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シグナリア  作者: もへもへーぬ
第1部ー紋章の継承者ー
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13/54

第13章ー修業①ー

九識邸の玄関前。


朝。


まだ眠気の残る空気の中で、京慈は荷物を抱えて立っていた。


「……本当に行くんですか」


「行くよー」


隣でアヤが軽い調子で答える。


片手には書類。


もう片方には何故か菓子パン。


緊張感がない。


対して京慈は、かなり緊張していた。


理由は簡単。


昨日の夜、突然カナムに、


『明日からしばらくアヤのところだ』


と告げられたからだ。


説明は少なかった。


拒否権もなかった。


「いや、もうちょっとこう……準備とか……」


「してたら逃げるでしょ」


「逃げませんよ!」


「どうかなー」


アヤが笑う。


完全に信用されていない。


その時玄関の奥から、カナムが姿を見せた。


相変わらずスーツ姿。


朝なのに隙がない。


「準備は終わったか」


「終わったかじゃないですよ!」


京慈は思わず言った。


「急すぎません!?」


「そうか?」


「そうですよ!」


珍しく声を荒げる。


だがカナムは気にした様子もなく、紅茶を片手に頷いた。


「大丈夫だ。死にはしない。地獄は見るかもしれんがな。」


「基準が怖いんですよ!」


後ろでらきが笑いを堪えている。


りゅーいちは「頑張れー」と完全に他人事だった。


アスノだけが少し同情的な目をしていた。


「まぁ、無茶されたら連絡しなさい」


「絶対されますよね!?」


「されるねー」


アヤが普通に認めた。


終わっている。


車が玄関前に止まる。


黒塗りの長くてきれいな車。


いかにも高そうだった。


「じゃ、行こっか」


「いや待っ――」


その瞬間。


アヤが京慈の首根っこを掴んだ。


「うわっ!?」


そのまま引きずられる。


「ちょ、アヤさん!?」


「はい乗るー」


「自分で乗れますって!」


「時間ないし」


雑だった。


完全に荷物扱い。


後ろでりすずがスマホを向けていた。


「記念写真撮っとこ」


「やめてください!?」


ぽたは静かに手を振っている。


そらは眠そうに、


「いってらー」


とだけ言った。


かぁりは何か怪しい瓶を渡そうとしてアスノに止められていた。


そして最後に。


カナムが、少しだけ笑う。


「頑張ってこい、京慈」


その顔が妙に楽しそうで。


京慈は心の中で叫んだ。


(クソ当主――!!)


車が走り出す。


九識邸が遠ざかっていく。


京慈はぐったりとシートに沈んだ。


「……最悪だ」


「そんな嫌?」


隣でアヤが菓子パンを齧る。


「嫌というか……心の準備が……」


「あー」


アヤは少し考え。


それから、笑った。


「まぁ、安心して」


「何をですか」


「ちゃんと地獄だから」


「安心できないんですよ……!」


アヤは楽しそうに笑う。


京慈は深くため息をついた。


(絶対、大変なことになる……)


その予感だけは、やけに当たっている気がした。


車に揺られること、およそ一時間。


王都中心部から少し離れた区域。


そこに、セブンスター財団の社員寮はあった。


「……でか」


京慈は思わず呟いた。


「九識邸ほど大きくないけどね。」


アヤが改めて九識家の異常さを突き付ける。


寮。


そう聞いていたから、もっと簡素な建物を想像していた。


だが実際に目の前にあったのは、小さなホテルのような巨大建築だった。


白を基調とした外観。


警備設備。


整備された庭。


行き交う人間も、どこか洗練されている。


「ここ、社員寮なんですよね……?」


「そうだよー」


アヤが軽く答える。


「財団お金あるから。福利厚生充実してるんだよね。」


軽い。


だが事実だった。


エントランスに入ると、さらに驚かされた。


吹き抜け。


受付にラウンジまである。


本当に高級ホテルみたいだ。


「……俺、場違いじゃないですか」


「気にしなくていいよ」


アヤはそう言いながら、受付に適当に手を振る。


すると周囲の職員が一斉に頭を下げた。


(この人、本当に偉いんだな……)


今さら実感する。


部屋へ案内される。


個室だった。


しかも広い。


ベッド。


机。


収納。


風呂までついている。


「え、ここ一人ですか?」


「うん」


「孤児院より広い……」


「比較対象そこなんだ」


アヤが少し笑う。


「今日は休んでいいよ。寮を見て回るもよし、部屋でリラックスするもよし。」


「明日からは?」


「地獄を見るかも」


即答だった。


京慈は静かに天井を見上げた。


(帰りたい……)


