第2章ー紋章の目覚めー
意識が浮かび上がる。
「……っ」
目を開けると、木製の天井が視界に入った。
見慣れない天井。だが、空気の匂いは知っている。
(ギルド……か)
「やっと起きたか、この馬鹿が」
横から低い声が飛ぶ。
視線を動かすと、腕を組んだ男と受付嬢が立っていた。
京慈はカスカスの声で問いかける
「……俺、運ばれたんですか」
「当たり前でしょ」
受付嬢はため息をついた。
「重傷です。内臓にもダメージがあります。一週間は絶対安静」
「……すみません」
謝るしかなかった。
すると男が机を叩いた。
「謝って済む話じゃねえだろ!」
一気に空気が張り詰める。
「未確認危険は即時報告。七則も知らねえのかお前!」
「いや、知ってますけど……」
「知っててやったなら余計タチ悪いわ!」
怒鳴り声が響く。
七則。
それはギルドにおける最低限の生存規則。
①生存最優先
②虚偽報告禁止
③依頼外行動は自己責任
④他冒険者への妨害禁止
⑤未確認危険の即時報告
⑥依頼優先権の尊重
⑦力量を偽るな
守らなければ死ぬ。守っても死ぬことはある。
そんな場所だ。
男は吐き捨てるように言った。
「いいか。ここはな、英雄ごっこの場所じゃねえ!死ぬ奴は死ぬ敵味方関係ねぇ!勝っても死ぬやつは死ぬし、負けても生きるやつは生きる」
それだけだ、と。
京慈は何も言えなかった。
一週間後。
ギルドを出て、孤児院へ戻る。
扉を開けると、すぐに声が飛んできた。
「京慈!」
めいが駆け寄ってくる。
「……生きてた」
「お前な、第一声それかよ」
苦笑する。
だが、めいの顔はどこか落ち着かない。
「どうした?」
「……ねえ」
少しだけ視線を逸らす。
「私ね、里親が決まったの…」
その言葉で、空気が止まった。
「来月にはここを出るって…」
嬉しそうで、でも少しだけ寂しそうな顔。
(そうか)
当然のことだ。
ここを出るのは自分だけじゃない。
「……いいじゃん」
京慈は軽く頭を撫でた。
「ちゃんとした家なんだろ」
「うん。優しそうだった」
「なら大丈夫だ」
それだけ言った。
胸の奥に、少しだけ重いものが残る。
けれど、それを言葉にする理由はない。
「……ありがと、京慈」
「何が」
「いろいろ」
それ以上は続かなかった。
ギルドへ戻った後、空気は変わっていた。
視線が集まる。
「例の新人だ」
「格上を生き延びたやつ」
「マジかよ……」
ざわつき。
その中心に、京慈はいた。
「京慈、ちょっといいか」
ガタイのいい男が声をかける。
「レイドをやるんだ。お前も参加しないか?」
「……レイド?」
受付嬢が補足する。
「複数の冒険者で一つの対象を討伐する大規模任務の一種です」
「今回の対象は群れで行動する魔物」
男が続ける。
「単独じゃ無理だと判断されて、レイドになった」
「で、その群れの中に」
男は笑った。
「お前が前に会ったやつがいる」
京慈は息を吐く。
(またか)
「……参加します」
作戦会議。
地図が広げられる。
「前衛三班。押し返し戦。全力で挑んでくれ。」
「後衛は支援。何があっても絶対に前に出るな。」
「魔物の群れは連携する。敵は単体じゃない」
空気は戦場そのものだった。
男が京慈を見る。
「お前は遊撃だ。無茶はするな」
「……はい」
数日後。
森の奥。
「来るぞ!」
次の瞬間、影が飛び出す。
類人猿型の魔物。
「多い……!」
想定以上の数。
しかも――
「連携してやがる!」
囮、挟み込み、誘導。
明らかに知性がある。
「押されてる!」
徐々に崩れる戦線。
その時。
視線が合う。
(あいつだ)
以前戦った個体。
一直線に京慈へ。
「来るぞ!」
剣を構える。
(前よりは動ける)
だが――
「力が違う!」
押される。
「下がれ!」
仲間が割って入る。
「一人で抱えるな!」
だが状況は悪化する。
「このままじゃ……!」
崩壊寸前。
京慈は腕を見る。
(硬化……)
出ない。
「出ろよ……!」
焦り。
仲間が倒れる。
視界が揺れる。
「守らないと」
その瞬間――
ドクン。
腕が軋む。
「……っ!」
腕がどんどん石のように変質する。
「出た!」
前へ。
受け止める。
砕けない。
「うおおお!」
一撃、二撃。
魔物が崩れる。
「なんだあれ!?」
「おい……あれ……」
誰かが呟いた。
「紋章じゃねえのか……?」
「そんな…まさか…あいつ紋章持ちだったのかよ…」
空気が変わる。
だが戦いは終わらない。
「ボスが来るぞ!」
巨大な個体。
「全員でやるぞ!動ける奴は来い!」
最後の力を振り絞る。
動けるものは少数だが、全員でぶつかる。
お互いに削られていく。
もはや我慢比べだ。
魔物のボスは力で押し切り、石や仲間の死骸を使い攻撃も防御も行い、隙がない。
しかし、京慈たちは押すしかない。
「あと少しだ!」
「決めろ!」
京慈の腕から剣がすっぽすける。
(まずい…剣が…!)
京慈がそう思ったのも束の間、京慈は石のように硬くなった右手を突き立てボス魔物の脳天に向けて拳骨を食らわすように殴りつける。
轟音と同時にボス魔物はゆっくりと倒れ、末端から黒く崩れ落ち始めた。
ボスが消滅し、生き残った魔物はいつの間にか姿を消していた。
静寂。
「……終わったのか」
生き残った者だけが立っていた。
その場の誰もが、同じものを見ていた。
京慈の腕。
「お前……」
誰かが言う。
「やっぱり……紋章持ちか?」
誰も確信を持っていない。
ただ、“何か”を見てしまっただけだった。
ギルドへ戻る馬車の中も静かだった。
誰も多くを語らない。
語る必要がなかった。
ギルドに戻ると、受付嬢が一言だけ言った。
「……生きて帰ってきましたね」
「はい」
「お疲れ様でした。今回は無事でしたが、次は保証できません。」
視線が一瞬だけ、京慈の腕に向いた。
「……紋章疑惑についての報告は上長の判断を仰がなければならないため、本日は保留です。」
それだけ言った。
重たい身体で孤児院に帰宅する。
マザーの顔はすぐに曇った。
「座りなさい」
「大丈夫です」
「座りなさい」
有無を言わせない声。
処置のあと、短く言われる。
「一週間は絶対安静」
「動いたら、本当に殺します」
冗談ではなかった。
そしてその一週間後。
京慈は孤児院の廊下に立っていた。
「昨日、めいのお別れ会だったわよ」
マザーの言葉。
「知ってた。でも…」
行けなかった。
行ける状態ではなかった。
夜。
部屋で一人。
天井を見上げる。
(ごめんな)
めいの顔が浮かぶ。
呼び捨てで呼ぶ声。
「京慈!」
いつも通りの、うるさい声。
(幸せになれよ。めい)
そう思おうとして――
ギルドの言葉が重なる。
『死ぬ奴は死ぬ』
『敵味方関係ねぇ』
(同じだな)
戦場も日常も。
切り離されていく。
腕を見る。
あの異変。
「……紋章、か」
まだ分からない。
ただ一つ。
戻れない場所にいることだけは分かっていた。




