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7.鞭打ち

この世界では名乗る時、母親側の血筋が優先されますが、公平であるべき長や、さばき司、神職などの役割の者が公的な場で呼び掛ける場合、自分の子に対しては父親、もしくは祖母の血筋の子として呼びかけます。自分の子であっても、他の村人と同じく、公平に対するという姿勢をたもつ為です。

 ラニ・ムーは苛立っていた。何もかもが気に入らない。

 なぜ。なぜ。なぜ。

 なぜ、長の第一の夫の子、長子である自分を差し置いて、第二の夫の子風情ふぜいが長の杖を運ぶ。

 それが後継者に選ばれる。

 しかも、ラッタまで逆らう。水晶花のかけらを自分に寄越そうとしない。この強欲者ごうよくものたちが。

 美しいもの、価値のあるものは、血筋の正しい者に捧げられるのが当然のはず。このラッタはそれに逆らって、自分のものにしようとしている。

 そうして、メル。ラッタ出身のくせをして。

 いつもいつも。あたしより目立つ場所に立つ。

 血筋の定かではない、はるかに劣る存在であるくせに!


「身分に相応しく、はいつくばっていれば良いものを……!」


 ラニは隣にいる二人を睨んだ。血筋正しい自分に逆らうという罪を犯した、卑しいイルとメル・ムーを。それからケナ・ムーを睨み据えた。長子である自分の権威に挑戦しようとする、劣った存在であるはずの異父妹を。

 正しきは自分。

 許せるはずがない。




「ハイ・コの子はいまだ成人ではなく、正式な村の一員ではない。それゆえこの裁きの場にて、後見を立てる。その者はハイ・コの子の言葉に責任を持ち、行動に責任を持つ。そうして裁きがどのようなものであっても、これにも責任を持つ。

 メル・ムー。その責任を引き受けるか」

「はい」


 長に問われ、メルはうなずいた。


「ハイ・コの子、イルの後見をつとめよ」

「メル……」


 イルは、転がっていた籠に水晶花のかけらを入れ直し、胸に抱えた。手に持っていては、壊しそうだと思ったのだ。持ち手がなくなっていたので、両手でしっかりと抱え込む。取り上げられないように。すると、憎々しげな眼差しをラニから注がれた。

 後見、という言葉の意味はわからなかった。長の言葉に不安になって、小さな声で名を呼ぶと、メルは妹分に大丈夫だとうなずいて見せた。


「メイ・マの子メルはこの場において、ハイ・コの子イルの後見をつとめます」


 静かに彼女は言った。

 カン・マは再び、杖を地面に降ろした。どん、という音がした。


「長の杖は公平である事を示すもの。長の杖は太陽ロハイ大地リーア・カの間に立つもの。そうして長の杖は、|大いなる父ロハイ(ダル・コー=ロハイ)の恵みと、|麗しき母リーア(ケン・マー=リーア)の力により、長が長たることを示すもの。ゆえにこの杖の前で、偽りを述べることは許されぬ。

 さて。では聞こうか。そもそも、いさかいの原因は何なのだ。偽りなく述べよ、ソル・コの娘ラニ」

「そのラッタが、わたくしのものを盗んだのです」


 ラニは言った。きっぱりとした口調だった。彼女の中ではそれは、真理となっていた。自分にこそ権利のあるものを、強情を張って渡さないのは、盗みと同じ。許しがたい罪だ。彼らは罪深い存在だ。ラッタも、ラッタの味方をするメルも、長子の権利を出し抜いて手に入れようとしているケナも。

 だからこそ、発言にためらいはなかった。自分は正しい。正しい事を言っているのに、なにをためらう事があるだろうか。


「わたくしに権利のあるものを、早く戻していただきとうございます」


 堂々として発言する姿は、誰の目にも、それなりに感銘を与えた。ラニは姿も美しく、言葉づかいもきちんとしている。それらが相まって、正しいことを言っているように見えた。


「あたしは、盗んでなんか!」


 対してイルは、ぼろぼろの衣服に汚れた姿、言葉づかいも乱暴で、盗みをすると陰口を叩かれるラッタである。何を言っても悪事を働いているようにしか見られない。周囲のイルを見る目は冷やかで、早くこの子どもに罰が与えられないかと期待している者までいた。


