13話 ミッション・インポッシブル
シルファはようやく自力で立つことができるようになった。最近イリスが彼女を支えながら、歩く特訓をしたおかげだ。それと同時に、意味のある言葉を呟くようになってきた。
子供の成長は早いな。イリスとライグスは、ずっと喜びの表情が顔に張り付いて取れなくなっている。
彼らほどでは無いが、俺も結構嬉しい。父性本能とかはまた違うんだろうが、それでも彼女との付き合いは既に一年近い。しかも幼馴染とか家族とかいうレベルじゃなく、文字通り二人で一人だ。特別なことがなくても、情は湧く。
シルファの行動範囲が広がるにつれ、当然俺の認識出来る世界も広がる。先ずは、俺たちの住む家だな。最初に居た本部屋だけでも、図書館と呼べるような広さだったのだ。全体は一体どれくらいの大きさなのかと少し期待していた。
屋敷を通り越して、城とも呼べる大きさなのかもしれないと期待していたのに、だ。
確かに屋敷と呼べるような広さはある。現代日本では豪邸と呼んでも過言ではない大きさだ。だが、本部屋に全ての敷地を割いてしまったかのように他の部屋は小さかった。いや、広いは広いのだ。生活する上で、何の不便のない広さだ。それでも、本部屋の馬鹿でかさに比べると、どこの部屋も見劣りした。
どれだけイリスは本好きなのだろうか。
ライグスが元王国軍軍団長というのにも合点がいった。妻の趣味のために図書館を作るなんて、それ相応の立場でないとできないだろう。それこそ彼のように、多くの資産を持つ者ではないと。
まあ、そんなものか。後は、メイド長とアリエル以外にも多くのメイドや執事が屋敷に住み込みで働いているのが分かったくらいだ。これまで顔も見たことがない人が大半だった。
俺の方も順調に成長している。魔法はあれ以来、風魔法しか使っていないが、その影響か、かなり精密な操作が可能になった。今では、本を空中に浮かすなんてことも簡単にできる。自慢する人がいないのが辛いな。細々としか練習できないので、一回全力で試してみたい。
そういえば、会話が恋しいと思ってから結構経った。未だ喋る方法は見つからないが、いつの間にかその思いも霧散してしまった。
慣れって怖い。
だが聞くことに関してのみなら、日本語レベルで分かるようになった。恐ろしすぎる速さだ。「完全記憶」様様だな。
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右向いて、左向いて、また右。うん、廊下には誰もいない。魔力にも反応はないから大丈夫だ。明かりの灯された廊下をゆっくりと進んでいく。
シルファはこけないように、慎重に歩く。まだ慣れてはいないのか、時々何もないところで躓きそうになる。角を曲がったところで、一際明るい光が漏れる部屋が見えてくる。中は活気で溢れているのか、大声や人の動く音が聞こえる。
もう直ぐ目的地だ。と、思った瞬間シルファは急に方向転換した。光が漏れる廊下を急いで戻り、さっきまで居た廊下へと戻る。そして息を潜める。見つかったらアウトだ、目的が達成されない。
「シルファお嬢様!…確かにここに気配を感じたのに」
アリエルだ。屋敷に来てから約半年、外見で変わったところと言えば、身長が伸びたことくらいか。後ろで一つにまとめた赤い髪は、黒い執事服によく映える。
彼女は最近ライグスと稽古をつけ始めたからか、気配の察知が上達してきた。なんで執事が護衛の為に修行をしているのかは甚だ疑問だが、こっちの世界では普通なんだろうか。執事というか、SP?従者が強ければ、最悪の事態に備えやすいからかもしれない。
確かにシルファの隣では、トラブルが多くなるのかもな。今も無断で部屋を抜け出してる訳だし。
