第12話「三日麦、覚醒す」
「はぁ……ダメだ……また発酵が止まった……」
小屋の中で、また一つ、泡の出ないタンクを見つめる。
レアト麦、手ごわすぎる。
吸水も気まぐれ。発酵も続かない。
ついでに、匂いも“何かのえさ”っぽくなる時がある。
「なんだよ……精霊、気分屋かよ……」
どんよりした空気の中、小屋の扉がノックされた。
「入ってるわよー」
その声に、顔がぱっと明るくなる。
「ネリィさん……!」
「はいこれ。あんたみたいな無茶する子、昔もいたのよ」
彼女が手渡してきたのは、古びたノートだった。
革表紙には、銀糸でこう刺繍されていた。
『非発光型醸造記録』
「これ……」
「若い頃の、あたしの失敗と成功の記録よ。
捨てたと思ってたけど……あんた見てたら、ちょっと思い出してね」
その記録には、詳細な実験工程が書かれていた。
中でも、主人公の目を引いたのはこの一文だった。
◆試作No.14:レアト麦・非魔光発酵型
条件:丸三日間、浸魔水で冷浸。
結果:発酵開始。香り立ちは弱いが、コクが深く、苦味に魔力の奥行きあり。
「丸三日……!? 俺、せいぜい半日だった……!」
「殻が魔力に“ゆっくり慣れる”必要があるのよ。
急に入れると、麦が反発して固くなるの」
精霊でも麦でも、“慣らし”が必要。
人間関係と同じか。
「そっか……麦にも、付き合い方があるんだな……!」
「……アンタ、今ちょっとかっこよかったわよ」
そして、翌日。
主人公は新たな麦を準備し、慎重に、慎重に――冷浸魔水での三日仕込みに入る。
ネリィが言っていた通り、水の表面には微かにきらめく膜のようなものが浮かび、
麦たちは、それを吸い込むように少しずつ、膨らんでいく。
「……なんか、生きてるな、こいつら」
三日後。
麦を取り出して、ゆっくりと火入れする。
あの固かった殻が、しんなりと割れ、ふわりと甘い香りが漂う。
「……っ、これだ……!」
かすかに焦がしキャラメルのような匂い。
どこか懐かしい、“仕事終わりの一杯”の予感。
試験タンクに麦と水、そして酵母を入れて――待つこと半日。
「泡、出た……!」
小さく、でも確かに、ぷくりと浮かぶ気泡。
今まで出なかった“生命のサイン”が、そこにあった。
「……ありがとう、ネリィさん……」
「礼は、ちゃんと一杯で返してちょうだいね?」
ネリィは、壁にもたれながら、少しだけ誇らしげに笑った。
この異世界で、初めての“麦酒の命”が宿った瞬間だった。