京慈はそんなことを思いながら、明日から始まる地獄に備え1日をゆっくり過ごした。


翌朝。


「はい、じゃあまず踊って」


「……は?」


第一声がそれだった。


◆一つ目の修行 ―― ダンス


訓練室の中にある広い空間。


壁は鏡になっており、本当にダンス練習所のようになっている。


そして流れる軽快な音楽。


京慈は真顔だった。


「……何してるんですか?」


「ダンス」


「それは見れば分かります」


アヤは普通にステップを踏んでいる。


妙に上手い。


「ほら、京慈も」


「いや、意味あります?」


「あるよ」


即答。


「重心制御。脱力。視線誘導。間合い調整。ダンスだけでこんなに訓練できちゃうんだよ。」


言っていることは戦闘っぽい。


だが見た目は完全にダンスだった。


「とりあえず真似して」


京慈は渋々動き始める。


しかし。


「かたーい」


「ぐっ……」


全然できない。


足が絡まる。


動きが止まる。


リズムに乗れない。


「力入りすぎ」


「そんなこと言われても……!」


「身体、“止まってる”んだよね」


アヤが軽く言う。


「硬化って、“固まる”じゃないから」


その言葉が少し引っかかった。


数時間後。


京慈は完全に息が上がっていた。


「はぁ……っ、これ本当に意味あるんですか……」


「あるある」


アヤは涼しい顔。


京慈は途中で気づく。


“上手くやろう”とすると失敗する。


合わせようとした瞬間だけ、少し動ける。


「……あ」


力を抜く。


相手に合わせる。


すると、少しだけ身体が軽くなった。


「お、今のいい感じ」


アヤが笑う。


「それそれ」


京慈は小さく息を吐いた。


(戦闘と……似てる?)


無理に動くんじゃない。


流れに乗る。


その感覚だけが、少し残った。


◆二つ目の修行 ―― 水入りコップ


ダンスの修業を終え翌日。


京慈は机の上を見ていた。


コップ。


満タンの水。


それ以外は何もない以上。


「……これ何ですか」


「修行」


「嘘ですよね?」


「ほんと」


アヤは真顔だった。


「今日1日それ持って歩いて」


「それだけ?」


「うん」


簡単そうに見えた。


だから京慈は油断した。


持ち上げる。


歩く。


――揺れる。


「あっ」


数秒でこぼした。


「はい最初からー」


「いや早くないですか!?」


それから地獄だった。


歩く。


こぼす。


階段。


こぼす。


方向転換。


こぼす。


途中からアヤが軽く邪魔までしてくる。


「危なっ!?」


肩を押される。


避ける。


こぼれる。


やり直し。


「これ絶対嫌がらせですよね!?」


「修行だよー」


絶対楽しんでいる。


何度も失敗するうち。


京慈は気づいた。


自分は“こぼさないように力んでる”。


だから逆に揺れる。


「……あ」


意識を変える。


“固定する”じゃない。


“守る”。


落とさないように。


壊さないように。


優しく。


すると。


水面が急に安定した。


アヤが少し目を細める。


「うん」


「……できた」


京慈はゆっくり歩く。


こぼれない。


「京慈はさ、“守る”と“固める”勘違いしてたでしょ」


言われて、少しだけ理解した。


硬化はただ硬くなる力じゃない。


◆三つ目の修行 ―― 子守


「これは余裕です」


京慈は自信満々だった。


「へぇ」


アヤが面白そうに笑う。


「孤児院で下の子の面倒見てましたし」


「なるほどねー」


そして。


十分後。


「待っ、走らないで!?」


地獄だった。


セブンスター財団関連施設。


そこで預かっている子供達。


孤児だけではない。


だが親が忙しかったり、事情を抱えていたりする子供が多いらしい。


そして。


めちゃくちゃ元気だった。


「やだー!」


「つまんなーい!」


「お兄ちゃん固い!」


「話聞いて!?」


京慈の声が全然通らない。


勝手に走る。


喧嘩する。


隠れる。


転ぶ。


泣く。


「孤児院と全然違う……!」


京慈は本気で疲弊していた。


孤児院では、ある程度みんな空気を読んでいた。


年上が面倒を見る文化があった。


でもここは違う。


自由。


我儘。


遠慮がない。


「助けてくださいよアヤさん……!」


「修行だし」


助ける気ゼロだった。しかもアヤに寄って行く子どもたちのほとんどは楽しそうであった。


京慈は途中で気づく。


一人の子供が、やたら騒いでいる。


でも、よく見ると誰かに構ってほしそうだった。


(……あ)


その感覚を、京慈は知っていた。


孤児院でもいた。


寂しい時ほど騒ぐ子。


京慈はしゃがみ込む。


「どうした?」


「……」


「嫌だったな」


先にそう言った。


すると子供が少し黙る。


京慈は無理に叱らなかった。


一緒に遊ぶ。


話を聞く。


目線を合わせる。


少しずつ。


子供達が集まり始めた。


そして。


帰る直前。


一人の子供が階段から落ちそうになる。


「あ――」


考えるより先に。


京慈は飛び出していた。


腕を伸ばす。


抱き止める。


その瞬間。


右腕に、硬質化が走った。


「……っ!」


一瞬だけ。


だが確かに。


腕が硬化していた。


子供は無事。


京慈は自分の腕を見る。


「今の……」


離れた場所で見ていたアヤが、小さく笑った。


「うん」


静かに頷く。


「やっと、“力”じゃなくなってきた」


京慈は、自分の右手を見つめたまま動けなかった。


紋章。


まだ分からないことだらけだ。


でも、ほんの少しだけ。


掴めた気がした。

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