第3章ー里親ー
めいが孤児院を出てから、数日が経っていた。
京慈の生活は変わらない。
朝起きて、ギルドへ向かい、依頼をこなす。
ただ一つ違うのは――
「おい、あれだろ?紋章持ちって噂のやつ」
「紋章を見たって話あるぞ」
「格上の魔物を押し返した新人が紋章持ちでした~って話なんだろ…いいねぇ…生まれがしっかりしてる奴は…」
視線が増えたことだった。
ギルドの空気は、明らかに変わっている。
受付嬢でさえ、言葉を選ぶようになった。
「今日はどの依頼にしますか?」
「いつものやつで」
低リスク、安定報酬、同行者あり。
それが一番効率がいい。
(生き残れればいい)
それだけだ。
今日は依頼が予定より早く終わった。
まだ昼過ぎだった。
「……さすがに早いな」
京慈は珍しく、孤児院へ戻ることにした。
「ただいま」
「京慈」
マザーの声は、少しだけ固かった。
「あなたに、引き取りの話が来ているわ」
「……は?」
一瞬、意味が分からなかった。
「正式な里親よ」
「あなたを引き取りたい、って人がいるの」
ありえない。
孤児は“商品”じゃない。
必要だから引き取られるものでもない。
だがマザーの顔は真剣だった。
「本当よ」
「そして今回は、審査がすでに終わっている」
「……は?」
京慈の声がわずかに揺れる。
「普通は何週間もかかるのに」
「今回は一日」
沈黙。
マザーは続ける。
「異例よ。でも、上が“問題なし”と判断した」
「つまり、それだけ信用できる相手ってこと」
(信用できる?)
逆だろ、と言いかけて飲み込む。
「…お名前はオーセンさん。明後日お越しになるわ。同席してちょうだい。」
「……わかった。」
京慈は不安で仕方なかった。
二日後。
京慈はオーセンと会った。
「やあ」
そこにいたのは、老人だった。
白髪。穏やかな目。
どこにでもいるような、優しい老人。
「私のことは聞いてるかな?」
オーセンはニコニコ笑顔で聞いてくる。
「…ええ、まあ一応。…すみません。ちょっとまだ緊張してて…」
京慈は緊張と警戒が混ざった感じで答える。
「ハッハッハ。それはそうだろう。次第に慣れてくれれば大丈夫だよ。」
オーセンは笑いながら優しく答えた。
「私は妻を亡くしていてね。子供もいないんだ。」
「ペットも考えたが、私もいつ死ぬかわからないからね。諦めたんだ。…でも、一人は、少し寂しくてね」
柔らかい声。
「君の話を聞いたんだ。」
「年齢もいい。もうすぐ自立もできる」
「仕事も続けていい。むしろ続けてほしい。」
「どうだい?」
あまりにも自然だった。
疑う理由が見つからないほどに。
(……変だな)
だが危険も感じない。
「……分かりました」
気づけばそう言っていた。
翌週。
孤児院で別れの準備が進む。
「行ってらっしゃい!」
「元気でなー」
「たまには顔出せよ!」
孤児たちの声。
マザーの静かな視線。
「京慈、またな!」
(めいは、いない)
それだけが、少しだけ引っかかる。
車に乗る。
老人と二人。
孤児院が遠ざかる。
沈黙。
だがそれは、安心できる沈黙だった。
――しばらくして。
「さて」
老人がぽつりと言った。
「もういいだろう」
京慈は顔を上げる。
その瞬間。
空気が変わった。
老人の顔が崩れる。
白髪が消える。
紫の髪。
声が変わる。
「……は?」
そこにいたのは、別人だった。
若い男。
優しさも、老人の雰囲気も消えている。
「やっと警戒したな」
軽い声。
京慈は反射的に剣に手を伸ばす。
「何のつもりだ」
「安心しろ」
男は肩をすくめた。
「お前に危害を加える気はない。売る気もないし、殺す気もない。」
「ただの確認だ」
「……信用できるか」
京慈は一歩も引かない。
その瞬間。
「まあ、そうなるよな」
男は小さく笑った。
車がスピードを落とした。
次の瞬間――
京慈は外へ飛び出した。
近くの森へと逃げ込む。
全力で走る。
「やれやれ」
男は車を止めてゆっくり降りる。
追う気配はない。
だが、確信だけがあるように呟いた。
「逃げてもいい」
「どうせ、すぐ追いつく」
京慈は走りながら思う。
(あれは何だ)
(何者だ)
優しさも、敵意もない。
ただ“異物”。
そして今、自分がやるべきことは、逃げることだと感覚的に理解していた。




