四章:いずれ真実が僕たちを自由にしてくれる 6
アパートに着く頃には、空が藍色と黄昏色が混じる時間になっていた。ハルキの両手には格安スーパーで購入したカップ麺と、申し訳なさげに追いやられたカップサラダ。隣を歩くペルテテーは両手いっぱいに紙袋を抱えて楽しげだ。
アパートの敷地に入ると、裏手にある庭から「ほわ~っ、ちょえ~っ、ちょわ~」という謎の掛け声が聞えた。無視しよう。「わたーっ!」という一際大きい声。うるさい。
自室の玄関の扉に立ち、無理やり肘と肩を使って開ける。中に入るとリビングからゲーム音が響く。覗いてみれば、オライオンが画面を見ながら男泣きをしている。きっと感動するゲームをやっていたのだろう。
「お、ハルキ、ペルテテー。おかえりさん」
「とりあえず、涙を拭こうか」
んお、と自分の状態に気づいたオライオンが、近場のティッシュをとって、ち~んと鼻をかんだ。目元はそのままである。
力尽きたハルキにツッこむ気力はない。放置だ。もう、と気づいたペルテテーがティッシュでオライオンの顔を拭う。
「おお、すまん、ありがとう」
「大雑把すぎないかいあんた」
「聞いてくれペルテテー。これ、めっちゃ感動するんだよ!」
「はいはい、あとで聞くよ」
まとめたティッシュをゴミ箱へ捨て、ペルテテーが戻って来る。脱力してソファーに転がったハルキから買い物袋を取り上げ、ぱたぱたとキッチンへ移動。完全にお母さんだ。
ペルテテーはテキパキと袋からカップ麺を取って並べ、サラダをテーブルの上に置く。すぐさま棚を漁ってヤカンを見つけると、水を入れ始めた。やっぱりお母さんである。
「なあなあハルキ、これすっげー面白いよな!」
画面を指さすオライオンが声を掛けてくる。声を出す気力がいまはないハルキは、顎を何度か引いて肯定だけしておいた。
ガラッとリビングの窓が開く。窓枠に足を置いてフェンが入って来ようとするが、振り返ったペルテテーが一喝。
「玄関から入ってきなさい!」
「……はい」
ハルキは感動した。この破壊神を一発で黙らせる人材はペルテテーをおいて他にいない。今日の安息は約束された。
がこん、と不穏な音が玄関から響く。
「我、帰宅!」
フェンがとてててとリビングに走ってきた。ペルテテーの細い視線が童女に定まる。
「フェン、玄関の扉は静かに開け閉めしなさい」
「……はい」
ハルキの内心はもう喝采である。フェンに天罰が下った。これ以上の感動はもうないだろう。
「お、なんぞたくさん買ったのお~」
叱られて一秒で復帰したフェンが、床に置かれた紙袋をしげしげと眺める。小さい手を伸ばすが、嫌な予感がしたのかすぐに引っ込めた。正解である。キッチンに立つペルテテーが無言で目を見開いていた。
くんくん、とフェンが鼻を鳴らす。くわっ、と目を剥いて叫んだ。
「どら焼き!」
ぶるん、とフェンがハルキに振り返る。表情には歓喜が満ち溢れている。
「ぬしよ! 我との約束を覚えておったか!」
ハルキはソファーに落ちた右手でグーサインを出しておく。それだけでフェンはすべてを察したか、ひゃっほ~い、と雄たけびを上げて自室へ走り、どたどたと騒ぎ始めた。防音だからもういいや……。
やがて、ヤカンが甲高い音を鳴らす。
「まさかっ!」ひょこっとフェンが部屋から顔を出す。「まさかまさか、もしかして今日はあれか? あれかえ?」
「ん? どれだ?」
オライオンの抜けた返事に、フェンがやれやれと肩を竦める。
「もう忘れたのかえ? カップ麺大会よ! ハルキは忘れてはおらなんだ!」
