53「祈りと酒」
夕方、
シュウは作業小屋の片隅で落ち着かない様子を見せていた。カイルはまだ半分寝たような顔で縛られたまま横たわっている。時折、呻き声を上げるだけで目を開かない。
「……なあネリィ。カイルってさ、黒ヤミが一番好きだったんだよ」
「そうね。あの子、最初に飲んだとき“こんなうまい酒はない”って言ってたじゃない」
「だったら……少しはリラックスするんじゃないかと思うんだ」
シュウの提案に、ネリィは少し驚いた顔をしたが、やがて小さく頷いた。
「いいわ。やってみましょう。ただ、私も一緒に飲むからね。見張りも兼ねて」
こうして夜、作業小屋の小さなテーブルに黒ヤミのジョッキが二つ並べられた。
ネリィは手際よくツマミを用意する。フランクフルト、ミートボール、そして最近シュウが試作していた新しいつまみ——スパイスの効いた豆炒めまで。
「……ほら、カイル。お前の好きだった黒ヤミだ」
シュウは縛られた彼の前にジョッキを置く。
最初、カイルの瞳は虚ろなまま動かなかった。だが、漂う黒ヤミの香りに、わずかにまぶたが震える。
シュウとネリィは顔を見合わせ、静かに自分たちのジョッキを掲げた。
「……乾杯」
「乾杯ね」
二人が喉を鳴らすと、カイルの視線がふらりとジョッキへ向いた。
その目に、微かに“欲する色”が戻った気がした。
だが——。
ツマミが机に並べられ、黒ヤミの泡が揺れるのを見た瞬間、カイルの身体がビクリと痙攣した。
「……祈れ……祈れ……!」
低い声が漏れ、縛られた体が暴れ出す。
「カイル! 落ち着け!」
シュウが抑えようとするが、まるで何かに操られるように暴れ、黒ヤミのジョッキを倒しかける。
ネリィもすぐに駆け寄り、テーブルを押さえる。
その姿は、酒を前にして喜んでいるのではなく、まるで“酒の気配に反応して発作を起こした”かのようだった。
「……くそっ、やっぱりただのリラックスじゃ済まないか」
シュウは歯を食いしばる。
ふと脳裏に浮かぶのはナード農園の祖母の姿。
あの時も、話している最中に表情が消え、まるで別人のように祈りを口走った……。
そのとき、カイルの口元から、奇妙な祈りの言葉がはっきりと紡がれ始めた。
「……酒は……罪……祈りで……清めよ……」
それは、アクル信教の過激派が繰り返していた言葉だった。




