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6.権利と義務

「ラニ・ムー。おまえには、耳がないのか」


 その場は静まり返っていた。はやし立てていた者も口をつぐみ、長であるカン・マをうかがった。


「耳はあります、お母さま」


 ラニはカン・マの方に向き直ると居住まいを正し、両手を組み合わせて首を垂れ、従順な娘の姿を取った。


「ではなにゆえ、わたしの言葉に従わぬ」

「従っております、お母さま」

「ほう。では答えよ。今、わたしは何をしていた? ソル・コの娘よ」


 厳しい表情の長をちらりと見やり、ラニは目を伏せた。


「お母さまは、……卑しいラッタに罰を与えようとしておいででした。わたくしも、それには賛成です。わたくしは、」

「黙れ。おまえの意見など聞いておらぬ」


 カン・マは鞭のような声音で、ラニの言葉をさえぎった。


「おまえの目にはそう見えたか。おまえの耳にはそう聞こえたか。わたしが、ラッタに罰を与えようとしていた、と?」


 それから一言一言を、区切るようにして尋ねた。ソル・コがたじろいだ。口を挟もうとしたが、それより早くラニが答えた。


「はい、お母さま。このように恥知らずの、盗みを働くラッタには、罰を与えてやるのが順当というもの」

「おまえの意見は聞いておらぬと言ったはずだ。さかしらぶって、このわたしに指図をするつもりか。おまえはこの村の長、カン・マよりも偉いのか」


 最後の言葉は、触れれば切れそうなほど鋭い響きを帯びていた。ラニはびくりとなり、ソル・コは青ざめた。


「ソル・コ。おまえが子どもをどのように育てようと、わたしは口を出さずに来た。だが、これは何だ。村の長をないがしろにし、指図をしようとするなど、おまえは娘をどのように育てたのだ」

「長には……お腹立ちをどうか、お静め下さいますよう。ラニは心優しい娘にございます。大切なものを盗まれて、心が動転しているのでございます。決して長を、ないがしろにしようなどとは」


 ソル・コは青ざめながらも、品の良い、柔らかい声で答えた。


「ほう。では、なにゆえこの娘は、わたしの邪魔をして騒ぎ立てた」

「邪魔など……」

「わたしは今、何をしていた? ソル・コ」


 ソル・コは唇を噛みしめた。何と答えれば良いのか。娘と同じ返事をすれば、余計に立場が悪くなる。


「ラッタに……話しかけておいで、でした」


 どう答えれば良いのかと迷った後に、おそるおそる、ソル・コは答えた。


「そうとも。わたしは、そこの子どもに話しかけていた。その者の話を聞こうとしていたのだ。騒ぎ立てる娘に邪魔をされたがな。しかもその娘は、わたしが判断を下すよりも先に、自分の手で処罰をしようとした」


 冷然と、カン・マは言った。


「この娘は目が悪く、耳も役に立たないようだ。誰が長であるかもわからぬ様子。まことにこれで、村の一員、成人した者と言えるのか。短剣を腰にさしてはいるが、取り上げた方が良いのではないか」


 それはこの村では、やっかい者に成り下がる事を意味する。成人の短剣は、村の一員である事を示すもの。病や怪我で働けなくなった者からですら、取り上げるような真似はしない。成人の短剣を取り上げるのは、よほどの罪を犯したか、追放処分にされる者に対してのみの事なのだ。


「長、お慈悲を。若い娘のちょっとした過ちではありませぬか」


 ソル・コは真っ青になっている。ラニもまた。


「それに、相手は盗みを働いたラッタ……」

「黙れ、ソル・コ。おまえまで、わたしに指図しようとするのか」


 厳しい声音で言われ、ソル・コは黙った。するとそこで、一人が進み出た。


「長に申し上げます」


 進み出たのは、ソル・コの取り巻きであるアレ・マだった。


「盗みを働いたラッタはまだ、長の前に立っております。それをさておいて、尊き血筋の娘の瑣末さまつな過ちを取り沙汰するのは、本末転倒にございましょう。まずは、そやつに罰を与え、村の規律を守る事こそが肝心にございます」

「その通りにございます。元はと言えば、そのラッタが罪を犯したのが全ての元凶。ラニ・ムーは被害者にございます。盗まれたものを取り返したい、その一心での出来事」


 ギレ・クもまた、進み出て言った。ソル・コや、彼の娘のラニ・ムーの立場が悪くなれば、自分たちの立場も悪くなる。それゆえ、彼らは長の怒りを逸らそうと必死だった。


「悪いのはそのラッタ。長には、公平な視点での判断をお願いしたく存じます」


 テマ・コが言った。彼の血筋もまた古く、村では高い身分を持っている。男性体に変化したとは言え、発言は重く受け取られる。


「あたしは盗んでいない!」


 このままでは、なしくずしに自分が盗みをした事にされてしまう。手の中の水晶花のかけらを壊さないように、けれどしっかりと握ってイルは叫んだ。


「これはあたしが見つけたもの。取り上げようとしたのはラニの方だ。あたしは、盗んでいない!」

「だまれ、ラッタ! 卑しい身分の分際で! おまえが盗んだに決まっているであろう。いつもいつも、何かしら盗みを働くおまえのような卑しいものの言葉など、誰が信用できよう!」


