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3.心の拠り立つ場所

「可哀相に、わたしの娘。心優しいおまえを傷つけるなど、いやしいラッタにしかできぬこと。人のものを盗むなど。心根の醜いそのラッタには、むちをくれてやりましょう」


 泣き声を上げる娘にソル・コは美しい顔を歪め、うずくまったままのイルをちらりと見やった。娘と同じ美しい白髪はくはつに、良く手入れされた褐色の肌。赤みがかった黄色の瞳は、彼が古い血筋の出であると示している。


「泥だらけで醜いこと。おまえの美しさを妬んだあげくの所業でしょう。なんと反抗的な目をしているのか」


 側にいたソル・コの腰巾着たちも、しり馬に乗り、口々にイルをののしった。


「おまえ、卑しいラッタのくせに。ちゃんとした家の者から何かを盗むなんて!」

「これだから、血筋のわからない者は」

「ソル・コさまは、長の第一の夫。尊い血筋の者に仇をなすなど、許しがたい」

「盗んだものをさっさと出すが良い!」


 ソル・コの取り巻きたちは、血筋の古さを鼻にかけ、貧しいものたちを見下す者ばかりだった。いずれも美しい顔立ちで、男も女も着飾って財力を示しているが、イルにはひどく薄っぺらい人間に見えた。自分の意思はほとんど持たず、けたたましく騒いでいるだけの人間にしか。

 それでも子どもである自分の立場は弱く、成人した彼らの立場は強い。数で来られれば、なおさら。イルは抱え込んだ水晶花のかけらを握りこんだ。渡すものか。


「これは、あたしが見つけた。あたしのものよ」


 うなるように言うと、集まった者たちが、また騒ぎ立てた。


「なんと反抗的な」

「卑しいラッタが!」

「鞭で打たねば」

「曲がった性根を叩き直してやらねば!」


 ラニはここぞとばかりに、哀れっぽい泣き声を上げた。


「ああ、なぜこんな仕打ちを受けねばならないのでしょう。わたくしは何も、悪いことなどしていないのに!」


 騒ぐ彼らをイルは、醒めた目で見やった。くだらない。馬鹿馬鹿しすぎて、くだらない。

 ラニは、自分の欲しいものを取り上げようとしているだけ。その為に、あたしが盗みをしたと言い張っている。他の者はその言い分を繰り返して、騒ぎ立てているだけ。きいきい声を張り上げて。

 この中に、まともにものを考える事のできる人間はいない。

 声を張り上げさえすれば、自分の意見は通ると思っているラニ。それを当然であり、正しいと言うソル・コ。二人を賛美するばかりの取り巻きたち。

 血筋のはっきりしない群れの子どもラッタと、父親が誰であるかわかっている、家付きの子どもビラウでは、ここまで扱いが違う。母親であるカン・マにしても……。


「騒がしい」


 一言、カン・マが言った。村長むらおさである彼女がそう言っただけで、皆が黙った。その場に沈黙が訪れる。

 カン・マは堂々たる体躯たいくの女性で、もう何年も長の座にいた。力強く、厳しい表情を持つ彼女は、近隣の村々からも、公平で理想的な長だと言われていた。彼女が長になって以来、村から餓死者が出た事はない。畑はよく実り、狩りも順調だ。最下層の貧しい者でさえ、毎日の食事にありつける。

 良い長だ。皆がカン・マをそう讃え、イルもその言葉に反対する気はない。

 母として考える事はできないが。

 その場を見渡したカン・マはイルに目を止め、それからラニを見やると、ソル・コに目を向けて言った。


「ソル・コ。おまえの娘は、静かにしている事ができないのか」

「厳しい事を言われますな、カン・マ、わが愛しききみエンビダ。あなたの娘でもあるのですよ」

「知っている。そこのラッタ。おまえの名は」


 カン・マの言葉に、ラニは静かになった。とがめられたからではない。イルが罰を受けるだろうと期待して、カン・マの言葉を聞き漏らさないようにしようと静かになったのだ。


「イル」


 黙っていようかと一瞬思ったが、ラニの期待に満ちた目を見て、イルは思いなおした。何を恥じる事があるだろうか。あたしはあたし。この村の一員。ラッタではあるが、ここで生きてきた人間だ。誰に対しても、堂々と名乗れる。イルは顔を上げると、カン・マを睨み付けるようにして答えた。


