第16話「苦みと痛みの夜」
「――あの、ちょっと相談なんですけど……」
夕暮れ時、農園の居間。
飯がうまい。薪の香りが残る炊き立ての飯と山菜の汁物、そしてしっかり塩の効いた干し肉。
それらをかき込みながら、俺はレアト麦の農家一家に切り出していた。
「今造ってる麦酒、ちょっと……深みが足りなくて。
甘みはあるんですけど、こう……キュッと締まる苦みがないというか……」
「ふむ……」
じいさんが腕を組み、若い女性――名前はミーシャというらしい――も首をかしげる。
「何か、そういうのを出せるハーブとかって、この辺にあります?」
当然、“ホップ”という言葉を出しても通じるわけもなく、俺は“味のイメージ”で伝えるしかなかった。
「……苦み、か」
じいさんが立ち上がり、台所脇の棚から小さな袋をいくつか持ってきた。
「このへんはどうだ」
袋の中には、それぞれ乾燥させたハーブがぎっしり詰まっていた。
ミーシャがひとつひとつ説明してくれる。
「これは《ヤミシラの葉》っていうの。かじると舌の奥にしぶ〜い渋みが残るやつ」
「これは《ヒレツナ草》。煮出すとスパイシーで、喉の奥がピリピリする感じ」
「こっちは《フラミン根》。苦いけど、ほんのりと香ばしさがあって、肉料理にも合うよ」
……なるほど。どれもホップとは違うけど、方向性としては悪くない。
試してみる価値はありそうだ。
「ありがたいっす! いくつか、少しだけ分けてもらっても……?」
「好きに持っていけ。ただし」
じいさんが言った。
「入れすぎて苦すぎて飲めなくなった、なんてことにならんようにな」
「……はっ、はい!」
あたりがすっかり夜になり、月が雲間から覗く頃。
寝る支度をしようとした俺に、ミーシャが声をかけてくれた。
「今夜はもう帰らないほうがいいよ。森を抜けるには暗すぎるし、変なモノも出るから」
「あっ、じゃあお言葉に甘えて……」
「客間はひとつしかないから、布団はそっちで」
部屋に案内され、毛布にくるまって寝ようとした、その時――
コン、コン。
戸を叩く音。
「……起きてる?」
「うわっ、ミーシャさん!?」
ドアの隙間からミーシャが顔を覗かせる。
その表情はどこか真剣だった。
「ちょっと……話、してもいい?」
囲炉裏の前に座り、ミーシャは静かに口を開いた。
「……おばあちゃんが、魔造庁に連れて行かれた時の話、まだちゃんとしてなかったよね」
俺は黙って頷いた。
「“酒を造っていた”って理由で、告発されたの。
当時はまだ魔造庁の規則も緩かったけど……“精神を乱すもの”という名目で、捕まった」
ミーシャの手が、毛布の端をぎゅっと握る。
「それで……彼らは、“治療”と言って、拷問みたいなことを始めた。
頭に変な器具をつけて、幻覚を見せて、酒のことを思い出すたびに痛みを与えるような……」
言葉が詰まった。
「気づいたら、おばあちゃんは“麦酒”という言葉を聞くだけで震えるようになってた。
魔造庁は“改善された”って言って帰してきたけど……それって、記憶を壊したってだけだった」
俺は何も言えなかった。
ただ、自分の中の何かが、ズシンと重くなるのを感じた。
「……怖く、なった?」
ミーシャの声は、まっすぐだった。
俺は――
「……うん。正直、怖いよ。俺、ただ“うまい酒”が飲みたかっただけで、
それがこんなふうに、誰かを壊したりするなんて思ってなかった」
言いながら、自分の手の中の熱が、ほんの少し冷えた気がした。
だけど――
「……でも。やめるつもりはないよ」
ミーシャが目を見開く。
「今まで知らなかった。俺の造ろうとしてるものが、どれだけ“危ない”ものなのか。
でもそれでも……俺は、みんなで笑って乾杯できる世界を、作りたい」
囲炉裏の火が、ゆっくりと揺れた。
ミーシャはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……変な人」
「よく言われます」
その夜、俺ははじめて――
この世界で“酒を造る”ことの重みを、心から知った。
でも、怖がってるだけじゃ、絶対に辿り着けない。
次こそ、苦みのある酒を造ってやる。




