第46話 霞漂う空の園
あれからは、長い時間を過ごした。泣いた回数も、血を吐いた回数も数えられない。それでも、こうして青い葉を見上げることができるのは、私が少しは成長した証だろうか。
「春奈さん!」
「……凛ちゃん、久しぶり」
公園のベンチに座っていると、視界の隅から凛ちゃんが一人やって来た。空はどこまでも綺麗な快晴、これほど心地良い日に、友人と会えるのは嬉しいものだ。……快晴とは言っても、今やもう、ほんのり霞んで見えるのだが。
「今日は古澤くんは、一緒じゃないんだね?」
「はい。久しぶりに、春奈さんとデートでもしたいなって」
「ふふ、嬉しいな」
そう言って笑う彼女の顔はどこまでも明るく、そして眩しい。あの事故から、彼女と古澤くんは私を心配してよく声をかけてくれるようになった。……前から話す機会も多かったのだが、それ以上に。彼らの傷も浅くはなかろうに、本当にありがたかった。
「そうそう、私ね、全国大会行ったんですよ!」
「あぁ、そういえばそう言ってたね! どうだったの?」
「いやぁ、運良くいったみたいなもので、全然勝てませんでしたけど。ほら、見てください」
彼女はずいっと私との距離を詰め、スマホの画面を突き出した。大きなコートに、溢れんばかりの人の姿。東京かどこか……都会の方だろうか。中には彼女が、それはもう嬉しそうに笑っている写真もあった。
「……ふふっ、楽しそう。強かった?」
「とんでもなく! 相手になりませんでしたよ」
そう話す彼女は、どこか遠くを見るようで、当時に底知れぬ喜びを抱いているような。そんな様子に、私も自然と穏やかな気持ちになる。
「優希さんにも見せてあげたかったなって……。あっ! す、すみません、私……」
「いや、いいよ。そう思ってあげた方が、たぶん彼も喜ぶだろうし」
あの日の傷が癒えたというわけではない。乗り越えた、と一言で言えるわけでもない。ただ何というか……受け入れられたのかな。時間が癒してくれるとは言うけれど、まさにその通りで。
「武士さんは、大学で上手くやってるそうです。教授が面倒くさいって、よく言ってるけど」
「ははっ、古澤くんらしいや」
高校の卒業式以来、会う頻度はぐっと減ったが、それでも彼は時折り、私を心配して連絡をくれることはあった。それでも、他者を介して近況を知るというのも悪くはない。ただ思い返せば、やはり懐かしい顔が浮かび、それだけで胸が締まる。
「……春奈さんは、最近どうですか? その、近況もそうですけど、身体の方とか……」
「良いとは言えないかな。病院に行く頻度も増えたし。……でも、一時期よりは安定してるよ? ほら、あの後すぐは不安定だったから」
「そうですか……。良かった、のかな?」
「うん、良かった」
試しに右手を握ってみる。力を込めようとすると小刻みに震え、思うようには力が入らない。それでも、気分は想像以上に悪くない。もちろん、たまにひどく寒く感じたりすることはあるけれど、もうそれは仕方のないことだ。
「ね、春奈さん。アレ、見せてくださいよ!」
「えっ、は、恥ずかしいよ。まだまだ……」
「そんなこと言っちゃってー。いつかは見せてくれるんだからいいじゃないですか。それにどうせ、その鞄に入ってるんでしょ?」
「そ、それは、もしかしたら外でインスピレーションを受け取れるかなって……」
ああだこうだと言い訳を連ねても、結局凛ちゃんの真っ直ぐな視線に負けてしまった。渋々と鞄の中からそれを取り出し、手渡す。確かに、心のどこかでは見せたいなという気持ちがあったというのは否定できない。でも、もう少し心の準備も欲しかったというか……。
「わぁっ! 凄いじゃないですか! 私だったらこんなに……できないですよ」
「ありがとう……。でも、矢田くんと比べたら全然……」
「良いじゃないですか。それも春奈さんの良さでしょ? 良いじゃないですか。……私はその方が、好きですよ」
「……ありがと」
熱くなった顔を隠すように、少し俯く。それでも耳まで赤くなっているのは隠せていないだろう。ムズムズするような熱が居心地悪く、心地良い。
「ありがとうございます。良いと思いますよ、お世辞抜きに。……もちろん、私はあまり、良し悪しなんて分かりませんが」
「うん、そっか。……いいんだよ、凛ちゃん達が良いって言ってくれるなら、それでいいの」
彼女から返してもらい、それを大切に奥に仕舞う。ふと、指先に触れたものがあった。健康祈願の御守り……世話ないよ。先に死んじゃって……まったくさ。君は一体、どんな顔して待ってるんだよ。
「……あっ、ごめんね! なんか私ワールドに入ってた。ちょっとお散歩しよ?」
「なんですか、私ワールドって。散歩はいいですけど、お身体の方は?」
「大丈夫だよ。ゆっくり散歩してたらそんなに疲れないから」
たまにこうして、耽ってしまうのは私の悪い癖だ。一人のときならまだしも、誰かといるときにこうなってしまうのは直したい。
「じゃあ、行きましょう。疲れたら、私の手をお貸ししますね」
「うん、よろしくね」
それからまたしばらく、私は彼女と公園を散歩していた。すぐに息が上がったけれど、それが生を実感させる。その後の入院生活を思えば、余計に贅沢な苦痛だったなと、心の底からそう思えた。




