第8章ー距離感ー
任務から戻った京慈は、九識家の門をくぐる。広すぎる屋敷は、相変わらず現実味が薄い。
(……相変わらず慣れないな)
少しだけ迷ってから、玄関の扉を開けた。
「ただいまです」
一瞬の静寂。
次の瞬間、ぱっと空気が動いた。
「おかえり!」
真っ先に声を上げたのは、かぁりだった。ぱたぱたと駆け寄ってきて、そのまま京慈の顔を覗き込む。
「怪我してない?」
「大丈夫です」
「ほんと? 無理してない?」
距離が近い。でも悪気はないのが分かる。
「問題ないです」
そう答えると、かぁりは満足そうに笑った。
その後ろから、らきがひょいと顔を出す。
「お、ちゃんと帰ってきたね」
「はい、おかげさまで」
「おかげさまって、あたし何もしてないけど」
くすっと笑う。
「でもまあ、無事ならよし」
そのまま自然に隣に立つ。距離が近い。
京慈は一瞬だけ下がりそうになって、踏みとどまった。
(……これが普通、なんだろうな)
視線を上げると、他の兄妹たちもそれぞれの場所にいた。
あきとは一瞥だけして、何も言わない。
ぽたは壁にもたれたまま、こちらを見ているのか分からない視線を向けている。
そらはソファに沈み込んだまま、ちらりとだけ目を向けてすぐに視線を外した。
りすずは手元から目を離さないまま一言。
「生存確認、完了」
「……ありがとうございます」
返す言葉がそれしか浮かばなかった。
そして。
「戻ったのね」
アスノが静かに言う。
それだけで、場の空気が少し締まる。
「はい」
自然と背筋が伸びていた。
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「ご飯できてるよー!」
かぁりの声が響く。
気づけば、食卓にはすでに料理が並んでいた。
席も――
「……俺のですか」
いつの間にか席が一つ増えている。
まるで最初からそこに座ることが決まっていたみたいに、用意されている。
「当たり前でしょ」
らきが何でもないことのように言う。
「食べないの?」
「いえ、いただきます」
京慈は席に座る。
それだけなのに、妙に意識してしまう。
周囲ではすでに会話が始まっていた。
「今回のルート、無駄多くない?」
「あれは条件が――」
「でも結果は悪くないでしょ」
内容は任務の話だと分かる。
でも――
(入り方が分からない)
口を開こうとして、やめる。
結局、聞いているだけになる。
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「京慈」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
らきがこちらを見ている。
「どうだった? 外」
「問題なかったです」
「いや、そうじゃなくて」
少しだけ首を傾ける。
「やりにくくなかった?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……いえ、大丈夫です」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
「そっか」
らきはそれ以上踏み込まなかった。
ただ、少しだけ視線を細めた。
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食事が終わる。
風呂の時間も、自然に空けられていた。
部屋に戻れば、寝具も整っている。
(……なんだこれ)
不満はない。
むしろ、整いすぎている。
(居心地が悪いわけじゃないのに)
ベッドに腰を下ろす。
静かだ。
さっきまでの賑やかさが嘘みたいに。
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コンコン、とノックの音。
「はい」
扉を開けると、そこにいたのはアスノだった。
「少し、いいかい」
「はい、どうぞ」
部屋に入ってくる。
無駄のない動き。
京慈の前に立つ。
少しの沈黙。
そして。
「京慈、遠慮してるのは、あなただけよ」
まっすぐだった。
「……」
言葉が出ない。
「私たちは、最初から決めていた」
静かな声。
「あなたを家族として扱うって」
それは、分かっていた。
さっきの食卓も、部屋も、全部。
「でも…」
京慈はようやく口を開く。
「俺はまだ、どうしたらいいか分からなくて」
少しだけ視線を落とす。
「……距離の取り方とかが」
本音だった。
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アスノは小さく息を吐く。
「簡単よ」
一歩、距離を詰める。
「許可なんていらないの」
そのまま扉の方を示す。
「当たり前に戻って、当たり前に座るだけでいい」
それだけ、と言うように。
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アスノが部屋を出ていく。
扉が閉まる。
静寂。
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少しだけ考える。
そして。
京慈は立ち上がった。
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食堂に戻ると、まだ何人かが残っていた。
らきとかぁりが、何やら話している。
「お、戻ってきた」
らきが気づく。
「どうしたの?」
「……いえ、ちょっと」
京慈は少しだけ迷ってから。
空いている席に、座った。
それだけ。
「それでさー!」
かぁりの話がそのまま続く。
会話は止まらない。
誰も特別な反応はしない。
でも。
「それの場合、こうした方がいいと思います」
気づけば、口を開いていた。
一瞬だけ視線が集まる。
「……あ、余計でしたらすみません」
「いや、いいじゃん」
らきが笑う。
「続けて」
その一言で、肩の力が抜けた。
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(……ああ)
なんとなく分かる。
まだ完全じゃない。
でも。
(ここにいていいんだな)
そう思えた。
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その夜。
京慈は初めて、少しだけ深く眠れた。




