第15話「頑固な麦農家と、眠る家族の秘密」
森の北、ナード農園。
街の喧騒から離れた静かな土地に、その農家はぽつんと建っていた。
道中でぬかるみに足を取られたり、蜂みたいなモンスターに追いかけられたりしたが、ようやく目的地にたどり着いた。
畑の向こう、薪割り台の前に――でかいじいさんがいた。
……でかい。でかすぎる。
斧がまるでナイフのように軽々と振るわれ、真っ二つになった薪が宙を舞う。
まるで筋肉と根性で編まれた人間だ。
「……あの、すみません!」
勇気を出して声をかけてみるが――
無反応。
「……えっと、その……あの、俺、“飲料関連調査志望”っていう……」
斧が振り下ろされる音だけが響く。
ごくりと唾を飲み込んだその時、ようやくじいさんの口が開いた。
「要件はなんだ」
目も合わさず、強めの声。
「えっ……あっ、えっと……レアト麦、仕入れたくて……その、麦酒を……」
「……麦酒?」
じいさんの動きがピタリと止まった。
ゆっくりと、こちらを振り向く。
ギラリと光る眼。ゴクリとする俺。
「……どこで聞いた、その言葉を」
「え……いや、あの、街でレアト麦のじいさんに……」
返事を最後まで聞かず、じいさんはズンズンと俺に歩み寄ってくる。
「ちょ、ちょっと近いですって! すみません! 俺、なんかやばいこと言いました!?」
返事はなかった。かわりに――
「ふんッ!」
ズドン。
「うわあああ!?」
肩を抱えられ、そのまま軽々と持ち上げられた。
「なんで!? 何この展開!? 俺、悪いことしてないのにぃぃぃ!!」
玄関が開かれ、ドスドスと室内へ連れ込まれる。
家の中は、木のぬくもりと古い民芸品の香りに包まれていた。
広くはないが、手入れされた空間。
そして奥の一室には、寝台に横たわる年老いた女性と、
その脇に座って冷たい布を当てる若い女性の姿があった。
「……お、おばあさん?」
言葉に詰まる。
病気だろうか、白髪でやせ細った体に毛布がかけられている。
若い女性は、そっとこちらに視線を向けた。
「父さん……また、無言で人を担ぎ込んできたの?」
「こいつは“麦酒”の話をしに来た」
若い女性の顔が、ほんの一瞬だけこわばる。
「……麦酒?」
「“あの麦”のことを知っていた。……放っておくわけにはいかん」
なんだこの空気。
まるで俺が、禁忌を口にしてしまったみたいな――
「もしかして……昔、何かあったんですか。レアト麦で……麦酒を?」
静かに、若い女性が頷いた。
「おばあちゃんはね、昔、麦酒を造っていたの。……この農園で」
「えっ……!」
「でも、ある日突然、“酒に呑まれた”ってことで……魔造庁に連行されたの。
そのときの処置で、今でもまともに話せなくて……」
「それは……」
なんてことだ。
レアト麦、そして麦酒。
この農園には、もっと深い過去が――
「で、でも! 俺は、おばあさんみたいに危ない酒を造りたいんじゃないんです!
“うまい酒”が欲しいんです。働いたあとに、笑顔で飲めるような――
そんなビールを、この世界で、ちゃんと……!」
叫んでいた。
何かに取り憑かれたように、俺は自分の想いをすべて吐き出した。
それを聞いたじいさんが、ようやく口角をわずかに上げた。
「……まずは飲ませてみろ」
「え?」
「お前の造った“麦酒”、今あるなら、飲ませてみろ」
試されている。
けれど、それは“拒絶”ではなかった。
俺は背負い袋から、前回仕込んだ試作品の瓶を取り出した。
ホップもなく、まだ“ビール”とは呼べない、甘い発酵液。
「これが……今の全力です」
コップに注ぎ、じいさんが一口、口に含む。
ゴクリ。
「……甘いな」
「はい、もっと深みと苦みを出したいのですが、難しくて、、、」
「だが、悪くない」
短く、でも確かな言葉だった。
そして若い女性が、じっとこちらを見て微笑んだ。
「……麦酒が、ちゃんとしたものになるのなら。
おばあちゃんが目指した、“誰かを幸せにする酒”になるのなら。
私たちは……麦を出すわ」
それは、認められたということだった。
俺は、こぶしを握りしめた。
(――やっと、“本物”に近づける)