「騒ぐな。発言を許されるまで口を閉じていよ」


 カン・マが厳しい口調で言った。


「でも、あたしは盗みなんか!」


 ラニのまなざしも、態度も、蔑みに満ちていた。自分への蔑み、大切なメルへの蔑み。

 村人からのひそひそ声と、冷やかなまなざし。

 嫌だった。

 もう、嫌だった。

 

「ラニは嘘つきだ! 嘘ばっかり! 人のものを盗んでばかりはラニの方じゃないか! みんな知ってるくせに!」

「わたしは騒ぐなと言った。長の言葉に従えないのか」

「嫌よ! 黙らない! あたしは盗んでない! 盗んでない!」


 負けてなるものか。その一心でカン・マを睨み、吠えるように叫ぶ。叫ばねば、誰にもこの声は届かない。誰も自分の言うことなど聞いてはくれない。今までの経験から、イルはそう思った。だから叫んだ。


「悪いのはラニだ! あたしは盗んでない! 盗んでない!」


 長が顔をしかめた。メルがイルの腕をつかむと、自分の方に引き寄せた。


「イル、静かにしなさい! 今は裁きの時。長の言葉を聞いて。あの方の言うことに従うのよ!」


 厳しい声で言った。イルは、メルにまでそう言われて、裏切られたと言わんばかりの顔になった。


「嫌よ! だってメル……、だって!」


 そう叫ぶと、ラニが笑った。


「愚かなラッタ。村の決まりも守ろうとしない。罪深きは明らか。裁くまでもないのでは?」


 聞こえよがしに言われたことに、頭に血が登る。うなり声を上げてイルは、ラニに飛び掛かろうと身構えた。そこを、ぐっと腕を捕まれて止められる。


「放してよ、メル! あいつをぶん殴ってやる!」

「静かにしろと言ってる、イル! ここは裁きの場なのよ!」


「そんなの関係ないっ! 知るもんか! どうせラッタが悪いって、ぶたれるだけなんだから! 放せ! 放してよ、メル!」


 どん! と音を立て、長の杖が大地に突き立てられた。


「静まれ、愚か者よ!」


 カン・マが大音量で叫んだ。びりびりと、大気が震えた。彼女の顔にははっきりと、怒りの表情があった。背を伸ばして立つ全身から、凄まじい気迫があふれ出している。持っているのは杖であるのに、抜き身の剣を持ち、戦いの場にいるかのようだ。それほどに凄まじい気迫だった。それがその場にいる者、全てを圧していた。


「メル・ムー。前に出よ」


 静かになったその場に、長の声が響く。鋼のような声だった。はっ、と顔を上げて、メルはイルを置いて前に進み出た。


「おまえが庇護するその者は、長に従うつもりがないのか」

「いいえ、長。幼くて混乱しているだけです。どうかこのまま、この場にて裁いていただきとう存じます」

「警告はした。にも関わらず、騒ぎ続ける。幼いとは言え、分別すら持たぬのか」


 長の言葉は厳しかった。イルは慌てた。なんだか良くわからないが、自分のせいでメルが叱られている。


「メルは悪くない! 叱るならあたしにしてよ!」


 メルに駆け寄って叫ぶとカン・マは、じろりとイルを見やり、メルは肩を落とした。なに?


「分別のないにもほどがある。愚かな子どもよ。この場は裁きの場。成人した者が立つ場所。半人前のおまえは本来、ここに立つ事も許されぬ。だがメル・ムーが後見を申し出たゆえ、わたしはおまえがここに立つ事を許した」


 鞭のような声音でカン・マは言った。


「であるのに、おまえはわが言葉に従わず、この場が何であるかも知ろうとせず、杖に対しても敬意を払わず、自分の思いのままに振る舞う。

 愚か者。愚かな子ども。

 後見とは、単に側にいるだけの役割ではない。おまえの発言、おまえの行動、その全てに責任を持ち、おまえが悪さをした時には、その罪を自分のものとして引き受ける覚悟をしたと言うこと。