影の中で息を潜める。どうやらアリエルは俺たちがまだ近くにいると考えたらしい。周りをキョロキョロ見渡しながら、少しずつこちらへと近づいてくる。シルファから焦りの感情が伝わってくる。このままでは見つかってしまう。
魔力で背後を探ってみる。暗くて見えにくいが、どうやら後ろの壁にシルファ一人分がギリギリ入れる窪みがあるみたいだ。だが、焦っているシルファには周りを見渡す余裕がない。
『後ろ』
気づけば、考えていた。助け船を出したいという気持ちが、自分で思っているより強かったようだ。それは、誰にも伝わらないと思っていたただの独り言だ。
だがシルファはハッとしたように後ろを見て、急いで窪みへと入った。アリエルがこちらに気付く一瞬前に滑り込む。ツカツカとアリエルの足音が通り過ぎて、そして聞こえなくなる。
『だれ?』
はっきりと俺の脳に響く。少し舌足らずだが、それでも言いたいことは十分伝わる。どうやら俺の独り言だと思っていた言葉はシルファに届いていたようだ。もしかしたら感情も双方向に伝わるかもしれない。これまでシルファの考えだけが俺に伝わると勝手に思っていたのは、俺の早とちりだったようだ。
本来なら俺は喜ぶべきだ。念願の言葉のキャッチボールがやっとできるんだから。これまでキャッチしかしてこなかった分喋りたいことは色々ある。だが、シルファの問いに続く答えが返ることはなかった。喋り返すことに、恐怖を感じる。
理由は分かっている。拒絶されることが怖い。シルファは俺と世界の唯一の繋がりだ。俺は彼女以外に自分を世界に知らしめる方法を持たない。だからこそ彼女に拒絶されれば、俺の世界はそこで終わる。魔法なんて使っても誰も気付きやしないだろう。
言葉は出なかった。
シルファは首をかしげ、興味を無くしたように目的地へとトコトコ歩いていく。既に彼女の関心は扉の奥へと注がれている。
そこは楽園だ。肉の香ばしい匂いやデザートの甘い匂いが部屋に充満し、色鮮やかな料理が視覚を楽しませる。匂いは感じられないが、ここにいたら嗅覚も喜んで戻ってきそうだ。
だが、当人達からしてみれば戦場でもある。料理人たちがせわしなく動き回り、時には怒号、時には催促の声が響き渡る。屋敷の主である、ライグス一家は僅か三人しかいないのに厨房が大忙しなのはメイドや執事が多いせいだろう。図書館の維持が大変なのだ。本はイリスが神経質なほどに大切にしているからな。
シルファは頻繁な訪問で、完璧に顔を覚えてしまったたくましいヒゲを蓄えた男性の方へと向かう。さっき怒号を飛ばしていた料理長のゴルドだ。こちらに気づくと、一瞬複雑そうな顔をした後、なんとか笑顔になり、問いかけてきた。
「これはこれは、お嬢様。今日は一体何の御用向きですかな」
一歳の子供には、まだまだ難しい単語だ。だが、回数を重ねる内に、シルファは言葉の意味を覚えつつある。彼女は無言で手を料理長の方へと差し出す。催促のポーズだ。
「お嬢様、怒られるのは私なのですが…」
シルファは有無を言わさぬ表情で、手を差し出す。
「…はぁ、わかりました。ですが一つだけですよ」
ゴルドは棚からチョコの入った袋を取り出す。シルファの最近のお気に入りだ。彼がそこから一つ彼女に手渡そうとした時…
バァン!
「シルファお嬢様!やはりここに居たのですか!やっと見つけましたよ!」
扉を勢い良く開けながらアリエルが厨房へと飛び込んできた。怒りで、束ねた髪が揺れ、二つの碧眼は静かに燃えている。
シルファとゴルドがやばいという表情をする。シルファは差し出した手をサッと戻し、ゴルドは持っていた袋をそーっとポケットに忍び込ませようとする。
抵抗虚しく、二人は連行されていく。シルファは一週間おやつ無しが言い渡され、ゴルドは罰こそ受けなかったものの、鬼メイド長による説教が行われた。ゴルドの無実を証明してあげたい。だが、シルファは繰り返す気満々なので、また怒られることになる気がする。
御愁傷様です。




