第35話 こだわり
「おっ、矢田くん! 明けましておめでとう、今年もよろしくねっ!」
あまりにも清々しい、第一声はそれだった。それはまだ朝の湿った空気が残る、今年最初の出会い。……なんて、それっぽいことを言っても、特に変わったことはない。
「おはよう、朝倉さん。僕の方こそ、よろしくお願いします」
恭しく頭を下げ、そのまま視線を交差させた。古澤と花井さんはまだ来ていない。とは言っても、もう数分したら到着するだろう。
「そうだ、年越しそば、食べた?」
「一応ね。せっかくだしってことで、カップそば買って食べたよ」
「いいじゃん! 私はねぇ、年越しうどんを食べたよ」
具が入ってないうどんでね、なんて、あまりにも平和な話が続いていた。元旦の寒さも和らぐような、起伏のない会話。そんな会話が心地良いのだが。
「そうそう、ちゃんとアレは使ってるの?」
「毎日使ってるよ、ありがたくね。……高かったでしょ?」
「まぁまぁね。そんなことはどーだっていいでしょ!」
バチンと背中を叩く力は、朝から衰えを知らなかった。クリスマスに手渡されたあの包装箱、中身は綺麗な万年筆だった。それなりに高いだろうに、たぶん、自分がいなくなっても忘れないで、なんて意味も込めて……。それをどうして、高いのだからという理由で断ることができようか。
「初詣ってなんか特別な気分になるよね。私、結構好きなんだ、年明けのこの感じ」
「……僕も好きだよ。静かに祝う、のんびりする感じが」
クリスマスの、盛大に盛り上がる雰囲気とは全く違う。つい一週間前まではどこもかしこもイルミネーションで飾っていたというのに……。それが良さでもあり、おかしさでもあるだろう。
「あ、おーい。2人ともー! あけおめー!」
「久しぶりです、春奈さん、優希さん」
ふと、背後の声に振り返る。やって来たのは、言うまでもなく古澤と花井さんの2人組だ。彼らもまた分厚い服に身を包み、白い息を吐き出している。
「久しいね。えっと、花井さんは文化祭以来だね」
「はい! 武士さんとはたまに会ってたんですが」
自然と出たであろう言葉に、少しの驚きと、安堵だろうか。友達がちゃんと、楽しく過ごしているのだと……なんてことを思うような柄でもないのだが。
「さぁ、集まったんだし行こう! 初詣のお参りにさ」
階段を一歩ずつ踏み締めるその様は、苦しいだろうに、疲れを見せようとはしない。それは意地であり、強がりであり……同時にこだわりでもあるのだろう。伸ばしたい手をぐっと堪えた。
「ねぇ、優希さん」
「うん? どうかした?」
ちょんちょんと、花井さんが私の服を、控えめに後ろから突っついた。気にせず階段を上る朝倉さんと、ついでの古澤を見守りながら、一歩停滞する。
「私、春奈さんとは割と連絡を取ってて。ちょっとずつ、実感が湧いてきたんです。春奈さんの病気が……って。嫌だけど、私には何もできなくて、難しくて」
彼女の言葉を、私は黙って聞いていた。無理もないだろう。私だって詳しく知ってからもう数ヶ月で一年が経つが、それでも未だ、信じたいものではない。性格の冷めている私であっても。でもそれは、そう思っているのは、私だけじゃないだろうから……。
「だから私ね、決めたんです。春奈さんの分まで、いっぱい生きて、いっぱい頑張って……テニスは全国大会にも行くって。あの人が見てくれる間に、その景色を送ってあげたい」
「へぇ、そりゃあまた……」
凄いなと、そう思った。その結論を出すこと自体は、あるいは簡単かもしれない。だが、花井さんが朝倉さんのことを想って、そして悩んだ結果の答えだ。その重さは、私には計り知れない。
「……はは、分かってはいますよ。だからって、春奈さんがどうにかなるわけじゃない。結局は、私の自己満だって。それでも、私にできる……私にしかできない背負い方って、こういうことなのかなって」
「朝倉さんは優しいからね。笑って応援してくれるよ」
どこか遠い視線を、階段の向こう側に向けた。前に聞いた話では、朝倉さんは別に、テニスそのものが好きというわけではない。が、テニスという競技で花井さんと戦っていた以上、それは嬉しいものだろう。特に、彼女の性格を考えれば。
「……優希さんは強いですね」
「そんなこと‥…いや、そうかもね。朝倉さんが、僕のことを強くしてくれたから」
私が強いと言うならば、それは間違いなく彼女に触発されてのことだ。ならば私には、それを否定することはできない。……殊勝な心掛けがあるでもないのだが、それは何となく、意地か礼儀か……あるいはこだわりだろうか。
「はぁ、はぁ……おーい、2人とも、遅いよー!」
まさにちょうどそのタイミング、階段を終えた朝倉さんが、私達のことを見下ろしていた。日光を背に……しているわけでもないのだが、明るい空を背景にした姿はなかなかどうして輝かしい。
「今行くから、ちょっと待ってて」
返事をしながら、筋肉痛になりかけている足を動かした。今更後悔するのは遅いだろうが、こうも来るならもう少し慎重になれば良かったと。……なんて弱音も、彼女の前では吐けないな。