 であると言うのにおまえは、騒ぎ続ける事でこの者のその覚悟を足蹴にし、さらに悪い立場に追い落とそうとし続けている。わたしの許しなく発言を繰り返し、おのが要求を言い続ける、裁きの場であろうとなかろうと決まりを守ろうとしない。その態度がどのような結果を生むか、その目で見るが良い。

 ケナ・ムー! 鞭を持て!」


 ケナ・ムーの顔が引きつって青ざめた。しかし彼女はすぐに、鞭を持って来ると、長の前に立った。カン・マはメルに目をやった。


「メル・ムー。その愚かな子どもの後見を引き受けたこと、撤回する気はないか」


 カン・マの言葉にメルは、静かに答えた。


「撤回する気はございません」

「では、その愚かな子どもに代わり、罰を受けよ。その子どもは裁きの場にて騒ぎ立て、長の言葉に従わずに反抗をした」

「はい」


 鞭。


「ぶたれるのなんか、慣れてる。あたしは黙らない!」


 叫ぶと長は、冷たい目でイルを見た。


「愚か者。わたしの言ったことがわからぬか。打たれるは、おまえではない。おまえの後見であるメル・ムーだ」


 愕然となった。


「どうして……どうしてメルが! 騒いだのはあたしじゃない!」


 イルが叫ぶと、メルが振り返った。


「静かにしなさい。裁きの場にて後見をするとは、こういう事。長は正しい。おまえは黙って見ていなさい」


 厳しい声音に、イルは黙った。ラニが嘲るような笑い声を上げた。


「分別のない、愚かなラッタに味方などするから」


 イルは唇を噛みしめた。怒りがぐらぐらと沸いた。


「手を出せ、メル・ムー。両手だ。長の言葉を三度無視し、騒いだその愚か者の代わりに、鞭を受けよ」

「はい」

「メル! メルが打たれる事なんてない!」


 悲鳴のように叫ぶイルに、メルは「黙っていなさい!」と叱りつけた。少し青ざめてはいたが、背をまっすぐに伸ばし、両手を前に差し出す。


「長! ひどい! 打つならあたしを打ってよ!」

「ケナ・ムー。メルの手を打て。まずは三度。その愚か者が長の言葉を無視した回数分だ」


 カン・マが言った。


「その後は、その子どもが騒ぐたびに回数を増やせ」


 イルは、喉の奥で悲鳴を上げた。慌てて手で口を覆う。ケナ・ムーが鞭を振り上げ、ためらうようにそこで止まる。


「打ちなさい、ケナ・ムー。イルには、自分のした事の結果を見せねばならない」


 メルは静かに言った。


「メル……」

「打ちなさい。これはこの場では正しいこと」


 イルは真っ青になった。何がなんだかわからない。けれど、自分のした事でメルが打たれる羽目になった。それだけはわかった。


「ケナ……、ケナ! メルを打たないで!」


 ケナ・ムーに走り寄り、すがって叫ぶと、カン・マが誰かに合図した。駆け寄ってきた誰かが、イルをケナから引き離した。


「離してよ! ケナ! やめてよ! メルを……」

「ケナ。五度打て。その愚か者がさらに騒いだ回数分だ」

「はい」


 青ざめた顔で、ケナがうなずく。鞭を振り上げ、メルの手を打った。びしり! という音が響く。


「メル! ケナ、やめて! やめてよっ!」


 叫ぶイルに、カン・マが言った。


「さらに騒いだ。六度打て」


 イルが青ざめ、立ちすくむと、耳元でくくく、と笑い声が聞こえた。


「良い気味だ、薄汚いラッタが。おまえ、もっと騒げ。取り澄ました顔のあの娘が、打たれる回数を増やしてやれよ」


 イルは、唇を噛みしめた。そうだ。自分が騒げば騒ぐほど、打つ回数を増やすと長は言っていた。

 では、自分に今できる事は。

 目が熱い。悔しい。泣きたい。叫びたい。でもできない。メルのために、叫ぶことは我慢せねば。

 イルは拳を握ると、自分の手に噛み付いた。叫ばない。叫ぶものか。

 これ以上、メルを打たせたりするものか。


 びしり!


