第38話 冬が降る
「じゃあ僕はエスプレッソと……」
「わ、大人」
「ホイップパンケーキで」
「おぉ、可愛いね」
私の注文に対するコメントがいちいち語彙を失っているが、まぁ良しとしよう。私はメニュー表を閉じ、彼女に視線を向けた。
「じゃあ私は、カプチーノと……ショコラケーキをお願いします」
かしこまりました、と、注文を受けた店員さんは厨房へと向かった。店内は外気とは遮断され、レトロな音楽をBGMに、穏やかに昼寝でもしているようだ。ふと外に視線を向けると、空が少し澱んでいるのが見えた。曇った窓が視界を悪くする。
「……今日って雨の予報だっけ?」
「んん? いや、そうは言ってなかったんだけどなぁ。もしかしたら曇るかもとは言ってたけど」
悩むような口調で、彼女はそう言った。天気予報が外れることも、そう珍しい話ではない。せめて外出時は当たっていてくれとは思うけれど、そうならないのもよくある話。
「折り畳み傘、持ってる?」
「持ってきてない」
「参ったね。降らないことを祈るか」
ただこの空で、降らないというのも難しい話だろう。小雨だったらいいのだが、どうなることか。今日は早々に帰るかな。
「お待たせしました」
「あぁ、ありがとうございます」
そんな雑談をしている内に、注文の品はテーブルにやって来た。クリームやチョコの甘い香りに、コーヒーの芳ばしさ。いかにもな組み合わせではあるが、結局王道が一番だろう。
「わっ、美味しい! 安いのにいいね」
「確かに。甘ったるくない、上品な感じだ」
駅近の店よりも二割か三割ほど安いだろうか。味は遜色ないし、なかなか良い店を当てたようだ。ただ少し距離があるから、通えるような場所でもないのが悲しいな。自転車なら苦労もないか。ただそんな熱量があるかと問われれば……。
「やっぱりさ、こういうのはたまにだから良いみたいなのはあるよね」
「まぁ非日常だから楽しめるもんね。……いや、日常でも楽しめるな」
そう言いながら、彼女はどこまでも朗らかな顔でショコラケーキをパクッと食べた。あむっとでも、もぐっとでもなく、パクッとだ。小動物でも見ているような気分になる。
「……ん? あっ! 見て見て、矢田くん!」
「え、何を……おっ」
彼女の指差す方向、窓の向こう。先ほどまで曇って見えた外の空気は、少しずつ白く変わっていた。空から綿菓子のような柔らかなそれが、シンシンと降ってきていた。
「雪見るの久しぶりだね。積もるかな?」
「さぁ……どうだろ。流石に積もらないんじゃない?」
雪にはしゃぐような年齢でもないのだが、感動とでも言うのだろうか。白い粒が降る様には、妙に心が浮いてしまう。例えば雪だるまや雪兎……雪遊びには色々あるだろうが、そういう景色は好きだ。寒さに震えるために雪を掴むようなことはしないけれど。
「雪景色、見たいなぁ」
「……積もるといいね」
そう呟きながら、パンケーキを一切れ食べる。雪山には……私は連れて行けないな。家族との旅行ならば行けるだろうが、たぶん、彼女が見たい雪景色というものはそうではない。
空気の凍えは強くなり、コーヒーの苦さ、そして熱さは余計に私の芯に沁みた。店内の暖かさが心地良い。
「……雪の結晶ってさ、綺麗だよね」
「分かる。なんて言うか……幻想的だよね」
子供の頃は、図鑑などでよく見ていた覚えがある。空から降る雪を手のひらに乗せて、目を輝かせながら目を凝らした。それでもすぐに溶けて、結局、綺麗な形の現物を見たことはないのだけれど、だからこそだろうか。そこにロマンを感じたのは。
「天然なのに幾何学的な形なのって不思議だよね」
「逆に、幾何学的っていうのがそもそも天然そのものなのかもよ」
効率的な形が幾何学的なら、自然のものがそうなるのも分からなくはない。それを不思議だとも思うけれど。……どうこう言っても結局、私も何も分からないのだが。
「深いなぁ……」
「それっぽいだけじゃない?」
朝倉さんは謎に感銘を受けたような顔をしているが、何が解決したでもない。何を考えても目の前の景色が良ければそれで良し。なんて、元も子もない結論が私なりの答えだ。
「はぁー、美味しかった。ご馳走様」
「ほんと、美味しかったね。またいつか来たいな」
実のない雑談をしている間に、皿の上は綺麗になっていた。残ったコーヒーの香りを楽しみながら、一口、飲み干した。甘かったが、そう重くない。……そう思うのは、私が甘い物好きだからだろうか。
「今日は、私の分は私が出すからね。どうせ奢らせてくれないんでしょ?」
「……そりゃあおやつくらいしか奢ってもらわないけど」
一人あたり2000円弱、奢らせるわけがない。が、それは彼女にとっても同じなのだろう。そんなだからこそ、何かと私が奢るようなことはそうそうない。
「わっ、寒ーい! ……ちょっと積もってんね!」
「あぁー……寒。……寒っ!」
「ははっ、めっちゃ震えてんじゃん」
喉を焼くような冷気。皮膚を削るような風。そして足元には薄い白のカーペット。言うまでもなく寒いのだが、この高揚の前では案外、凍えるほどのものでもない。




