第51章ー今度は私の番ー
雨が降っていた。
王都の空は重く冷たい雨粒が石畳を濡らしていく。
らきは足早に通りを進んでいた。
その隣には京慈。
「だから言ったじゃないですか」
「大丈夫だって」
「顔が全然大丈夫じゃなかったですよ」
即答だった。
らきはむっとする。
「うるさいなぁ……」
だが本当は助かっていた。
1人で行くには少し怖かった。
ゆなの様子が頭から離れない。
あの不自然な紋章反応。
嫌な予感しかしなかった。
――――――
アパート前。
らきがインターホンを押す。
反応はない。
もう一度押す。
返事はない。
だが。
「……中に誰かいる」
京慈が低く呟く。
気配と荒い呼吸音。
らきの表情が変わった。
「ゆな!」
扉を開ける。
鍵は開いていた。
室内は荒れ果てていた。
机、本棚、椅子。
全部倒れている。
そして。
部屋の奥。
少女が蹲っていた。
「……ゆな」
らきが近づく。
その瞬間、空気が歪んだ。
ゆなが顔を上げる。
瞳。
そこに浮かぶ黒ずんだ紋章。
未完成かつ不安定。
そして危険。
「来るなァッ!!」
衝撃。
床が砕ける。
京慈が咄嗟にらきを引き寄せ回避した。
壁が吹き飛ぶ。
「っ……!」
ゆなは頭を押さえ苦しそうに喘いでいた。
「やめ……ろ……」
「うるさい……!」
「消えろ……ッ!!」
明らかに様子がおかしい。
らきの顔色が変わる。
「なんで……」
紋章暴走。
カナムが以前言っていた。
適合に失敗した紋章は精神へ干渉することがある。
最悪の場合、人格を侵食する。
ゆながゆっくり立ち上がる。
だが。
もう目が違った。
「――――排除」
低い声。
別人だった。
床が砕ける。
ゆなが突撃してくる。
京慈が前へ出る。
「下がって!」
硬化。
拳を受け止める。
轟音。
床が沈む。
「ぐっ……!」
重い。
普通の人間の力じゃない。
紋章が身体能力を無理矢理引き上げている。
京慈は歯を食いしばりゆなを押し返す。
「らきさん!!」
だが。
返事がない。
京慈が振り返る。
らきは立ち尽くしていた。
顔が青い。
「……なんで」
小さな声。
「なんでこんなことになってんの……」
ゆなが苦しそうに暴れている。
助けを求めているようにも見えた。
らきの手が震える。
「もっと早く気づけたかもしれないのに……!」
「私が……」
「俯かないで」
低い声。
京慈だった。
ゆなの攻撃を受け止めながら真っ直ぐらきを見る。
「助けたいんでしょ…」
「……!」
「だったら見て。目ぇ逸らしてどうすんですか」
その瞬間。
らきの目が揺れた。
京慈は床を砕きながら踏み止まる。
「っ……!!」
硬化した腕が軋む。
それでも。
離さない。
「らきさん!!」
「今だ!!」
その言葉で。
らきはようやく前を見る。
目の前にいるのは敵じゃない。
友達だ。
昔。
自分を救ってくれた。
特別な存在。
らきは静かに息を吸う。
そして。
両目に緑色の紋章が浮かぶ。
偽装の紋章。
空間が揺らぐ。
ゆなの視界に映る京慈とらきが一斉に増える。
ゆなは混乱する。
その瞬間。
らきは回り込んだ。
背後からゆなを抱き締める。
「――っ!?」
ゆなは暴れ、らきを振り払おうとする。
それでもらきは離さない。
「昔さ、」
静かな声。
「私、あんたのこと突き放したじゃん」
――――回想。
入学当初。
にぎやかな教室。
周囲は誰もらきへ近づかなかった。
九識家本家のお嬢様。
王国最高峰の名門。
怖がられて当然だった。
そこへ。
ゆなが普通に近づいてきた。
『ね、隣いい?』
「……好きにすれば」
『らきちゃんって意外と話しやすいね』
「…あたしが九識の人間だから近づいてきたの?」
『え?』
「そういうの慣れてるから」
らきはわざと冷たくした。
どうせ。
最後は“九識のお嬢様”として見られる。
そう思っていた。
だが、ゆなは引かなかった。
『じゃあ私に喧嘩売ってる?』
「は?」
『らきちゃんって、“どうせ私なんか”って顔してる』
「……」
『それ、めんどくさい』
「……なにそれ」
『よかったら友達になろうよ』
夕焼けの中聞こえる笑い声。
テスト前の勉強会。
何気ない日々。
全部。
らきにとって特別だった。
――――現在。
「ゆなはさ」
「あたしを九識のお嬢様じゃなくて」
「“らき”として見てくれた」
ゆなの身体が震える。
黒い紋章が暴れる。
それでも。
らきは離さない。
「だから」
「今度は私の番」
その瞬間。
ゆなの瞳から涙が零れた。
黒い紋章が崩れる。
光が消えていく。
力が抜ける。
ゆなの身体がらきへ倒れ込んだ。
「……らき……」
か細い声。
意識が戻っていた。
らきは安堵したように笑う。
「おかえり」
その直後。
壊れた窓の外から聞き慣れた声がした。
「いやー、派手にやったねぇ」
アヤだった。
後ろには白衣姿の人間たち。
アヤは室内を見回し苦笑する。
「事情はなんとなく理解したよ」
「この子は財団で保護する」
ゆなが不安そうに顔を上げる。
だが。
アヤは柔らかく笑った。
「安心して」
「財団所属の紋章専門の医師と学者を紹介する」
「経過観察は必要だけどちゃんと適応していこう」
ゆなの目に少しだけ安心が戻る。
らきはその様子を見てようやく力を抜いた。
外では。
降り続いていた雨が少しだけ弱くなっていた。




