かけた彼は、一つの痕跡も残さずに姿を消した。
失踪後、冒険者達による捜索が行われたが見つからず。ライグスの親は、再三国に捜索を願ったが、農民である上に貧しい彼らの願いが取り入ってもらえる筈もなく。ライグスは、クエスト中の事故により死亡とされた。
しかしその十年後、彼の両親以外の誰もがその騒動を忘れていた頃に、ライグスはひょっこりと帰ってきた。しかもランクBのベテラン冒険者として。
なんと彼は王国の反対側で名を挙げ、一年間かけて故郷に戻ってきたという。Bランクへは、その期間に至ったようだ。それがどれくらいすごいのか分からないが、わざわざ書いてあるということは、よほどの功績なんだろう。
失踪した後から名を挙げるまでの十年間に、何があったのか、と質問攻めにあったようだが、答えることはなかったらしい。
両親には、伝えたのではないかと言われているが、作者がこの本を書こうと思い至った頃には、彼の両親は鬼籍に入っていたようだ。
そして、ライグス自身もそれを答える気はないらしい。何度もアポなし突入を試みたようだが、軍役時代のライグスの同僚に追い返されたと書かれている。
唯一分かっていることが、ライグスがこの期間中に剣士として世界最高峰の高みへと登っていたことと、特異な剣術に、珍しい剣を手に入れていたことだ。片側にしか刃がない物で、少し反りが入っているらしい。説明を聞いていて思ったが、これ刀じゃないのか?
ライグスが帯刀、帯剣しているのを見たことがないので、確認しようがない。出来るだけ早く見たいな。もしかしたら俺以外の転生者が存在して、日本の文化を運んできたなんていう可能性もあるかもしれないのだから。
ライグスが徹底的に情報を漏らさなかった為に、真実は未だ知られていないらしい。
シルファが、
「お母さんは、知ってるの?」
と聞くと、イリスは普通に
「ええ」
と返していた。あんまり普通に返答したので、一瞬彼女の答えがYesを意味することに気づかなかったくらいだ。
ただ教える気はないようだ。ライグスが自分で言いだすまで、待つ気なんだろうな。
十年の遅れで、やっと両親を楽させることに成功したライグスの進撃が止まることはなかった。
帰郷後、一年の時を置いて旅立った彼は王都にてパーティを結成し、多くの伝説を残していく。
商人達に甚大な被害を齎していたヒュドラの討伐、街を丸々飲み込む化け物じみた大きさの大蛇退治から始まり、マンティコア、リヴァイアサン、バジリスク、巨人、ミノタウロス、ハーピィなど、両手だけじゃなく、両足を使っても足りない量の魔物との戦いの日々が詳細に描かれている。途中から魔物図鑑なんじゃないかと疑ったほどだ。
途中、ライグスが美しいマーメイド達と戯れているシーンを読んでいる時、イリスの機嫌がみるみる内に悪くなっていたが、気にしないことにしよう。素人目にも見て、殺気が立ち上っているのが分かったが、ここはもうライグスの命運を祈るしかない。
多くの冒険の後、Aランク冒険者となった彼はその功績を認められ、またその実力を買われて、リフレ王国の最強戦力「七彩天」の一人として推薦を受ける。それを受諾し、彼は軍に所属する兵士になる。
この後も軍人としてのライグスの活躍が綴られていた。ただそれで終わりだ。このインセル王国に来た経緯が書かれていなかった。国の最高戦力の移籍なんて、相手側の国にも、こちら側の国も問題が出てくるはずだ。だいぶ重要なことだと思うんだが…。
読んでいる間、シルファはずっと目をキラキラさせて聞いていた。長い付き合いだ。彼女の感情を探らなくても、何を言いたいか分かる。分かるというか、断定できる。ただ、それを彼女の両親が許すかは別の話だ。
「私、冒険者になりたい!!」
読み終わった途端に、シルファは叫ぶ。
…やっぱ、そう考えるよなぁ。
「ふふふ、お父さんかっこいいものね」
子供の一時の衝動と受け取ったのだろう。イリスは否定もせずに、頷いた。絶対に危険なことはさせてもらえないだろうし、後でなんとでも言いくるめるだろうと考えているのだろうな。まぁ、シルファはイリスと似て本好きだし、危ないことはしないだろうなと俺も思う。なので、俺もあまり気にせずにいた。
この時、俺たちは舐めていたんだ。シルファの親譲りの決意の硬さと諦めの悪さを。
この後、帰ってきたライグスがイリスにボロボロにされたことは言うまでもない。マーメイドと出会ったら、気をつけることを心のメモに刻んでおく。
まぁ、俺は関係ないか。




