終章:鋳型にいれたような悪人は存在しない
「朝のニュースです。昨夜、ルヴェイン社が記者会見を開き、全面的に弁護団の要求を吞むとの異例の発表をしました。司法の介入につきましても、適正なる法の審判のもと改めて従業員と世間の信頼回復に努めたいとのこと」
「企業連合体ユニオンの代表はルヴェイン社に対する声明を発表。一連の不祥事に対する責任と再発防止策をルヴェイン社へ要求。従業員に対するいかなる不法行為も許さず、賠償し、企業の信頼を建て直すことをユニオンとしての矜持を持って行ってほしいと述べました」
「本日未明、事態を重く見た市が、アルゴリズムダンス社が主導する第三者委員会を発足。ルヴェインへの徹底追及の構えを見せています」
「ケイオス市でいま注目されている女性ラッパーのディアナさんが、今週遂にヒットチャート一位を獲得しました。本日の番組は、アルゴリズムダンス社の提供でお送りします」
「――私たちの未来には夢がある。私たちのビジネスはこの世界を飛躍させる。この世界は進化し続ける。さあ、ITでダンスしよう。私たちはいつだってアルゴリズムで新たなテクノロジーのステージへ。企業連合体ユニオン――アルゴリズムダンスグループ」
「やはりITを中心としたテーマ株が強いですね。ユニオン序列一位のアルゴリズムダンス関連株がここに来て大幅な伸びを見せています」
何度も切り替えた液晶画面をエガリゼが閉じる。目頭を揉むネズミの耳は、少しだけ垂れていた。
「そうでましたか。完全に死体置き場を闇に葬りましたね。ユニオン……ルヴェインを切らないかーー」
エガリゼがソファーから立ち上がる。スマホのニュースから情報を摂取し、解読していく。
「おそらく主導はクリスタルライン。ルヴェインのマナ結晶採掘は彼らの中枢。だから切って子会社へ切り替えると読んだのですが。まさか、別分野の序列一位が協力するとは」
すぐに部下へ連絡。
「訴訟参加の手続きをストップして下さい。ええ、早急にお願いします。撤退です。既に伝えた筋書きでトライブリッジを潰してください。では」
ネズミの亜人がくつくつと笑う。柔和な面貌からは想像もできないほどの殺意が籠った目だ。
「次善策が功を奏しましたね。足切りできなければT3まで巻き込まれていましたか。私にフロント企業を潰させるとは、凄まじい均等化です。不愉快だ」
金髪をかき上げ、エガリゼは眼下を見下ろす。ユニオンが指を動かし、ルヴェインは存命し、しかし、人々は変わらず生活している。おぞましい混沌の街。
「すべての情報は紙屑となった。ハルキさん、どうやら我々はお互いに命拾いをしたようです」
◇◆◇
目を覚ましたら、ペルテテーの寝顔が間近にあった。昨日寝る前はフェンの部屋にいたはずなのに、気づけばこの状態。遠慮という壁をぶち破ったのだろうけど、もう少し無防備な状態を男に見せることに危機感を覚えてほしいところだ。
少し顔を上げて、ハルキは部屋を見る。床に敷いた布団には、オライオンの姿はない。リビングにでもいるのだろう。
さて、問題はペルテテーだ。寝巻きだといって購入したものを着ている。それがタンクトップにショートパンツなのはいかがなものか。ただでさえスタイルが良いというのに、身体の線が完全に見えているからタチが悪い。
さすがにこのまま二度寝に入るには、刺激的すぎる。まだ朝は早いが起きるしかない。
のそりと起き上がって、ずれ落ちそうな毛布を掛け直す。朝抜けのぼうっとした頭でベッドから抜けてリビングへ。オライオンがソファーに座りながら朝のニュースを切り替えながら見ていた。
「おはよう、オライオン」
「おう、おはようハルキ」
振り返ったオライオンの表情はどこか苦い。もしかしてペルテテーが来たときに気を使って部屋を出て睡眠時間が削れたのかもしれない。
文句はペルテテーへ言ってもらおう。ハルキは無実を主張する。