「不作法な」

「口の利き方を知らない……」


 そんなイルを見て、ソル・コの取り巻きが眉をひそめてつぶやく。卑しい子どもは卑屈に顔を伏せているべきだと、そう思っているのだ。

 カン・マは続けた。


「それだけか。おまえの母の名を、父の名を告げる事はできないか。おまえは誰の子か。誰により生まれた人間なのだ、ラッタ」


 彼女の言葉に、イルは頭を殴られたような気分になった。誰により生まれた人間か、だって?

 あなたの子だ。

 あたしは、あなたの子ども。あなたがあたしの父と契り、なした子だ。そうではないのか?

 低く笑う声が聞こえた。ラニが笑っているのがイルには見えた。父親ともども打ち捨てられた子どもなど、忘れられるのが当り前。意地悪げに光る目が、そう言っていた。カン・マはおまえの事など、忘れ果てている。おまえは結局、塵に過ぎない。くだらない存在でしかないのだと。


「あたしは」


 怒りに頭に血が昇った。くらくらしながら、それでも口を開いてイルは、かすれる声で言おうとした。


「あたしは」


 耳鳴りがした。がんがんと頭が痛んだ。


「我が家の誉れ、血筋の君。そう、いじめてやりなさるな。ラッタは卑しい交わりの中に生まれ、おのれの血筋を知らぬもの。そのような問いかけは、こくというものでしょう」


 そんなイルの言葉をさえぎって、優雅な調子でソル・コが言った。


「尋ねた所で父の名も、母の名すら知らぬでしょう。ラッタとは、そういう者」


 口調こそ優雅だが、その目は冷たく、さげすみに満ちていた。


「おまえに尋ねてはおらぬ、ソル・コ」


 カン・マは静かに、けれど厳しい調子でそう言うと、もう一度イルに問いかけた。


「答えよ。おまえは誰から、誰によって生まれた人間か」


 ぐちゃぐちゃになった感情が、血管を流れてゆくのがわかる。どくどくと、こめかみを、心臓を、流れてゆく。怒りが。悲しみが。叫びが。

 なぜ、それを尋ねるのか。

 あなたの子どもであるあたしに。なぜ。今、ここで。

 認めていないのか。

 認める事すら、してもらえなかったのか。あたしは。あたしと父は。あたしたちは忘れられ、捨てられて当然の存在だったのか。

 あなたは、長だ。村の者に公平で。誉れよと讃えられ、近隣の村々からも、尊敬を集める者。

 あなたが誇らしかった。村の者として。

 あなたが讃えられるのは、うれしかった。村の誇りだと言われるたび、聞くたびに。

 あなたが、あたしを見ないのはわかっていた。ラッタの群れに入れられた、その事実がいつも、期待するなと言っていた。それでも。


 ソレデモドコカデ。アナタヲ母ダト思ッテイタ。

 認メテホシイト、願ッテイタ……。


 目が熱かった。耳鳴りがした。体が震えた。何かを叫びたくて、叫びたくて、たまらなかった。

 しかし、イルはそんな自分を抑えた。



 ちり……っ。

 


 手のひらの中で、水晶花のかけらが刺さる感触があった。無意識に力を込めてしまったらしい。その小さな痛みが、イルに我を取り戻させるきっかけとなった。そうだ。自分はこれを、メルに渡さねばならない。

 結婚のお祝いを、メル・ムーに。その為に山に登り、探して、探して、やっと見つけた。

 今、あたしが一番、しなければならない事はなに?

 一番、大事な事はなに?

 ぐっ、と唇を噛むと、イルは自分の問いに自分で答えを出した。


『メル・ムーに、水晶花のかけらをあげる事』


 それが一番大事。他は大した事ない。何とでもなる。今は、自分の事で泣いたり、怒ったり、している時じゃない。

 馬鹿にされたからって、なに。されても良いじゃない。ずっと、そうされてきたんだから。今までと変わりゃしない。忘れられているからって、それが何? 

