序章:人間は自らの行動の中で、自らを定義する 3
朝の陽射しで目が覚める。すぐ目の前に緋色髪のペルテテーがいる。身体全体で密着したまま、穏やかな寝息と暖かな鼓動が聞こえる。それだけ心の底から安堵できる。
どうやら、思いのほか弱ってしまったらしい。フェンと二人暮らしのときはこんな感情になることはなかった。毎日が騒がしくて、慌しくて、生きるのが精いっぱいだった。
怖い、と切実に思った。ペルテテーがいなくなったとき、ひとりで立てなくなるんじゃないか。失う苦しみは知っている。研究所時代は喪失の連続だった。昨日仲良くなった人が朝にはいなくなっている。朝一緒に食事をした人が、夕方になると消えている。
そして、自身を研究所から命がけで連れ出してくれた女性研究員がいた。そのことを、ハルキは覚えている。よく、覚えている。顔はもう定かではない。名前すら知らない。それでも、握った手の温もりは忘れられない。
彼女のその後を、ハルキは知らない。知りたいと思う暇もなかった。フェンに拾われ、ふたりで白夜を歩きながらなんとか生活できるようになって、ようやく知りたいと思った。
だから、クーとデターを生み出した。でも見つからなかった。仕方がないと諦めながらも、度々ハッキングをしては痕跡を探した。
頭では理解している。当時唯一の成功検体であったハルキを逃がしたことがバレれば、ただでは済まない。ここはケイオス市だ。末路はもう決まっている。
怖い。大事な人はいなくなる。いなくなったら、胸が破裂したみたいに痛くて、苦しい。
ペルテテーのまぶたが開く。揺れる紅い瞳の焦点がだんだんと合っていく。にへら、と彼女が笑う。
――その微笑みが、どうしてか、あの人と重なった。似ても似つかないはずなのに。
「おはよ、ハルキ」
恐怖の底が抜けた。
「あ……あ……っ」
頭を抱えた。凄まじい怖気が頭から全身に突き刺さる。怖くてたまらない。息ができない。言葉がまともにでない。
もう、訳が分からない――。
「ハルキ?」
ハルキの様子がおかしい。頭を両手で抑え、口を開いているのに言葉になっていない。
ペルテテーはすぐに掛け布団を横にやってハルキの上半身を支え上げた。
「ハルキ? ハルキ!」
ハルキはなにも応えない。ただ苦しみにもがいている。
どうすればいいか分からない。こんな状態の人を見るのは初めてだ。だからすぐに助けを呼んだ。
「フェン、フェン!」
扉はすぐに開いた。寝起きのままのフェンが部屋に入って来る。
「どうした!」
「ハルキが……!」
「む、またか。すぐ戻る」
フェンが部屋を出る。ペルテテーはハルキの背を支えることしかできない。無力感が胸に生まれる。
フェンがビニール袋を持って駆け付ける。空気を入れた袋をハルキの口に付けた。
「ハルキよ、我だ。フェンだ。落ち着け。ここにぬしの心を害するものはなにもおらん。ゆっくり息を吸え。ゆっくりで良い」
止まったハルキの呼吸が少しずつ始まる。でも目はどこを見ているのか分からないほど虚ろだ。
「ハルキ、大丈夫だ。我がおる。大丈夫だ。何よりも強い竜がおる。安心せよ」
ハルキの肺が上下に動く。瞳が揺れる。
「……フェン」
「ああ、我だ。いまは何も言わなくていい。ただ何も考えず目を閉じよ。なに、我がおる。我はぬしを置いてどこかに行ったりしない。絶対だ」
かすかに頷いたハルキが目を閉じる。ペルテテーはそっと彼の上半身を下ろし、慎重に頭を枕に置いた。
しばらく、フェンとふたりで無言のままハルキを見つめた。彼は安堵の顔で眠りに入った。
フェンが小さく息を吐く。足音を立てずに部屋を出た。ペルテテーも後に続く。童女はリビングの窓際で佇んでいた。
「……フェン」
「驚かせてすまなんだ。たまにあってな。今日は助かった。ペルテテーよ、感謝する」
「私は何も……」
俯いたペルテテーの手をフェンが握る。
「ハルキは寂しんぼでな。たまに、本当にたまにああなる。きっと一人になるのが怖くてたまらんのだろう。だからペルテテーよ。どうか、ハルキの居場所になってはくれんか。我では対処はできても、根本を治せそうになくてな」
胸郭が破裂しそうだった。
「私で、いいの?」
「ぬしでなくば駄目だ」
フェンが外を見る。光に照らされた童女の輪郭は、寂しそうに笑っていた。
「ハルキはぬしに心開いておる。それは、分かっておるよな?」
「うん」
「きっと、きっとだがな、ハルキはぬしが居なくなるのが怖いのだよ。心開いた存在が目の前からいなくなる恐怖が、ハルキをあそこまで追い詰める。そんなことない。あり得ない。いくら理屈付けしたところで、想像ひとつでハルキはああなる」
小さい手が窓に触れ、拳を握りしめる。
「どうするのが正解かは我も分からん。だからせめて、ペルテテー。ぬしだけはハルキの傍にいてやってくれんか。ハルキの寂しんぼが治るまで、ずっと、ずっと」
「居るよ。私が居る。ハルキを一緒に守るよ」
「……感謝する」