フェンが両手を挙げて小躍りする。どこの部族だ。
ふと、ハルキの前でペルテテーが膝を付いてマグカップを差し出した。
「お白湯。落ち着くよ」
こく、と頷いてからマグカップを受け取る。ほどよく冷めたお湯が喉を通り、身体にじんわりとした温もりが広がる。
「ん、ありがとう」
微笑んだペルテテーがキッチンに戻る。ハルキは暖かいマグカップを両手で持って天井を眺めた。
前衛ふたりがやんややんやと騒ぎ始める。ペルテテーがそれに答え、喧騒が増していく。
なんだかとても、気分がいい。
三人の声が心地よくて眠ってしまいそうだ。でも、胃が空腹を主張し始める。このままではとても寝られない。
もう一度白湯を飲む。気づけば体力は回復していた。
ほっと息をついて立ち上がる。テーブルの前でフェンとオライオンがどのカップ麺が良いか真剣に議論している。ペルテテーはフォークの束を洗って布巾で拭いていた。
「のう、ハルキよ。なに味がよい? 我はこのトンコツとやらに心惹かれてやまなんだ」
「待て待てフェン。シーフードがいいだろ。この街、海産物が取れないからシーフードは貴重だぞ!」
なにこの子たち。
「ん、色々買ってきたし、気になるの全部食べたら?」
ペルテテーがフォークをテーブルに並べながら言った。
「分かっておらんのおペルテテーよ。お気に入りを決めておるのだ。全部食べるのは既に決定事項よ」
「めんどくさいなあ……」
ペルテテーが呆れていた。
「よし、やはり我はこのトンコツに今日の初めてを捧げよう!」
「なら俺はシーフードで愉悦に浸ってやるぜ!」
カップ麺でここまでテンションを上げられるのはドン引きだ。しかも格安スーパーで買った奴である。どら焼きは専門店で買ったのに、なんならこっちの方が熱量が高そうだ。
ふたりの熱意に負けたのか、ペルテテーもひとつひとつ確認し、激辛味に決める。ハルキは味噌一択だ。
ペルテテーが全員分のカップ麺にお湯を注ぐ。その様をフェンが目を爛々と輝かせながら眺めていた。
「三分間待ってやる!」
スマホを持ったフェンの宣言。タイマーをセットしたのだろう。いつまで保てるのか見ものである。
フェンは両手で頬を持ちながらテーブルに顎を乗せている。ペルテテーがマグカップを並べて飲み物を入れていた。オライオンは名残惜しそうにゲームの電源を切り、テーブルに戻っていく。
小さい手が伸びる。が、究極の自制心が発動したか、もう片方の手が掴んで止める。うぬぬぬ、とフェンの表情に懊悩。目線がカップ麺とスマホを行ったり来たりしている。アラームは鳴らない。手が進む。止める。戻される。進む。一進一退の攻防。
気づけば全員が席についている。フェンの手が行ったり来たりするのを三人が眺めている。
フェンの口から、はあはあと息が漏れだす。唐突にスマホを両手で持ち、画面を食い入るように見つめ始めた。
仕方がない、とハルキはとっておきの知識をひけらかす。
「フェン、カップ麺の豆知識を教えてあげよう。三分のカップ麺は二分三十秒から食べ始めるとおいしいんだよ」
「ふぁっふぉ~い! 時間じゃ時間! もう三十秒切ったもんね~!」
べりっと蓋を剥がし、右手にフォークを握ったフェンがカップ麺を食らい始める。んほっ、んほっ、と歓喜している。
ぺりぺりと剥がす音が続く。オライオンが、ペルテテーが、竜の狂喜乱舞に当てられて食事を開始する。
けたたましいアラーム音。
「やかましい!」
フェンが叩きつけるようにスマホのアラームを止める。
どうやら時間である。三分経ったちょっと柔らかい感じの麺を頂くとしよう。