「ハルキ、ルヴェインは潰れない。奈落の死体置き場が隠蔽された。出てきたのはアルゴリズムダンスだ。情報統制を敷かれた」
「エガリゼさんが大変そうだ。もう訴訟から撤退してるのかな。トライブリッジを切り捨てたりして」
「ご明察。T3はもう動いてる」
「なるほど、僕らが手に入れた情報価値はいまやゼロになったわけだ」
「冷静だなハルキ」
「相手はユニオンだ。最初から潰せるなんて思ってないよ。僕らの平穏が保たれればそれでいいさ」
「たぶん、動いたのは家だ」
「……そっか」
「マナ結晶産業の急所は供給量だ。金属みたいな鉱山なんて奈落にはほとんどない」
「うん」
「みんな知らないだろうけど、ルヴェインは代替が効かない。クリスタルラインの子会社の産出量はルヴェインにだいぶ劣る。だからクリスタルラインはルヴェインを切れない。分かってはいた」
オライオンの深い、深いため息。
「ままならないな。でも、こんな有様を見ても、憧れだけは止められないんだ。幼い頃夢見た憧憬は消えやしない」
「……オライオン、君はどうする? この結末を知って、この街のどうしようもなさを突きつけられて、君はどうする?」
オライオンが立ち上がる。朝日に照らされる彼の瞳は、きっといまでなく未来を見ている。
「目指すさ。どれだけ困難があったって、正義の味方は決してあきらめない」
「事務所、立ち上げるんだね」
「ああ。なりたいものがそこにある。なれる条件が整っているんだから、行かなきゃ嘘だ」
言葉はすっと出た。
「なら居場所を作ろうか。これから忙しくなるね」
「おう!」
研究所から逃げ出してどれだけ経ったろうか。フェンに拾われ、街の悪意に怯えてのたうち回って、ようやくいま、欲しいものが見つかった。
「オライオン、早速やってほしいことがあるんだ」
「なんでも言ってくれ」
「……ペルテテーを部屋から連れ出してくれないかい? 二度寝がしたい」
「……おう」
なんとなく肩透かしを食らった様子で部屋に向かったオライオンが、「うげっ、なんて恰好で寝てんだこいつ」と驚いている。
どたん、と一際大きな音。
「あ、な、あんたなんでここにいるのさ!」
「俺が聞きたい! ここハルキの部屋だぞ!」
「えっ? ここフェンの……あれ? なんで? 私知らない!」
「いいからさっさと出てけ! ハルキが二度寝をご所望だ」
「あぅ? ん? あ……――っ!」
ペルテテーの言葉にならない悲鳴。部屋からどたたたたと毛布に包まってリビングを突っ切り、フェンの部屋に飛び込んだ。
「僕の布団……」
二度寝に必要な道具が持ち去られた。今度は部屋からとぼとぼと枕を抱えたフェンが出てくる。
「なんぞ、朝からやかましいのぉ……。まだ起きる時間じゃなかろうに。ハルキよ、部屋を貸してくりゃれ。ペルテテーに追い出された」
大きなあくびをしたフェンが、ハルキの部屋に入って扉を閉めた。オライオンは諦めたのかリビングのソファーにどかっと座り込んだ。
「二度寝、したかった……」
◇◆◇
昼になれば、家の中に再び喧騒は戻って来る。フェンは起き抜けからテンション高く外でカンフーをし、ペルテテーは朝のことを一分間羞恥で引きずった後、キッチンで昼食の準備を始める。オライオンはやっぱりゲームの虜のようだ。
ハルキは朝からソファーの上で溶けていた。睡眠が足りない日はいつもこんな感じだ。ぐだぐだするのは最高である。
「ハルキ、こいつ強い! 倒せん! 上空に逃げたフリして落下してくるのは卑怯だ!」
オライオンが画面を指さしながらゲームに文句を言っている。抗議の内容がフェンとまったく同じである。
「転がって避けなよ。上空見てれば落ちてくる瞬間は分かるから」
「確かにそうだ! いまから倒してくる!」
ハルキの助言を受けたオライオンが再度ゲームを始める。コントローラーを握る表情は真剣そのものだ。
