引っ越し
高認の申し込みも終え、九月に入ると、引っ越し前の引き渡し。
うん。図面通り。冷蔵庫を置くスペースも二台分。リビングダイニングが広いので、エアコンはオフィスにあるような天井に埋め込まれたタイプ。基本は冷房にしか使わない。冬は床暖だ。
実家をコレにしたら、これ以外は考えられなくなった。室温自体は低くても、足下が冷えないから体感は暖かなのだ。
既にリフォームを終えている離れもそうで、義両親にも好評。お義母さんなんかは、廊下とトイレも床暖にしたかったと。確かに、ヒートショックの危険は減るだろうけど、光熱費が大変だよ。
慶一さんは小上がりの畳エリアを推していたけど……、床暖の快適さを知ったらまず使わない。一応、隣接する掘りごたつの和室はあるけど、多分無駄になりそうだ。
テレビは、とりあえず六十五型のを。慶一さんはもっと大きいのをと言っていたけど、そこまで欲しいならプロジェクターを使えばいい。壁紙を白にしたのはそれが目的なんだから。
ハウスメーカーの設計士は、テクスチャ感のある壁に間接照明を推していたけど、そもそもテレビを上から照らす意味が解らないし。
作り付けのローボード内には電源、ネットワーク、リアスピーカ用バナナプラグ差し込み口も。ここから天井裏を通って、背面の壁の差し込み口からリアスピーカへ。
七・一は無理だけど、五・一で聴ける。これは寝室も同様で、リビングと寝室はホームシアターとして使えるのだ。
早速、オーディオ類をセッティングする。アンプは音ゲーのために低遅延を求めた選択だ。音質はのぺっとして安っぽいというか、プラスチック感があるけど、これは改めてスピーカを買い直せば十分だろう。
とりあえず調整をする。うーんセンターが弱いかな?
「女性なのに、そういうのをパッパと繋げられるんですね」
ハウスメーカーの営業担当が感心する。でも、一歩間違うと女性差別と受け取る人が出かねない発言だ。
「かわいさアピールで出来ないフリをする女子も居ますけどね。
このぐらいは説明書を読めば誰でも。でなきゃ、スマホなんて使いこなせないですよ」
「そう言われれば、そうですね」
「あ、慶一さん。ウーファは斜めのままで。その方が、音が干渉しなくていいんです」
「詳しいね」
「高校の物理です。定常波と波の干渉の話、憶えてませんか?」
「習ったけど、憶えてない」
「勉強は試験のためだけじゃないんですよ。ちゃんと生活に活かさないと。中等教育の理科社会は、意外と使える知識が多いんです」
「そ、そうか」
児童館と攻守所を変える。
全く。日本の教育は、特に中等教育はレベルが高いのに。生活に直接役立つ知識が多いんですから。
とりあえず、オーディオにテレビとHDDレコーダ、パソコン、なぜかツヤツヤなままのPS3――しかも最初期のPS2互換機能付き――をつなぐ。時代はPS5なのに。
『私』も同じの持ってたけどね。
ローボード横の棚にソフトを並べる。
ソフトを見ると、PS3用はほとんど無い。BD視聴用に買ったのだろう。PS2も出た頃はDVD用にって人も多かったそうだ。どちらも、作動音が大きいことを除けば、プレーヤとしての性能は高かったし。
PS2用ソフトは、案外『私』のと被りが多い。
『Rez』とか『リングオブレッド』とか、隠れた佳作が目立つ。ワゴンセールで一山幾らなのがもったいない作品だ。あ、『攻殻機動隊』もある。これは『私』もやり込んだ。
お、『はじめの一歩』の続編だ。これ、一作目しかしてないけど、結構リアリティがあった。と言っても、対COM戦はダッキングしてボディに左右の連打をしていれば、楽勝だったけど。今度、やってみよう。
ここに『私』のDVD持ってきたら変だろうなぁ。どう考えても似合わなさそうだし。
翌週末の連休は引っ越しだ。慶一さんが会社のトラックを持ってくる。普通免許だからか、積載は一トン半だ。
冷蔵庫や洗濯機はマンションに置いていくけど、それ以外は持ち帰る。まずはベビー用品や大型白物家電を積み込む。私も協力して持つけど、慶一さんの腕力がすごい。男女の差を改めて実感する。
私が当て布の上から荷物をロープで縛ると、慶一さんが感心する。それもそうだ。こういうロープの使い方は、大工さんや運送屋さんでもないと日常的には使わない。
慶一さんが「ガールスカウトの経験でも?」と訊くが、とりあえず『父』に教わったと応えておく。
結局、トラックの荷台は六割強。とは言え、私のワゴンや慶一さんのセダンじゃ積みきれない分量だ。
家につき、レンジや電気釜を布巾で拭いて並べる。食器は一旦食洗機で洗う。平行して、鍋やまな板、包丁といった調理具を手洗いする。今日はともかく、明日からは毎日使う道具だ。
その日は引っ越しで終わったので、夕食はオードブルと蕎麦。優乃はいつものように母乳とミルク。でも、優乃は哺乳瓶よりも直接が好きだ。やっぱり、抱っこされながらの方がプレミアム感を感じるのだろう。
忘れてた! 引っ越しを機に離乳食を始めるんだった。
授乳を終えた私は、二合炊きの釜でお粥の段取りをする。このために買ってきた早場米を研いだ。
翌朝は離乳食開始! 初めて液体じゃないものを口にする優乃を撮ろうと、慶一さんはカメラを準備する。親馬鹿だ。
初めは上澄みの重湯を大さじに一杯ほど小鉢に取る。小鉢が冷えているから、重湯はすぐに冷める。それを匙でひとすくいし、口元に近づけるが、口を開かない。
「ほら、あーん」
「あーん」
夫婦揃って「あーん」を連発するが、優乃は口を閉じたまま。
仕方がないので、下唇に少し重湯をつけると、ペロッ。
その瞬間、目を見開く。視線が匙の先に向かう。
今度は匙を近づけると、口を大きく開ける。口元に持って行くとパクリ。匙をチュウチュウと吸う。口から引き抜くと、名残惜しそうに匙を見つめる。
もうひと掬い。
匙を近づけると今度はツバメのヒナのように口を開ける。なんとも愛らしい。本当はこの表情をもっと見たいけど、今日はこの辺にしておく。少しずつだ。
上澄みを取るために作ったお粥は、私のご飯。
本当は鶏と昆布の出汁でとかが美味しいんだけど、優乃に出汁はまだ早い。から煎りした出汁がらふりかけで食べる。でもこれ、ミリンと醤油をかなり使うので、塩分に注意だ。
慶一さんも「新米だから塩だけでも美味い」と言う。この人は米が好きだ。そう言えば、焼酎も麦や芋でなく米だ。
こうして、新しい生活が始まった。