 ソル・コが怒鳴った。アレ・マがイルを睨み付けた。


「食べものを与え、着るものを与え、生かしてやっているわれらに対し、感謝の念も持たず。盗みを働き続ける。われらの慈悲にも限界があるぞ。おまえたちラッタはこの村の汚点。一人残らずいなくなれば、もう少しすっきりとするであろうに」

「村から追い出してしまえば良いのだ、このような盗人は。尊き血筋の者に頭を下げる事もできぬ。このような不遜な輩は、野山で獣に喰われてしまえば良い」


 ギレ・クがふんと鼻を鳴らした。そうだそうだ、という声が上がった。ラッタなど追い出せ、という声もした。


「だがそれを決めるのは、おまえたちではない」


 そこでぴしりと、厳しい声があった。


「静まれと、わたしは何度、おまえたちに言えば良いのか」


 声は落ち着いており、良く響いた。人々は、思わずカン・マを見つめた。

 灰色の髪に黄褐色の瞳、褐色の肌の女性。カン・マは、ただ立っているだけだった。それなのに彼女からは、言葉を飲み込み、頭を下げたくなるような雰囲気が立ち昇っていた。強く、厳しく、母であり、裁き司でもある村の長。さほど大柄なわけではない。彼女よりも体格が良く、猛々しい戦士は、探せばいくらでもいるだろう。彼女より賢い者も、美しい者もいるだろう。それでも、彼女こそが長だった。従わねばならないと思わせる威厳と、智恵に裏打ちされた強さが、彼女を彼女たらしめていた。

 ソル・コたちの言葉によって煽られ、騒ぎだそうとしていた人々は、カン・マの言葉と姿に、一瞬にして頭を冷やした。その場が静かになる。

 ソル・コはすぐに恭順の姿勢を取った。ギレ・クとテマ・コは顔を見合せてから慌てたように頭を垂れた。アレ・マは一瞬、長をすさまじい目つきで睨んだが、同じく恭順の姿勢を取った。


「長に申し上げます」


 そこに、凛とした声が上がった。人々が振り返る。


「前に出よ」


 カン・マの言葉を受けて、人影が進み出る。周囲の村人が彼女を通す為に左右に別れた。

 艶やかな褐色の肌。柔らかく渦を巻く白髪。優しい黄褐色の瞳。


「メルムー


 イルはつぶやいた。愕然とした顔になっていた。

 だめだ。

 ラッタの出だと言う事で、ただでさえ陰口を叩かれるメル・ムー。婚儀が決まってからも、妬みからの嫌がらせが続いていた。イルは知っている。自分より下だと見なしていた相手が幸運を得たと知った時、村の『正しい』者たちが、どれだけ容赦なく相手を傷つけるか。今も彼女の手には、切り傷ができていた。また嫌がらせをされたのだ。

 それなのに、こんな目立つ所に出てくるなんて。


「イル、チャミ。何を泣きそうな顔をしている」


 進み出てきたメルは、イルの側に来ると低くささやいた。イルは泣きそうな顔で首を振った。


「メルムー。なんで……あたし、迷惑かけるつもりじゃ」

「妹分の為に力を尽くすのが、姉の仕事。迷惑だなんて思わない」


 小さく笑うとメルは、ぽんぽんとイルの肩を軽く叩いた。それからラニを見やる。

 ラニは、すさまじい目つきでメルを睨んでいた。


「名乗るが良い、娘よ。わたしに何か言いたい事があるのか」


 その様子を見ていたカン・マが、静かに問うた。メルは手を組み、頭を垂れると答えた。


「長。わたくしは、メル。ケル・コにより、ザイ・マの子メイ・マの誉れとして生まれた者。二年前に、この村にて成人したムーにございます」

「ラッタの出身だ。ケル・コもそいつもな!」


 誰かが後ろから怒鳴った。それを無視して、カン・マは言った。


「成人の短剣を持つ、ドナの村の働き手の一人。おまえは立派に村に貢献している。メル・ムー。顔を上げよ。言いたい事を述べるが良い」


 もう一度頭を下げると、メルは顔を上げた。


「申し上げます。わたくしは先ほどまで、畑にて働いておりました。仕事が終わり、家に戻ろうとした所で、この騒ぎに気がつきました。わたくし以外にも、仕事の後でここに来た者は多いはず」


 一度、言葉を切ってから、メルは続けた。


「盗んだ、盗まないと、おだやかならぬ言葉を聞きましたが。後からやって来たわたくしには何が起きたのか、見当もつきませぬ。

 ラッタとは言えこの子どもも、あと何年かすれば、村の一員となる者。働き手の一人となる者です。村の掟を学ぶ為にも、順序立てた説明を聞き、理解する機会を与えるのが、この子どもには良い事かと存じます。