 鞭がメルの手に、赤い筋を作る。ケナ・ムーは顔を歪め、泣きそうな顔でメルの手を打っていた。


 びしり!


 メルは背筋を伸ばしている。青ざめてはいるが、その背は揺るぎなく、伸ばした両手が下がる事もない。顔だけを見ていれば、罰を受けているのはメルではなく、ケナのようだ。


 びしり! 


 水晶花のかけらが入った籠が、地面に転がっている。さっき、落としてしまったのだ。中身がちらりと見えた。光を反射するきらめき。

 ラニが、馬鹿にしたようにくすくすと笑った。その表情の醜さ。周りで眺めている村人たち。ラニにおもねるように笑っている者もいる。だが大半は、無表情に見ている。


 びしり!


 暗くなってきた広場。夕焼けの色がこの場を染めている。そんな中、岩のようにどっしりと立ち、全てを見ているカン・マ。


 びしり!


 最後の一回が終わった。ケナが鞭を降ろし、息をつく。メルは最後まで顔を伏せる事なく、手を下げる事もなく。背筋を伸ばして立っていた。

 その姿が、泣きたいくらい美しいと思った。

 イルは、拳を口から離した。体が震えていた。力が抜けて、足がぐにゃぐにゃした。今にも座り込みそうだ。手には歯形がついて、血が滲んでいた。


「六度、打ち終わりました」


 ケナ・ムーが青ざめた顔で、長に向き直って言うのが聞こえる。


「手当てしてやれ」


 カン・マが言うと、誰かが桶に入れた水と布を持ってきた。それをケナ・ムーが手ずから受け取り、メルの手を冷やす。

 メルの両手は赤い筋が走り、腫れあがっていた。

 イルを抑えていた腕が、いつの間にか離れていた。イルはおずおずとメルに近づいた。


「ごめ……、ごめんなさ、メルムー


 小さく言うと、メルがこちらを見た。怒っているかと思って目を伏せた。すると声が聞こえた。


「言ったでしょう、イル、チャミ。妹分の為に力を尽くすのが、姉の仕事」


 いつも通りの声だった。涙で周囲の光景が滲んだ。


「メル……」

「裁きの場では長に従いなさい。どれほどつらくても、理不尽だと思っても。それが、法。村で生きるための決まり事。イル。わたしたちの長は公平な方よ。決まりを守り、手順をきちんと踏む態度を示せば、低い身分の者であっても、公平に話を聞いて下さる」


 その言葉には反論したかった。メルを打てと命じた、あんな長になぜ従わねばならないのか。その表情を見て、メルには何を考えているのかわかったらしい。きっぱりとした口調で言った。


「長は信頼に足る方。あの方は決して、身内だからと言って贔屓はなさらない。誰に対しても、見るべきは見、罰すべきは罰する。長の言葉をしっかりと聞いて従いなさい。良いね?」


 イルは、黙ってうなずいた。


「後で、軟膏を持ってくる」


 二人の様子を見ていたケナが静かに言った。一瞬、苛立たしげにイルを見たが、すぐに顔を背けて、イルに向かって濡れた布を突き出した。


「メルの手を冷やしてやってくれ。自分じゃやりにくいだろう」

「わかった」


 言いたい事はいろいろあったが、イルはそう言った。布をケナから受け取り、メルの手を覆う。それを確認するとケナは、切なげな、悲しげな目でメルを見やり、長の横に戻って行った。


「では続けよう」


 メルが打たれた事など何でもないかのように、カン・マが言った。


「ソル・コの娘ラニ。おまえはその幼子が、自分のものを盗んだと申し立てた。盗まれたものとは何だ」


 ラニはいやらしい顔をして笑っていたが、その表情を引き締めた。


「水晶花のかけらにございます。あれはわたくしのもの。ラッタが手にするなど、分不相応なものにございます。長。そのラッタがわたくしの見つけた水晶花のかけらを盗みました。早くわたくしに返すよう、言ってやって下さいませ」



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