第七十四話 池での溺死
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春――。
魔法学院。
入学からしばらくが過ぎ、日常はゆっくりと形を整え始めていた。
だがその中で――
一人だけ、流れに乗れていない少女がいた。
⸻
教室。
ざわめきの中で、突然その声は響いた。
「『――勉強ばかりで、世間を知らないなんて』」
ピンク色の髪の少女。
リゼットが、まっすぐにカイゼルを見て言った。
「『真の政治家になれっこないわ!』」
空気が止まる。
カイゼルが、間の抜けた声を出した。
「……は?」
ロゼッタの目が細くなる。
「あなた」
ゆっくりと立ち上がる。
「ゲームを知っているわね」
一歩踏み出す。
「転生者?」
そのまま、カイゼルの腕に絡みつく。
「だとしても――」
はっきりと言い切った。
「カイゼルは渡さないわ」
カイゼルは完全に固まっていた。
「……ゲームのセリフなのか?」
ぽつりと呟く。
「びっくりした……」
ロゼッタは顔を寄せる。
「カイゼル」
小さく、しかし強く。
「絶対、私以外見ちゃダメ」
カイゼルの顔が一気に赤くなる。
「な、何を言ってるんだ!」
そのままロゼッタの手を引き、
半ば逃げるように教室を出ていった。
⸻
残された空気。
セリアが、ゆっくりとリゼットに視線を向ける。
「……そこのピンク色の髪の人」
静かな声。
「ゲームの追従なんて、しない方がいいですよ」
一歩近づく。
「“ライトオブクラウン”は」
わずかに目を細める。
「バッドエンドばかりのゲームです」
リゼットの瞳が揺れた。
「……え?」
セリアは淡々と続ける。
「知らないんですか?」
その一言で――
リゼットの顔色が変わる。
「……バッドエンド、ばかり?」
次の瞬間。
リゼットは、弾かれたように教室を飛び出した。
⸻
廊下を走りながら。
リゼットの頭の中は、ぐるぐると回っていた。
(そんなの……聞いてない)
同人誌。
綺麗な絵。
幸せそうな結末。
そればかりを集めていた。
(……本家)
やっていない。
見てもいない。
実況動画すら――
(……見てない。知らない)
足が止まりそうになる。
だが、止まれない。
⸻
その日。
リゼットは、動いた。
⸻
中庭。
最初に声をかけたのは――
エヴァルトだった。
「『――本当の愛って、分かりますか?』」
震える声を抑えながら言う。
「『教科書にも、載っていません』」
エヴァルトが、ゆっくりと振り向いた。
「……興味深い」
その目は、まるで研究対象を見るようだった。
次の瞬間。
赤い手袋の手が、リゼットの腕を掴む。
「え?」
魔力が――抜かれる。
「何処のスパイだ?」
低い声。
「答えろ」
握る力が強まる。
「でなければ――魔力の枯渇で死ぬぞ」
リゼットの背筋が凍る。
「っ……!」
必死に腕を振り払う。
手袋がズレた。
隙間ができた。
そのまま、逃げた。
走りながら、理解する。
(……やばい)
息が乱れる。
(エヴァルト、やばい)
ゲームと違う。
いや――
ゲーム通りなのかもしれない。
⸻
次に声をかけたのは――
ディルクだった。
「『あなたの献身的な忠誠は、皆が認めています』」
必死に言葉を繋ぐ。
「『でも、あなた個人の気持ちは――』」
ディルクは、途中で言葉を切った。
「……君か」
冷静な声。
「カイゼルにちょっかいをかけたピンク髪」
リゼットの体が固まる。
「ロゼッタが泣いていたぞ」
その一言が、重く落ちる。
「……え?」
ディルクはため息をついた。
「今は時期が悪い」
静かに言う。
「国王派、女王派、中立派――全部が不安定だ」
視線を外す。
「引っ掻き回すのはやめてくれ」
それだけ言って、去っていった。
(……違う)
リゼットの中で、何かが崩れていく。
(こんなの……違う)
⸻
最後に。
リゼットは、ゲームに出てこない男を選んだ。
レオニード。
「……あの」
声が震える。
「お友達に、なりたくて……」
レオニードは一瞬だけ考えた。
「難しいな」
あっさりと言う。
「港湾伯爵は国王派だろう?」
軽く肩をすくめる。
「まあ、気にはかけておくよ」
それだけだった。
だが――
周囲の視線が突き刺さる。
女王派の取り巻きたち。
露骨な敵意。
リゼットは、逃げた。
⸻
気がつけば――
裏庭。
池のそば。
(……どうすればいいの)
その瞬間。
水面が、揺れた。
次の瞬間――
水柱が立ち上がる。
「え?」
足が、引かれる。
「きゃっ――!」
水の中へ。
⸻
その様子を。
セリアとロゼッタは、見ていた。
ゲームのイジメで池で溺死があったので、
見張っていたのだ。
「……来た」
ロゼッタが呟く。
「今、助けるわ」
バングルを外す。
水が、逆流する。
池の流れが歪む。
リゼットの体が、水面へと引き上げられる。
⸻
セリアがすぐに駆け寄る。
光が、包む。
「吐いてください」
胸を押す。
「っ……げほっ!」
水を吐き出す。
呼吸が戻る。
「……大丈夫ですか」
リゼットは、震えながら頷いた。
「……だいじょうぶ……」
ロゼッタが見下ろす。
「ゲームに詳しくなさそうね」
冷静な声だった。
「再現はやめた方がいいわよ」
セリアも続ける。
「すぐ、バッドエンドになります」
リゼットは、必死に言った。
「……私は」
震える声。
「誰かを攻略しないといけないの」
ロゼッタは、少しだけ目を細めた。
「そう」
一歩引く。
「私は忠告したわ」
そして、背を向ける。
「もう助けないから」
歩き出す。
「行きましょう、セリア」
セリアは、一瞬だけリゼットを見る。
「……はい」
そのまま、後を追った。
⸻
一人残されたリゼット。
ずぶ濡れのまま。
その場に崩れ落ちる。
「……っ……」
声にならない。
涙だけが、溢れてくる。
(帰れない)
(どうすればいいの)
春の空は、変わらず明るかった。
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