 どうか起きた出来事を最初から、わたくしたちに話していただけませんか。そうすれば、何が原因でいさかいになったのか、この子どもにもわかると思います。今のままでは何が悪いのかもわからぬまま、子どもは意地を張るばかり。知恵と慈悲をもって、何が原因であるのか、話して聞かせるのも大人の役割と存じます」


 ラッタであるイルや、ラッタ出身の自分自身の立場を悪くしないように腰を低くし、物事の理解ができない子どものした事という印象を与えながら、いさかいの原因の説明をメルは求めた。カン・マの目にちらりと、面白がるような影がよぎった。


「知恵を持たぬ子どもに善悪の区別を話して聞かせ、悟らせるのは、確かに大人の役割ではあるな」


 カン・マはそう言うとソル・コとラニに目をやり、口の端を微かに持ち上げ、うなずいた。


「よかろう。ドナの村の者よ。聞くが良い。幼子二人のいさかいがあり、われ、カン・マは二人の言い分を聞いてそれを裁く」


 響く声に、村人は背筋を伸ばした。村で起きた揉め事を裁くのは、長の仕事だ。カン・マは略式であるが、ここに裁きの場を設けると今、宣言した。

 メルの肩が小さく震えた。笑いをかみ殺したようだ。イルは何だと思い、ついで思い当たった。


『幼子二人のいさかい』


 なんて事だ。長は、成人したはずのラニを、道理のわからぬ子ども扱いした。


「長の杖を持て、ケナ・ムー」


 声をかけられて、ケナはびくりとした。慌ててソル・コの方を見やる。


「お母さま! それはわたくしの権利です!」


 ラニが叫んだ。長の権威をあらわす道具である『長の杖』は、常には長子が運ぶ事になっている。


「おまえは、いさかいの当事者ではないか、ラニ。杖は公平さをあらわすもの。この場にて待て。それとも、わたしの言葉が理解できぬか」

「わたくしの権利を侵害する事は、誰にもできませぬ! わたくしは、お母さまの長子です!」

「ケナ・ムーはわたしが選んだ後継者。杖を運ばせるのに何ら問題はない。何をしているか、ケナ。急げ。おまえの義務を果たせ」


 言われてケナは、背筋を伸ばした。そうしてさっと駆け出した。ラニが金切り声を上げる。


「何という事! わたくしの権利を! わたくしは長子であるのに! あれは第二の夫の子ではありませんか! わたくしは第一の夫の子! わたくしにこそ権利があるのに!」

「わが君! 娘の権利をなにゆえに侵害なさるか。あれは第二の夫の子であって、杖を運ぶ権利など持たぬ者。どうか撤回なさって下さいまし!」


 ソル・コも叫んだ。彼はずっと、ラニを後継者にしたがっていた。ケナ・ムーが後継者としてほぼ決まった後も、文句を言い、反対し続けていた。それなのにここで長は、「わたしが選んだ後継者」とはっきりと口にした。


「撤回なさって下さいまし!」

「わたくしには権利があるのに! わたくしのものなのに!」


 カン・マは何も言わない。


「やみくもに権利を主張する者と、その前に義務を果たす者。どちらが次の長に相応しいかは、それだけでわかる」


 小さくメルがつぶやき、イルは彼女を見上げた。その表情に何かを愛おしむような、傷ついたようなものを見つけて、心が痛んだ。ケナとメルの間で起きた事は、イルも知っていた。二人が一緒になれれば良いと、そう思っていた。


「あたしはメルが一番賢いと思う。ハイロの村はきっと、栄えるよ」


 けれどそれは、自分が言って良い事ではない。だからただ、そう言った。メルはイルを見下ろすと、苦笑のようなものを顔に浮かべた。

 やがてケナが駆け戻ってきた。カン・マに長の杖を手渡す。ラニはそれを見てさらに声を張り上げ、ソル・コは苦々しげにケナを睨み付けた。


「娘の権利を奪う者よ……身分低き父を持つだけはある。分をわきまえぬ愚か者」


 吐き捨てるように言うソル・コの眼差しは憎しみに満ちており、イルはぞっとした。ケナを見据えてはいるが、彼の目には、別の人間が映っているように思えた。


「哀れな方」


 ぽつりとメルが言い、イルは彼女を見上げた。メルは視線に気づき、身をかがめた。


「気の毒な方なのよ」

「ソル・コは綺麗な服を着て、ごはんも毎日食べているのに。何がかわいそうなの?」

「大人には色々あるの。そのうち、イルにもわかる」


 メルはただ、そう言った。

 ケナから杖を受け取ったカン・マは、その杖を大きく振り上げた。どん、と地面に杖をつくと、声を張り上げる。


「わが名はカン・マ。ドナの村の長。掟の長にしてこれを守り、村人の長にしてこれを守る、ドナの母にして裁きの司である。村人よ、聞け。ここに、裁きの場を開く。訴え出しは、ソル・コの娘ラニ・ムーと、ハイ・コの子、イル。われ、カン・マは二人の言い分を聞いてこれを裁く」


 裁きが始まった。


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