開けたリビングの窓から、「ほわたー!」と声が届く。これが近所迷惑にならないのは、たびたびハルキが各階の住人用にお土産を買い、フェンが外行きの厚かましい顔で渡してまわっているからだ。心も痛むが懐が痛い。
だというのに、近所の人たちはフェンを見つけると可愛がり、お菓子を渡すのだ。そしてあの童女は増長する。このアパートの住人全員がハルキを追い詰めているに違いない。ペルテテーが一緒に住んでくれることを切に願う。
お、これはいい案ではなかろうか。
思いついたのなら即交渉だ。心の平穏を築くためには行動が必要なのだ。
「ねえペルテテー。いまってどこに住んでるんだい?」
ペルテテーは振り返らずフライパンを動かしながら答える。
「うん? 北セクターのボロアパートだよ。安いけど治安悪いんだよね」
「なるほど、東セクターに移る予定は?」
「こっちは治安いいけど高いよ。むしろよくハルキはここの家賃払えてるね」
「ふむ、引越しの意思はあると」
「そりゃね」
「じゃあ提案だ。今日からここに住まないかい?」
カチン、とコンロを止める音。ドッシャーン、とゲーム画面でゲームオーバーの音声。ハルキは己の完璧な作戦に酔いしれている。ワインがあればきっと不敵な笑みを浮かべて口に含んでいるだろう。飲めないけど。
フェン、君は今日から檻に囚われた竜となる。いままでの暴挙はもう通用しない。
笑ってやろう。はっはっはー!
すっ、とハルキの眼前に人影。無表情のペルテテーが佇んでいる。
「本気で言ってる?」
囁くようなペルテテーの問い。だらけた身体を姿勢よくしたハルキは、力強く頷く。
「もちろんだとも。女性をそんな危険な場所に住まわせることは僕の美学に反する」
「……たぶん、あんたがその発想に至った思考の経路はなんとなく分かるよ」
ペルテテーの背後でオライオンが首を振り、両手でバッテンを作っている。意味が分からない。無視だ無視。
「でも……嬉しい」
脳内でファンファーレが鳴る。勝った。フェン、今日で君の天下は終わりだ! 暴虐なる竜に正義の鉄槌を!
オライオンが両手で顔を塞いでいる。パントマイムの練習だろうか。元御曹司が大道芸人の真似事とは、やはりこの街に救いはない。
ペルテテーがハルキの前で膝をつく。
「ハルキ……」
目を伏せたペルテテーが両手でハルキの頬に触れる。これは、何かがおかしい。視界の端でちらちら見えるオライオンが天井を仰いでいる。神への祈りに変わったのか。忙しい奴である。
ペルテテーの顔が近づく。紅い瞳が切なげに細められる。朱線が引かれた唇から漏れる、甘い吐息。
ハルキ、ここに来てようやく気付く。直前のやり取りを急速に思い出し、どれほどすれ違っていたか気づく。
唇が触れ合う距離。まずい。まずいのか?
ふっ、とペルテテーの唇がハルキの耳に近づいた。
「私のこと好きになっちゃったの?」
総毛だった。
「あぇ? あ……う?」
ハルキの思考が止まった。
「そっか、私とずっと一緒にいたいくらい、私のこと好きになっちゃったんだ」
ハルキはただ口をパクパクすることしかできない。オライオンは立ち上がって両手で何かを拝んでいる。
ペルテテーが頬を持ったまま、眼前で淡く微笑んだ。
「そんなに私がほしいんだ」
もはやハルキは微動だにできない。こつん、とペルテテーが額を合わせる。
「あげようか?」
ハルキの脳が危険信号を上げる。思考はショートしたまま。身体はいうことを効かない。
やがて、一歩離れたペルテテーがハルキの表情をじっくり観察し、満足そうにひとつ頷いて、大笑いした。
「勝った! 勝った勝った! 人たらしに勝った!」
腹を抱え、足をばたつかせてペルテテーが笑っている。オライオンはなぜか壁に両手と額を押し付けていた。
ばこん、と玄関で嫌な音。ててててて、とフェンがリビングに入って来る。
「昼の時間だー! お? ううん? なにかあったのかぇ?」
笑いで浮かんだ涙を指先で拭ったペルテテーが爆弾を放る。
「フェン、ハルキが私と同棲したいんだって。私のこと好きなのかなあ?」