 何が悲しい? 何に傷ついてるの? 長は長よ。母親だなんて、思う方がおかしいのよ。今までずっと、そうだったじゃない。何を期待したりしてたの。

 大した事ない。

 それよりも、メル・ムーの方が大切なんだから!

 ソル・コの目に、鋭い光が宿った。ラニが眉をひそめる。二人の顔には、苛立ちがはっきりと現れていた。イルが顔を上げ続け、泣きも詫びもしないのが気に入らないようだ。

 卑しいラッタのくせに。

 ラニがつぶやくのが聞こえた。物心つくかつかないかのころから、ずっと言われてきた言葉。

 卑しいラッタ。

 価値のない者。

 いらない存在。

 どこにいても、何をしていても、その言葉がついて回った。言葉にされなくとも、注がれる視線がそう言っていた。

 イルがただ一人であったなら、心が折れていただろう。ただただ上の立場の者に従順に、何も考えず、流されるままに生きて、卑屈な生き物に成り果てていただろう。血筋のはっきりしている子どもやその親たちからの蔑みは、陰湿で根深く、執拗しつようだったからだ。

 けれど、イルにはメルがいてくれた。メルがずっと、イルの魂を、折れないように守ってくれていた。


『どんな人間でも、神々の祝福を得て生まれてくるの。聖典にそう書いてあるわ。あんたは、祝福されたもの。あたしもよ。あたしたちは、自分を誇っても良いの。だって、神々の大切なものなんだから』


 メルはいつも、そう言った。


『だから、顔を上げましょう。何を言われても、傷をつけられる事なんてないわ。だって、あたしたちは祝福されて生まれてきたんだもの。血筋がなに? 父親がいない、それがなに? 母親に捨てられて、群れで育てられたって、それがなんなの? 傷になんてなりはしない』

『祝福されて生まれた事実に、変わりはないわ。聖典にそう書いてあるんだから』

『顔を上げて、恥じる事のない生き方をするの。堂々と』

『だって、あたしたちに傷なんてないんだから!』


 メルは本当は、ラッタの群れにいなくても良い子どもだった。けれど父親がソル・コに嫌われていたため、難癖なんくせをつけられて、ラッタの群れに放り込まれた。その後もソル・コや、彼の取り巻きに随分といじめられていた。イルもとばっちりを喰った事がある。

 けれどその分、メルはしなやかになり、強くなり、したたかにもなった。知恵を増し、美しさを増した。

 そんな彼女がイルには、自慢だった。

 そうして、そんなメルが自分を愛してくれたから。家族と呼んでくれ、大切なものと言ってくれたから。どれだけ卑しめられても、ののしられても、イルは顔を上げて立つ事ができた。自分を価値のない存在だと思わずにすんだ。一人ではないと、思う事ができた。

 あたしは一人ではない。

 今、この時でも。あたしは決して一人ではない。

 ラニ。あんたにはわからないだろう。どうしてあたしたちが、顔を上げ続けていられるのか。取り巻きに囲まれて、ほしいものは何でも手に入って、でもあんたには、メルがいない。

 あたしにとってのメルが、あんたには、いない。

 あたしには、いる。だから、傷なんて。何を言われても。あたしにはつかない。

 誰もあたしを、傷つけたりなんて、できないんだから!

 目の熱さをまばたきで何とかやり過ごし、あふれそうになった涙を抑えた。体の震えと耳鳴りを、息を吸って吐き出す事でどうにかした。その間も叫びだしたい心はずっと痛みを訴えていたが、それも何とか抑えた。

 激情を抑えると、イルは改めてカン・マを見上げた。

 それから、はっきりとした口調で答えた。


「あたしは、イル。イレ・マの七番目の子ハイ・コにより、その血筋に誉れの花を与えたカン・マから生まれた子ども。

 あたしはあなたの子どもです、長」



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