29話「検問を突破しろ」
ネリィの店の奥座敷。
黒ヤミの樽を三つ並べ、革袋に包んで固定しているカイルの手は、いつになく慎重だった。
「樽は俺の馬車に積む。目立たないように荷台の底に隠すが……正直、これを全部無事に運べる保証はねぇ」
「やるしかないさ」シュウは肩を回し、魔力操作の訓練で少し鍛えられた指先を見下ろす。「途中でぶっ壊れたら、その時はその時だ」
ネリィは壁際の棚から地図を引き抜いた。
「普通に街道を通れば二日で港町に着くけど、過激派が待ち構えてる可能性がある。山越えの裏道なら四日はかかるけど……そっちのほうが安全よ」
カイルは唸った。「安全でも長旅は樽に響く。揺れが続けば味が変わるかもしれん」
話が途切れ、三人の視線が自然と黒ヤミの樽に集まった。
この三つの樽が、全てを変える鍵になる——そう思うと、妙な重みが室内に広がる。
「……よし、裏道で行こう」シュウが決断した。「味は俺が責任持つ」
その夜、シュウは作業小屋に戻り、出発に備えて最後の魔力放出の練習をしていた。
しかし、外で馬の蹄の音が止まり、誰かが静かに扉を叩いた。
「……シュウ、起きてるか?」
声の主はカイルだ。だが、その表情は昼間の軽さとは違っていた。
「今、街の入り口でアクル信教の連中が検問を始めてる。……どうやら、お前の顔も探してるらしい」
樽を運び出す前に、すでに包囲網は狭まり始めていた——。
夜明け前、街道を覆う薄靄の中——
カイルの馬車は、いつもより深く積み荷を覆い隠していた。黒ヤミの樽は半分だけ酒を残し、蓋をして、その上に色鮮やかな果物をぎっしり詰め込んである。見た目は完全に「旅の行商人の荷台」だ。
「いいか、シュウ」カイルが低い声で言う。「お前はあえて目立て。信教の奴らは俺よりお前を追ってる。お前が別の道から入れば、検問の目はそっちに向く」
「おとり、ってやつか……」
「悪いが、そうだ」
ネリィは不安げに腕を組む。「本当に大丈夫なの? 変な気起こされない?」
「起こされても、俺は逃げ足には自信ある」シュウは笑った。
——まあ、捕まったら終わりだけどな、と心の中で付け足す。
作戦はこうだ。
カイルは裏街道の入口へ向かい、検問所の横を堂々と通り抜ける。その時、別ルートでシュウが検問近くを歩いてわざと見つかる。過激派も役人もシュウを追えば、馬車は素通りできる——そんな博打のような手段だ。
そして、夜が明けきらぬうちに作戦は始まった。
カイルの馬車が検問所に近づく。役人たちは荷台に視線を送るが、果物の甘い香りと商人風の笑顔に気を取られている。
その瞬間——
「おい! あそこだ! 藤原だ!」
街道脇の林から姿を現したシュウに、過激派の怒号が飛ぶ。
「やっべ、見つかった!」
シュウは全力で駆け出す。追いかける鎧姿の役人、そして武装した信教の男たち。
砂利道を蹴る足音が遠ざかるのを背に、カイルは馬の腹を軽く叩き、馬車をゆっくりと検問所の外へ進めていった——。