ハルキの思考が再び固まる。
にやぁ、とフェンの邪悪な笑みが光る。
「おやおや、おやおやまあまあ。ハルキもそうか、そうよのお。そうかそうか、分かった分かった。良いとも。ペルテテーが住むことを許可しよう。なに、野暮なことはもう言わん。部屋も同じがよかろう? 案ずるな。ここは防音ゆえ、なにがあっても分からん。カンフーの練習は部屋ですることにしよう」
うんうん、とフェンが腕を組んでひとりで頷いている。
「どうしようフェン、私安眠できるかな?」
「なに、体力でぬしが負けるわけがなかろう」
「あー、きっと寝るときぎゅってされちゃうんだろうなぁ。起きるときも離してくれないんだろうなぁ。いっぱいちゅーとかされちゃうんだろうなぁ」
やばい、最悪の組み合わせがいま完成した。ハルキは間違っていた。ペルテテーは必ずしもフェンを制してくれる存在じゃない。組んでこちらを全力で攻撃してくる存在だ。
そう、オライオンだ。彼だけがこの場で全力で訴えていた。パントマイムだとか神への祈りだとか考えていた自分が愚かで仕方がない。
見よ、この有様を。オライオンはいま部屋の片隅で両ひざを抱えてうずくまっている。完全に存在感を消して逃げに徹している。これが正義の味方の末路だ。なんと嘆かわしい。
「ま、待ってくれ!」
ようやく口が動く。脳にキレが戻ってきた。窮地になれば思考が回転する自分を褒めたい。
「ペルテテー、君はきっとすごい勘違いを――」
「え……私のこと、嫌いなの……?」
ペルテテーが笑顔から一転、眉を下げて悲しい表情をする。
「そんなわけな――」
「じゃあ好きなの?」
なぜその二択しかないんだ。慌てるな、迂闊な言葉を紡げばその時点で負ける。
「ペルテテー。よく聞いて。僕は君のことをとても信頼している。たぶん、本当の意味で心を開いたのは君だけだと思うんだ。だから……あ」
オライオンが床に伏した。フェンは壁を叩いて笑っている。
ペルテテーがふんわりと微笑んでいた。
「ん、ありがと。それで十分だよ」
心臓がひとつ高鳴る。どうしてか顔が熱い。
ハルキの前にペルテテーの手が伸びる。
「今日からよろしくね。家の話は誤解なんかじゃないんでしょ?」
本当に、ペルテテーは予想を外す行動をしてくれる。
「もちろん。ここに住んでくれるのは本当に嬉しいよ」
軽い握手。ペルテテーの暖かさが手のひらから伝わる。
「ん、じゃあ今日は一緒に寝る?」
「……僕は寝床をひとりで占有したい派なんだよ」
「ならそれは尊重しようか。家主の希望は叶えないとね」
手を離す。どうにもペルテテーには勝てない。ともあれ、これで三人で暮らすことは決定した。
「ハルキ……胃薬無いか? 胃が、痛いんだ……」
這って足元に来たオライオンが、ゾンビの声で言う。
「オライオン、うちに胃薬なんて置いたらすぐ無くなるんだ。そんな浪費、できるわけないよね」
「クソ、理屈が分かるからたちが悪い。俺は自分の部屋があってよかったよ。ここにいたら十分で胃が死ぬ」
「なに言ってるんだよ、オライオン。君は事務所を立ち上げるんだろう? もう僕たちは仲間じゃないか。仲間は喜びも苦労も分かち合うものだ。そうだろう?」
「……悪魔かお前」
伏せるオライオンにフェンが近づいてしゃがみ込んだ。
「ハルキを怒らせるなかれ。こやつはバグると玩具として遊べるが、勝てる勝負と分かったら容赦はせん。よくよく観察せよ。あと、そのときは一緒に怒られてくりゃれ」
ばたん、とオライオンが床に額を落とした。
今日もこの2LDKは平和である。そして、この後はきっともっと楽しくなる。
了
第一部「Fake False Factory」をご覧いただきありがとうございました。
第二部「歌姫はキャンディサーカス」を引き続きお楽しみください。
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